≪中世哲学(3)−ドゥンス・スコトゥスについて−≫
2004年7月23日しかし理由はよくわからないのだけど、昭和堂の哲学史では
スコトゥスとオッカムはまったく扱っていないのですね。
スコトゥスはともかく、オッカムはわりと有名なような…
しかし中世哲学の精神をよく伝えるために、細かく扱いたいから
厳選した2人だそうです。
ともあれ見ていきましょう。
ドゥンス・スコトゥス(1265/65〜1308)はスコットランド生まれで、
フランシスコ会の修道士となった人。その学識の高さから、
精妙博士と呼ばれたとか。まぁ哲学者って、どの人も膨大な
文献に目を通して、考えふけっていたのでしょうね。
さてアクィナスは、経験をすべての知覚の土台と考えた。
これは二重真理説から少し発展させたくらいの考え方で、
その経験から類推、「存在の類比」をすることで、普遍的な
認識へとだんだん近づいていけるのだと。
しかしそれだと、有限な人間の認識能力では、永遠に神を
認識することは不可能ということになる。スコトゥスはこの点が
不満だった。
そこで、なのかどうかは分からないけど(自分の感覚を振り返って
そう思ったのか、それとも神の認識への必要性から考え出したのかは
分からないけど)、彼は、人間の認識能力について振り返ることで、
人間のもともともっている感覚自体にも、ある普遍的なものが
感じられているとした。
というのも、たとえば目の前の景色を眺めると、どこに何があるか
という区別が自然とできるからである。
もし人間にそういう区別ができなければ、どの景色も、一面的な
色と形の束としてしか認識されないであろう。これは認識において
馬とか木とかの個物が、例えば馬なら、その馬の個体そのものが、
どこで見てもそれが馬だと分かり、景色の中から区別できるような、
個体性と、またほかのものと共通の普遍性を備えているのだと考えた。
もっと簡単にいうと、個体そのものに、その個体の性質が
そなわっているということである。
それが一体何か?当たり前では?とも感じるけれど、これは当時
新しい考え方だった。なぜなら、ものの性質は、ある「普遍的な
性質」をいくつも兼ね備えることで存在している、という、
アリストテレスの「形相」の考え方が主流だったからである。
そこでは個体の違いというものはなくて、「種」による違いしか
扱われなかった。
そうではなくて、個体そのものに、「個体性」がある。
たとえばプラトンなら「プラトン性」が。ソクラテスなら「ソクラテス性」が
あるのである。
この考え方は、オッカムによってもっとつきつめられることになる。
ありゃ、昭和堂の詳しい説明による補強がないと短いですな。
スコトゥスとオッカムはまったく扱っていないのですね。
スコトゥスはともかく、オッカムはわりと有名なような…
しかし中世哲学の精神をよく伝えるために、細かく扱いたいから
厳選した2人だそうです。
ともあれ見ていきましょう。
ドゥンス・スコトゥス(1265/65〜1308)はスコットランド生まれで、
フランシスコ会の修道士となった人。その学識の高さから、
精妙博士と呼ばれたとか。まぁ哲学者って、どの人も膨大な
文献に目を通して、考えふけっていたのでしょうね。
さてアクィナスは、経験をすべての知覚の土台と考えた。
これは二重真理説から少し発展させたくらいの考え方で、
その経験から類推、「存在の類比」をすることで、普遍的な
認識へとだんだん近づいていけるのだと。
しかしそれだと、有限な人間の認識能力では、永遠に神を
認識することは不可能ということになる。スコトゥスはこの点が
不満だった。
そこで、なのかどうかは分からないけど(自分の感覚を振り返って
そう思ったのか、それとも神の認識への必要性から考え出したのかは
分からないけど)、彼は、人間の認識能力について振り返ることで、
人間のもともともっている感覚自体にも、ある普遍的なものが
感じられているとした。
というのも、たとえば目の前の景色を眺めると、どこに何があるか
という区別が自然とできるからである。
もし人間にそういう区別ができなければ、どの景色も、一面的な
色と形の束としてしか認識されないであろう。これは認識において
馬とか木とかの個物が、例えば馬なら、その馬の個体そのものが、
どこで見てもそれが馬だと分かり、景色の中から区別できるような、
個体性と、またほかのものと共通の普遍性を備えているのだと考えた。
もっと簡単にいうと、個体そのものに、その個体の性質が
そなわっているということである。
それが一体何か?当たり前では?とも感じるけれど、これは当時
新しい考え方だった。なぜなら、ものの性質は、ある「普遍的な
性質」をいくつも兼ね備えることで存在している、という、
アリストテレスの「形相」の考え方が主流だったからである。
そこでは個体の違いというものはなくて、「種」による違いしか
扱われなかった。
そうではなくて、個体そのものに、「個体性」がある。
たとえばプラトンなら「プラトン性」が。ソクラテスなら「ソクラテス性」が
あるのである。
この考え方は、オッカムによってもっとつきつめられることになる。
ありゃ、昭和堂の詳しい説明による補強がないと短いですな。
≪中世哲学(2)−トマス・アクィナスについて<その2>−≫
2004年7月23日<その1からつづき>
夏休みで時間があるってこともあるけど、はやいとこ近代哲学に
いって詳しく扱いたいということもあり。
それにしても「です、ます」調と「だ、である」調がまじります
な…基本的に浅学者なので、偉そうに紹介したくはないんです
けど、説明を全部ですます調でやるとなんだかしまりがなくて。
さて、アクィナスが、前の3つの問題をどうクリアしようとしたか?
第1の問題について。アクィナスは、人間の知性が、経験によって
作られる面があることに着目し、能動的知性というものは、
受動的知性が、質料である身体の助けを借りて、認識を積み、
完全な姿になったものをいうのであって、それは単純に神から
与えられて、死後は還っていくものではないとした。
第2の問題については、じつはアクィナスでは解決していない。
というのも、完全な能動的知性は相変わらず神のもとに存在していて、
人間は認識を積み、それによって類推(アナロジー)することに
よって、それに近づくことができるだけ、としているからである。
ただし、個人の救済については答えを出していて、それは
個人を救済するかどうかは神の自由であって、人間はただ自己の
本性を実現するために、道徳的に生きることが目的なのである、
というものだ。なんか問題をそらしただけという気もするが。
第3の問題は、この世界そのものがすべて有限であり、神に創造
されたものであることに着目する。対して神は永遠で無限なので
あり、人間はこの有限の世界で経験を積み、天へ向かう旅をする
のであると彼はいう。ここに最後の審判の意味がでてくる、らしい。
…おそらく、彼の著書「神学大全」では細かな証明があるのだとは
思うけれど、あまりどれも解決になってないような気はする。
でも元々破壊的なほど矛盾してたものを、なんとか調和させた
という功績は大きいのだろうし、当時の世界にとってはぜひとも
必要な理論だったのだろうね。
しかし見てみるに、彼の論は二重真理説、を、人間の類推(アナロジー)
するという性質によって繋げようとした試みである、ということが
できる。このあたりがキモだろうか。
ちなみに有名な言葉「哲学は神学の婢女(はしため)」とは
彼の言葉で、彼はむしろこれを否定する作業にいそしんだ。
(このころ、哲学の言葉をいじりまわして、なんとか哲学を
神学に従属させようとしていた人たちが沢山いたからだろうと
思う。ソフィストもそうだけど、哲学の世界はいつの時代も
そういう人が多そうだ)
彼は哲学は神学と調和可能だということを示そうとしたということで、
哲学をむしろ高く評価していたのだろうね。
そして、「普遍論争」に焦点をあてて抜き出せば、アクィナスの
出した結論は、神のもとに物質の性質、形相、イデアがあるので
あり、それによって人間は普遍的な理解が可能なのである、
という結論になっていることがわかる。
人間の外に、絶対的な「普遍性を確保してくれるもの」が実在する
とするこの考え方を「実在論(実念論)」という。
中世以前では、こういう考え方が多かったというのはわかると
思う。イデアもそうだし、アリストテレスの形相もそうである。
ギリシャ哲学では、外に絶対的なものがあるか、そうでなければ
懐疑論にはしるか、という感じだったが、中世でここにひとつ
進展が見られるところがある。
というのも、つづくドゥンス・スコトゥスからオッカムに至ると、
この実在論が否定され、少し別の結論が出されるからである。
夏休みで時間があるってこともあるけど、はやいとこ近代哲学に
いって詳しく扱いたいということもあり。
それにしても「です、ます」調と「だ、である」調がまじります
な…基本的に浅学者なので、偉そうに紹介したくはないんです
けど、説明を全部ですます調でやるとなんだかしまりがなくて。
さて、アクィナスが、前の3つの問題をどうクリアしようとしたか?
第1の問題について。アクィナスは、人間の知性が、経験によって
作られる面があることに着目し、能動的知性というものは、
受動的知性が、質料である身体の助けを借りて、認識を積み、
完全な姿になったものをいうのであって、それは単純に神から
与えられて、死後は還っていくものではないとした。
第2の問題については、じつはアクィナスでは解決していない。
というのも、完全な能動的知性は相変わらず神のもとに存在していて、
人間は認識を積み、それによって類推(アナロジー)することに
よって、それに近づくことができるだけ、としているからである。
ただし、個人の救済については答えを出していて、それは
個人を救済するかどうかは神の自由であって、人間はただ自己の
本性を実現するために、道徳的に生きることが目的なのである、
というものだ。なんか問題をそらしただけという気もするが。
第3の問題は、この世界そのものがすべて有限であり、神に創造
されたものであることに着目する。対して神は永遠で無限なので
あり、人間はこの有限の世界で経験を積み、天へ向かう旅をする
のであると彼はいう。ここに最後の審判の意味がでてくる、らしい。
…おそらく、彼の著書「神学大全」では細かな証明があるのだとは
思うけれど、あまりどれも解決になってないような気はする。
でも元々破壊的なほど矛盾してたものを、なんとか調和させた
という功績は大きいのだろうし、当時の世界にとってはぜひとも
必要な理論だったのだろうね。
しかし見てみるに、彼の論は二重真理説、を、人間の類推(アナロジー)
するという性質によって繋げようとした試みである、ということが
できる。このあたりがキモだろうか。
ちなみに有名な言葉「哲学は神学の婢女(はしため)」とは
彼の言葉で、彼はむしろこれを否定する作業にいそしんだ。
(このころ、哲学の言葉をいじりまわして、なんとか哲学を
神学に従属させようとしていた人たちが沢山いたからだろうと
思う。ソフィストもそうだけど、哲学の世界はいつの時代も
そういう人が多そうだ)
彼は哲学は神学と調和可能だということを示そうとしたということで、
哲学をむしろ高く評価していたのだろうね。
そして、「普遍論争」に焦点をあてて抜き出せば、アクィナスの
出した結論は、神のもとに物質の性質、形相、イデアがあるので
あり、それによって人間は普遍的な理解が可能なのである、
という結論になっていることがわかる。
人間の外に、絶対的な「普遍性を確保してくれるもの」が実在する
とするこの考え方を「実在論(実念論)」という。
中世以前では、こういう考え方が多かったというのはわかると
思う。イデアもそうだし、アリストテレスの形相もそうである。
ギリシャ哲学では、外に絶対的なものがあるか、そうでなければ
懐疑論にはしるか、という感じだったが、中世でここにひとつ
進展が見られるところがある。
というのも、つづくドゥンス・スコトゥスからオッカムに至ると、
この実在論が否定され、少し別の結論が出されるからである。
≪中世哲学(2)−トマス・アクィナスについて<その1>−≫
2004年7月23日アウグスティヌスはちょっと軽い扱いになっちゃったなぁ。
今のキリスト教にとってはかなり重要な人らしいです。
ローマ帝国が国教に定めたとき、まだその理論的つきつめが
しっかりできてなかったそうで、アウグスティヌスが、
新プラトン主義をモチーフにそれをやったのですな。
歴史的意味は大きいみたいです。
ともあれ、時代は移ってトマス・アクィナスにいきましょう。
この人の具体的な理論に入る前に、お決まりの背景説明を
します。
アウグスティヌスのところで、あのころまだギリシャ哲学が
伝わりきっていなかったことは紹介しましたが、12世紀に入って
ようやくプラトンとかアリストテレス哲学などが翻訳されて
伝わったらしいんですね。イスラムなんかはそれ以前からずっと
やってたそうで、西洋は哲学後進国だった。
そうなるに至って、それまで容易と思われてたキリスト教と
ギリシャ哲学の調和が、非常に難しいことが分かった。
だから最初は、イスラムの哲学者イヴン・ルシュドの哲学を
西洋風に解釈した、ラテン・アヴェロス主義という理論でもって
それを成そうとしたらしい。しかし逆にこれはうまくいかず、
人間の不死の問題、個人の救済の問題、神による世界の創造の
問題など、難問が出てくることになってしまった。
ラテン・アヴェロス主義もキリスト教も、人間にはもともと
生まれたときからもっている知性、受動的知性と、神から
与えられた知性、能動的知性があって、そのふたつが合わさって
人間の知性ができていると考える、ここは両方同じ。
ちなみに、普遍的理解が可能とされるのは、神から与えられた
能動的知性があるから、とされる。考え方としてはイデアに
よく似ている…
しかし問題、それも致命的なものが3つほどあるという。
第1には、ラテン・アヴェロス主義では、人が死ぬと、霊魂は
身体と共に滅びてしまって、能動的知性のみが、もといた神の
もとへ還るのであるとしているのに対して、キリスト教は、教義で
霊魂の不死をうたっている。これでは完全に矛盾である。
第2には、神から与えられる能動的知性は、普遍的なものしか
認識せず、個別的なものは認識しないとした。個別のものを認識
するのは、人間のもつ受動的知性だけだということになるが、
しかしそれだと、神は人間を個別に認識しないことになる。
これでは、個人の救済をうたうキリスト教の存在意義があやうくなる。
第3には、この主張では、世界に存在するのは、無限定な
第一質料のみであり、神はこれにイデアという形相を加えて
この世界を創ったとしている。しかしこれは、創世記の世界創造と
矛盾するし、第一質料はそれそのものは変化しないものであるから
永久にこの世界が続くことになってしまう。最後の審判がなくては
教義がなりたたない。
こんなような矛盾があらわれた。これはイスラムにとってはそう
重要な違いではないかもしれないが、キリスト教にとっては
この理論を認めてしまえば、教義が破壊されてしまうため
13世紀にはいると、これは異端として攻撃されることになった。
また一方で、これは人間のもちうる真理なのであって、神の
持てる真理とは違うのであるとする「二重真理説」もあらわれた。
トマス・アクィナス(1225頃〜1274)が現れたのは、そんな折である。
彼は、この二重真理説を回避して、なんとかこのふたつを
調和させようとした。
そしてその過程で、「普遍論争」の解決にも携わることになる。
彼は、基本的にアリストテレスの「形相」と「質料」とか、
「可能態」とか「現実態」という存在論をベースに、存在論にも
言及しているが、ここではそれには触れないこととする。
というのも、結局これらは「純粋で完全な現実態」とか、
そういう「神の説明」に終着するだけのもので、アリストテレスより
何かがより進化したということはあまり感じられなかったから。
彼が上のみっつの問題をどう解釈したか、に力点をおいて
紹介していこうと思います。
ちなみに、昭和堂の解説では、上の存在論などに力点がおかれてて、
はじめての哲学史では、キリスト教との調和と普遍論争に力点が
おかれてます。
昭和堂のはちょっと、読むのが辛かった…確かに詳しくはあるが…
今のキリスト教にとってはかなり重要な人らしいです。
ローマ帝国が国教に定めたとき、まだその理論的つきつめが
しっかりできてなかったそうで、アウグスティヌスが、
新プラトン主義をモチーフにそれをやったのですな。
歴史的意味は大きいみたいです。
ともあれ、時代は移ってトマス・アクィナスにいきましょう。
この人の具体的な理論に入る前に、お決まりの背景説明を
します。
アウグスティヌスのところで、あのころまだギリシャ哲学が
伝わりきっていなかったことは紹介しましたが、12世紀に入って
ようやくプラトンとかアリストテレス哲学などが翻訳されて
伝わったらしいんですね。イスラムなんかはそれ以前からずっと
やってたそうで、西洋は哲学後進国だった。
そうなるに至って、それまで容易と思われてたキリスト教と
ギリシャ哲学の調和が、非常に難しいことが分かった。
だから最初は、イスラムの哲学者イヴン・ルシュドの哲学を
西洋風に解釈した、ラテン・アヴェロス主義という理論でもって
それを成そうとしたらしい。しかし逆にこれはうまくいかず、
人間の不死の問題、個人の救済の問題、神による世界の創造の
問題など、難問が出てくることになってしまった。
ラテン・アヴェロス主義もキリスト教も、人間にはもともと
生まれたときからもっている知性、受動的知性と、神から
与えられた知性、能動的知性があって、そのふたつが合わさって
人間の知性ができていると考える、ここは両方同じ。
ちなみに、普遍的理解が可能とされるのは、神から与えられた
能動的知性があるから、とされる。考え方としてはイデアに
よく似ている…
しかし問題、それも致命的なものが3つほどあるという。
第1には、ラテン・アヴェロス主義では、人が死ぬと、霊魂は
身体と共に滅びてしまって、能動的知性のみが、もといた神の
もとへ還るのであるとしているのに対して、キリスト教は、教義で
霊魂の不死をうたっている。これでは完全に矛盾である。
第2には、神から与えられる能動的知性は、普遍的なものしか
認識せず、個別的なものは認識しないとした。個別のものを認識
するのは、人間のもつ受動的知性だけだということになるが、
しかしそれだと、神は人間を個別に認識しないことになる。
これでは、個人の救済をうたうキリスト教の存在意義があやうくなる。
第3には、この主張では、世界に存在するのは、無限定な
第一質料のみであり、神はこれにイデアという形相を加えて
この世界を創ったとしている。しかしこれは、創世記の世界創造と
矛盾するし、第一質料はそれそのものは変化しないものであるから
永久にこの世界が続くことになってしまう。最後の審判がなくては
教義がなりたたない。
こんなような矛盾があらわれた。これはイスラムにとってはそう
重要な違いではないかもしれないが、キリスト教にとっては
この理論を認めてしまえば、教義が破壊されてしまうため
13世紀にはいると、これは異端として攻撃されることになった。
また一方で、これは人間のもちうる真理なのであって、神の
持てる真理とは違うのであるとする「二重真理説」もあらわれた。
トマス・アクィナス(1225頃〜1274)が現れたのは、そんな折である。
彼は、この二重真理説を回避して、なんとかこのふたつを
調和させようとした。
そしてその過程で、「普遍論争」の解決にも携わることになる。
彼は、基本的にアリストテレスの「形相」と「質料」とか、
「可能態」とか「現実態」という存在論をベースに、存在論にも
言及しているが、ここではそれには触れないこととする。
というのも、結局これらは「純粋で完全な現実態」とか、
そういう「神の説明」に終着するだけのもので、アリストテレスより
何かがより進化したということはあまり感じられなかったから。
彼が上のみっつの問題をどう解釈したか、に力点をおいて
紹介していこうと思います。
ちなみに、昭和堂の解説では、上の存在論などに力点がおかれてて、
はじめての哲学史では、キリスト教との調和と普遍論争に力点が
おかれてます。
昭和堂のはちょっと、読むのが辛かった…確かに詳しくはあるが…
きのうの日記
2004年7月23日もう日付が過ぎている…
きのうは昼おきて、本買いにいって、ピアノ弾いていまにいたる。
本というのは、西洋の武器・鎧の資料本です。えらい高かった。
軽く、武器・鎧の史学なんかも載っているので。これは読書日記
なので、読んだらまとめていこうかなぁ。なんか石器時代から
はじまるんけど。
<今日読んだ哲学本>
哲学史のみです。しかしこの「哲学本」て表現、歴史本とかに
なったらどうしようか。
きのうは昼おきて、本買いにいって、ピアノ弾いていまにいたる。
本というのは、西洋の武器・鎧の資料本です。えらい高かった。
軽く、武器・鎧の史学なんかも載っているので。これは読書日記
なので、読んだらまとめていこうかなぁ。なんか石器時代から
はじまるんけど。
<今日読んだ哲学本>
哲学史のみです。しかしこの「哲学本」て表現、歴史本とかに
なったらどうしようか。
≪中世哲学(1)−アウグスティヌスについて<その2>−≫
2004年7月22日<その1からつづき>
とは言うんだけど、実はアウグスティヌスは、先に挙げたふたつの
問題のうち、片方しか扱ってない。そのふたつというのは
1.人間に普遍的な理解ができるのはなぜか
2.ギリシャ哲学とキリスト教の教義をどう調和させたらいいか
このうち、2しか扱ってないということ。
それに、この頃はまだ、西洋にはあまりギリシャ哲学は伝わって
おらず、ギリシャ哲学とキリスト教の教義の致命的な齟齬も明らかに
なってはいなかったので、2を扱ったといっても、それは自覚的で
はなかっただろう。アウグスティヌスがしたことは、確かに哲学的に
おもしろいところはある(彼の時間論は、フッサールが絶賛したほどの
ものであるらしい)らしいけど、内容としては、新プラトン主義と
キリスト教のあいのこという感じ。
キリスト教の解釈に新プラトン主義のエッセンスを加えて、
キリスト教が弱者救済における最大にして唯一の理論であることを
示そうとした、ということで、キリスト教的には偉大な教父であることには
間違いないが、どちらかというと哲学の人ではないかも…(いや、
浅学の身で、哲学史の本に両方とも紹介されてる人にそんなこと
言っちゃいかんけど)。
1も2も、この後のトマス・アクィナスから本格的に始まることに
なる。
哲学的にいえば、2はあんまり重要じゃなくて、1における進展が
いわゆる「普遍論争」と呼ばれるもので、かなり重要と思えるんだけどね。
ともあれ、この人の考えたことをみていこう。
アウグスティヌスの考えたこと、それは、聖書における「悪」とは
何かということと、キリスト教の教義にのっとって、人間はどのように
生きたらいいかということ、このふたつ。
まず、前者について。
この世に「悪」は存在するだろうか?一般的な感覚としては、もちろん
存在する。しかし、これはキリスト教的にはヘンなのである。なぜか?
それは、完全な存在である神がこの世界を創造したのに、なんで
「悪」なんてものを創り出したのか、というところがどうしても
納得がいかないからだ。漫画とかではたまに扱われてる問題の
ような…。
人間世界で起こることは、戦争はじめ、暗部に目を向ければそれはもう
おぞましい世界が見えてくる。このようなおぞましい人間の悪を、
なぜ神はお創りになったのか?もし神が創ったのであれば、
神はこのことを見通していたということになるのであるから、
信仰しようという気をなくしてしまいそうだ。
そこで、アウグスティヌスは、いや悪なんてものは、神は創って
いない、とした。それは、人間の欠如によるものなのだと。
たとえば、盲目の人は、以前は目が見えていたのに、目が見えなくなる
(欠如)によって苦痛を感じる。この世で完全であるのは神のみで
あるのだし、したがって人間は不完全であり、どこかが必ず
欠如しているのであって、その欠如によって生じる不合理を
人間が「悪」と呼んでいるにすぎない、と。
実はこれは、新プラトン主義の、あのト・ヘンの考え方から
アイデアを取っている部分があると思う。ト・ヘンは完全だが、
そこから離れれば離れるほど、ト・ヘンのもっていた完全性が
失われている。魂と質料の合体した人間とは、そういうものであると。
アウグスティヌスが言ったことはほかにも色々とあるんだけど、
ここではもうひとつ、人間がキリスト教にのっとってどのように
生きていくべきか、について書いて終わりとします。
また個別に原著読む時に詳しく見よう。「神の国」と「告白」
くらいは読んでおきたい。
これもかなり、新プラトン主義の考え方を踏襲している部分が
ある。キリスト教は、いわゆる「最後の審判」に向けて、なるべく
徳を積む生活を送るべきであるという教えをしているが、
これがト・ヘンへの合一を目指すところと重なったのだろうか。
彼はまず、自分の観る世界に目を向けて、これらは
神によって創られた世界にすぎないのであって、この中には
目指すべき神(ト・ヘンに近いか)はいないと考えた。
次に、自分の感覚能力に目を向けるが、この感覚能力には
神は見いだされない。次に、学問的知識の層にいく。これらの
学問的知識というのは単なる知識ではなくて、数学の図形に
関する知識とか、外から学んだのでは手に入らない知識のことを
指す。しかしこの層にも神はいない。
次に、感情や、記憶したもの、さらに「忘却したこと」をすら
記憶している層にいく。「忘却したこと」というのは不思議で、
なぜなら忘却しているにもかかわらず、かつて何かしらを
覚えていたことは記憶しているからである。
人が意識できない、無意識にこれは存在している。ここで彼は
記憶の無限さ、偉大さを知る。ここがまさに、「わたし」である
魂である。しかし、魂はあくまで神(ト・ヘン?)にいたる
前の段階なのであって、まだ彼の探求は続く。
ここで人間は幸福の生を求めるところに考えがいたる。
人間は生が幸福であることをあらかじめ知っているが、しかし
それはどこで知ったわけでもなくあらかじめ知っている…
幸福とは何か、それは喜びである。では喜びとは何か、それは
「真理を喜ぶ」ことである、と彼はいう。その証拠に、誰でも
欺かれれば怒る。それは真理を愛しているからである、と。
ここではじめて、真理として捉えられた「神」が彼の前に
姿をあらわす。この真理とは何か。それは、「すべての真なるものが
それによって真であるところの真理」、すなわちすべての「真なるもの」
の原因・根拠であるところの「真理」にほかならない。
こうして彼は、人間がもっている「真理の喜び」の記憶の中に
神の記憶を発見するのである。
この後もう少し、「三一性」というキーワードを用いた細かい
探求があるが…結局は、この人間の精神の無意識にひそむ真理、
「神」を愛することは、自己を愛することであり、また単に
自己を愛するだけでなく、自己の中にある神を愛することよって
自己の中にある、「真の神の似像」を現出せしめることが可能である
という。
新プラトン主義とおおいに被るところがある思想だと思う。
求むるところは幸福とかそういうものではなくて、自己の中にある
神の似像を現出せしむるところにあるというところが特に。
結局、個人の救済、最後の審判、神による世界創造などの
教義が満たされねばならないので、こういった結論にはなると
思う。少し論理の飛躍もあるような気もするし…哲学的な
モチーフを取り出すにも、原著を読む時にしましょう(;-o-)
つぎ、トマス・アクィナスにいきます。こっから扱うトマス・アクィナス、
ドゥンス・スコトゥス、オッカムは、「普遍論争」の中で
この3人がどのような主張でこれを解決したか、で読むと分かりやすい
と思います。
とは言うんだけど、実はアウグスティヌスは、先に挙げたふたつの
問題のうち、片方しか扱ってない。そのふたつというのは
1.人間に普遍的な理解ができるのはなぜか
2.ギリシャ哲学とキリスト教の教義をどう調和させたらいいか
このうち、2しか扱ってないということ。
それに、この頃はまだ、西洋にはあまりギリシャ哲学は伝わって
おらず、ギリシャ哲学とキリスト教の教義の致命的な齟齬も明らかに
なってはいなかったので、2を扱ったといっても、それは自覚的で
はなかっただろう。アウグスティヌスがしたことは、確かに哲学的に
おもしろいところはある(彼の時間論は、フッサールが絶賛したほどの
ものであるらしい)らしいけど、内容としては、新プラトン主義と
キリスト教のあいのこという感じ。
キリスト教の解釈に新プラトン主義のエッセンスを加えて、
キリスト教が弱者救済における最大にして唯一の理論であることを
示そうとした、ということで、キリスト教的には偉大な教父であることには
間違いないが、どちらかというと哲学の人ではないかも…(いや、
浅学の身で、哲学史の本に両方とも紹介されてる人にそんなこと
言っちゃいかんけど)。
1も2も、この後のトマス・アクィナスから本格的に始まることに
なる。
哲学的にいえば、2はあんまり重要じゃなくて、1における進展が
いわゆる「普遍論争」と呼ばれるもので、かなり重要と思えるんだけどね。
ともあれ、この人の考えたことをみていこう。
アウグスティヌスの考えたこと、それは、聖書における「悪」とは
何かということと、キリスト教の教義にのっとって、人間はどのように
生きたらいいかということ、このふたつ。
まず、前者について。
この世に「悪」は存在するだろうか?一般的な感覚としては、もちろん
存在する。しかし、これはキリスト教的にはヘンなのである。なぜか?
それは、完全な存在である神がこの世界を創造したのに、なんで
「悪」なんてものを創り出したのか、というところがどうしても
納得がいかないからだ。漫画とかではたまに扱われてる問題の
ような…。
人間世界で起こることは、戦争はじめ、暗部に目を向ければそれはもう
おぞましい世界が見えてくる。このようなおぞましい人間の悪を、
なぜ神はお創りになったのか?もし神が創ったのであれば、
神はこのことを見通していたということになるのであるから、
信仰しようという気をなくしてしまいそうだ。
そこで、アウグスティヌスは、いや悪なんてものは、神は創って
いない、とした。それは、人間の欠如によるものなのだと。
たとえば、盲目の人は、以前は目が見えていたのに、目が見えなくなる
(欠如)によって苦痛を感じる。この世で完全であるのは神のみで
あるのだし、したがって人間は不完全であり、どこかが必ず
欠如しているのであって、その欠如によって生じる不合理を
人間が「悪」と呼んでいるにすぎない、と。
実はこれは、新プラトン主義の、あのト・ヘンの考え方から
アイデアを取っている部分があると思う。ト・ヘンは完全だが、
そこから離れれば離れるほど、ト・ヘンのもっていた完全性が
失われている。魂と質料の合体した人間とは、そういうものであると。
アウグスティヌスが言ったことはほかにも色々とあるんだけど、
ここではもうひとつ、人間がキリスト教にのっとってどのように
生きていくべきか、について書いて終わりとします。
また個別に原著読む時に詳しく見よう。「神の国」と「告白」
くらいは読んでおきたい。
これもかなり、新プラトン主義の考え方を踏襲している部分が
ある。キリスト教は、いわゆる「最後の審判」に向けて、なるべく
徳を積む生活を送るべきであるという教えをしているが、
これがト・ヘンへの合一を目指すところと重なったのだろうか。
彼はまず、自分の観る世界に目を向けて、これらは
神によって創られた世界にすぎないのであって、この中には
目指すべき神(ト・ヘンに近いか)はいないと考えた。
次に、自分の感覚能力に目を向けるが、この感覚能力には
神は見いだされない。次に、学問的知識の層にいく。これらの
学問的知識というのは単なる知識ではなくて、数学の図形に
関する知識とか、外から学んだのでは手に入らない知識のことを
指す。しかしこの層にも神はいない。
次に、感情や、記憶したもの、さらに「忘却したこと」をすら
記憶している層にいく。「忘却したこと」というのは不思議で、
なぜなら忘却しているにもかかわらず、かつて何かしらを
覚えていたことは記憶しているからである。
人が意識できない、無意識にこれは存在している。ここで彼は
記憶の無限さ、偉大さを知る。ここがまさに、「わたし」である
魂である。しかし、魂はあくまで神(ト・ヘン?)にいたる
前の段階なのであって、まだ彼の探求は続く。
ここで人間は幸福の生を求めるところに考えがいたる。
人間は生が幸福であることをあらかじめ知っているが、しかし
それはどこで知ったわけでもなくあらかじめ知っている…
幸福とは何か、それは喜びである。では喜びとは何か、それは
「真理を喜ぶ」ことである、と彼はいう。その証拠に、誰でも
欺かれれば怒る。それは真理を愛しているからである、と。
ここではじめて、真理として捉えられた「神」が彼の前に
姿をあらわす。この真理とは何か。それは、「すべての真なるものが
それによって真であるところの真理」、すなわちすべての「真なるもの」
の原因・根拠であるところの「真理」にほかならない。
こうして彼は、人間がもっている「真理の喜び」の記憶の中に
神の記憶を発見するのである。
この後もう少し、「三一性」というキーワードを用いた細かい
探求があるが…結局は、この人間の精神の無意識にひそむ真理、
「神」を愛することは、自己を愛することであり、また単に
自己を愛するだけでなく、自己の中にある神を愛することよって
自己の中にある、「真の神の似像」を現出せしめることが可能である
という。
新プラトン主義とおおいに被るところがある思想だと思う。
求むるところは幸福とかそういうものではなくて、自己の中にある
神の似像を現出せしむるところにあるというところが特に。
結局、個人の救済、最後の審判、神による世界創造などの
教義が満たされねばならないので、こういった結論にはなると
思う。少し論理の飛躍もあるような気もするし…哲学的な
モチーフを取り出すにも、原著を読む時にしましょう(;-o-)
つぎ、トマス・アクィナスにいきます。こっから扱うトマス・アクィナス、
ドゥンス・スコトゥス、オッカムは、「普遍論争」の中で
この3人がどのような主張でこれを解決したか、で読むと分かりやすい
と思います。
≪中世哲学(1)−アウグスティヌスについて<その1>−≫
2004年7月22日アウグスティヌスにいきましょう。これって、世界史で
聞いたことがある人もいるかもしれない。聖アウグスティヌス
なんて言われ方もされてたようだ。キリスト教でいえば、
「偉大な教父」であるらしい。
なんというか、哲学よりは、キリスト教にとっての功績が
大きかった人だったようだ。
彼はA.D.354〜A.D.430(以後、紀元後のみの場合A.D.は省きます)
の人で、北アフリカあたりに生まれたらしい。よくは知らないが、
あのころ北アフリカあたりは、ナイルの恵みもあって
けっこう豊かだったんじゃ?いや、ほんとに知らない。
結局、富豪の支援があって、大都市カルタゴに移住する
らしい。
彼は19歳のころ哲学に目覚め、最初はグノーシス主義の
マニ教に夢中になったそうな。その後もアカデメイア派(懐疑派)、
新プラトン主義を転々として、最後には32歳の時、ミラノで
回心(神の道へ心を向けること)し、翌年洗礼を受けた。
哲学に無縁の人ではなかったんだね。それがキリスト教に
傾倒するには、色々と紆余曲折あったんだろうと思う。
ただ、この時代はキリスト教がかなり支配的な思想だった
だろうから、そのせいが大きいだろう。
この後没するまでの40年間、マニ教やほかの哲学を論敵にまわして
批判を繰り広げ、また「告白」や「神の国」などの著書を出す。
アウグスティヌスの具体的な思想に入る前に、少しキリスト教哲学
成立までの歴史を振り返っておきます。
おそらくジルソンによればだけど、中世哲学のはじまりは
アレクサンドリアのフィロン(B.C.20〜A.D.50)という人からはじまる。
といっても定説かな?よく知らない。
この人から、ギリシャ哲学とキリスト教の調停がはじまっていく
のだそうだ。なんでも、この人によって、ギリシャ哲学に
「世界の<創造>の思想」がはじめて持ち込まれたとか…アレッ。
今まで世界のはじめについてはいくつかあったような…?
創造と原理は違うってことかな。創造って能動的な感じがするし。
神が創ったということか。
ここからスピノザによる啓示の否定までがキリスト教哲学の
歴史で、それまでの1400年間が中世哲学にあたるとか…。
彼は「聖典の比喩的解釈」を最初にやった人で…ユダヤ哲学、
イスラム哲学、キリスト教哲学の始祖とも言える、らしい。
その頃のギリシャ人にとっては、哲学の学派のいずれかが世界説明の
ポピュラーなものだったので、同じところに住むからには、
共通の世界認識を得ることが必要だったんだろうね。
なんでも、宗教、神話とかはそういうものらしい。違う神話を持つ
部族同士が同じ国に住むことになったとき、その両方の神話における
最高神などが、じつは同じ神だったのである!と、後付けで
そういうことだったということにしてしまう、らしい。
同じってことにしないと、色々と不都合があるんだろうね。
神話に出てくる神が浮気して子供残したりしてるのも、その辻褄あわせの
せいということもあるとか。
教義(ドグマ)をもたないことを旨としていた面で、宗教とは
ちょっと本質的に違うギリシャ哲学ではあるけど、キリスト教との
折り合いというのはこの頃必要だったのだろうね。
うわ、すごい蛇足。しかし神話もちょっと学びたいけどね。
さてアウグスティヌスの具体的な思想に入っていきましょう。
もう行数がないので、詳しくはその2に譲るとして、
軽く、何をどう考えたのか、何が問題とされるのか、について。
しかし、神への信仰、宗教的教義(ドグマ)を前提とする
キリスト教などに、「つねに一から原理を考え直す」ことを
旨とするギリシャ哲学が語れるのか?と少し思うかもしれない。
この点については、昭和堂のジルソンの見解から少し述べる。
ジルソンによれば、アンセルムス(1033〜1109)の言う
「私は理解するために信じる」という言葉がキモであるという。
アンセルムスって誰?という感じだが、多分キリスト教のエライ人
だろうと思う。この言葉はアウグスティヌスからユスティヌス(B.C.165没)、
さらに旧約聖書の「イザヤ書」に書かれている「もし汝らは
信じなければ理解しないであろう」にまでさかのぼることができる
という。
さてドグマを前提にしてるような言葉だけど、この言葉の意味する
ところは何か、といえば、ジルソンによると、この言葉は、
論証において、「神への信仰を前提とする」という意味ではない、
という。
そうではなくて、神への信仰を、論証の「結論」に置くことを
意味する、のだという。
これがどう違うのか?一緒のことのようにも聞こえる。
しかしよく考えてみると、論証というのは、「いまだ知られていない
原理」を「存在する」と仮定し、それへの道筋をつける、という
作業にほかならない。
なぜなら、もう自明のことなら論証する必要などないし、
まったく知らないものを論証しようとは思わないからである。
「これが正しいのではないか」と考える(信じる)ものをまず
結論において、それを理論的に証明する。これがふつうの論証
というものだ。
そして、中世哲学においては、これに「神の存在」とか「信仰」が
置かれる、というだけのことであるという。
確かに、そうかもしれない。それに、中世哲学での、哲学的な
進展も確かにあるのだから、思い込みを前提にした哲学だ、と
ばっさり切り捨てることはないと思う。とりあえず見てみよう。
聞いたことがある人もいるかもしれない。聖アウグスティヌス
なんて言われ方もされてたようだ。キリスト教でいえば、
「偉大な教父」であるらしい。
なんというか、哲学よりは、キリスト教にとっての功績が
大きかった人だったようだ。
彼はA.D.354〜A.D.430(以後、紀元後のみの場合A.D.は省きます)
の人で、北アフリカあたりに生まれたらしい。よくは知らないが、
あのころ北アフリカあたりは、ナイルの恵みもあって
けっこう豊かだったんじゃ?いや、ほんとに知らない。
結局、富豪の支援があって、大都市カルタゴに移住する
らしい。
彼は19歳のころ哲学に目覚め、最初はグノーシス主義の
マニ教に夢中になったそうな。その後もアカデメイア派(懐疑派)、
新プラトン主義を転々として、最後には32歳の時、ミラノで
回心(神の道へ心を向けること)し、翌年洗礼を受けた。
哲学に無縁の人ではなかったんだね。それがキリスト教に
傾倒するには、色々と紆余曲折あったんだろうと思う。
ただ、この時代はキリスト教がかなり支配的な思想だった
だろうから、そのせいが大きいだろう。
この後没するまでの40年間、マニ教やほかの哲学を論敵にまわして
批判を繰り広げ、また「告白」や「神の国」などの著書を出す。
アウグスティヌスの具体的な思想に入る前に、少しキリスト教哲学
成立までの歴史を振り返っておきます。
おそらくジルソンによればだけど、中世哲学のはじまりは
アレクサンドリアのフィロン(B.C.20〜A.D.50)という人からはじまる。
といっても定説かな?よく知らない。
この人から、ギリシャ哲学とキリスト教の調停がはじまっていく
のだそうだ。なんでも、この人によって、ギリシャ哲学に
「世界の<創造>の思想」がはじめて持ち込まれたとか…アレッ。
今まで世界のはじめについてはいくつかあったような…?
創造と原理は違うってことかな。創造って能動的な感じがするし。
神が創ったということか。
ここからスピノザによる啓示の否定までがキリスト教哲学の
歴史で、それまでの1400年間が中世哲学にあたるとか…。
彼は「聖典の比喩的解釈」を最初にやった人で…ユダヤ哲学、
イスラム哲学、キリスト教哲学の始祖とも言える、らしい。
その頃のギリシャ人にとっては、哲学の学派のいずれかが世界説明の
ポピュラーなものだったので、同じところに住むからには、
共通の世界認識を得ることが必要だったんだろうね。
なんでも、宗教、神話とかはそういうものらしい。違う神話を持つ
部族同士が同じ国に住むことになったとき、その両方の神話における
最高神などが、じつは同じ神だったのである!と、後付けで
そういうことだったということにしてしまう、らしい。
同じってことにしないと、色々と不都合があるんだろうね。
神話に出てくる神が浮気して子供残したりしてるのも、その辻褄あわせの
せいということもあるとか。
教義(ドグマ)をもたないことを旨としていた面で、宗教とは
ちょっと本質的に違うギリシャ哲学ではあるけど、キリスト教との
折り合いというのはこの頃必要だったのだろうね。
うわ、すごい蛇足。しかし神話もちょっと学びたいけどね。
さてアウグスティヌスの具体的な思想に入っていきましょう。
もう行数がないので、詳しくはその2に譲るとして、
軽く、何をどう考えたのか、何が問題とされるのか、について。
しかし、神への信仰、宗教的教義(ドグマ)を前提とする
キリスト教などに、「つねに一から原理を考え直す」ことを
旨とするギリシャ哲学が語れるのか?と少し思うかもしれない。
この点については、昭和堂のジルソンの見解から少し述べる。
ジルソンによれば、アンセルムス(1033〜1109)の言う
「私は理解するために信じる」という言葉がキモであるという。
アンセルムスって誰?という感じだが、多分キリスト教のエライ人
だろうと思う。この言葉はアウグスティヌスからユスティヌス(B.C.165没)、
さらに旧約聖書の「イザヤ書」に書かれている「もし汝らは
信じなければ理解しないであろう」にまでさかのぼることができる
という。
さてドグマを前提にしてるような言葉だけど、この言葉の意味する
ところは何か、といえば、ジルソンによると、この言葉は、
論証において、「神への信仰を前提とする」という意味ではない、
という。
そうではなくて、神への信仰を、論証の「結論」に置くことを
意味する、のだという。
これがどう違うのか?一緒のことのようにも聞こえる。
しかしよく考えてみると、論証というのは、「いまだ知られていない
原理」を「存在する」と仮定し、それへの道筋をつける、という
作業にほかならない。
なぜなら、もう自明のことなら論証する必要などないし、
まったく知らないものを論証しようとは思わないからである。
「これが正しいのではないか」と考える(信じる)ものをまず
結論において、それを理論的に証明する。これがふつうの論証
というものだ。
そして、中世哲学においては、これに「神の存在」とか「信仰」が
置かれる、というだけのことであるという。
確かに、そうかもしれない。それに、中世哲学での、哲学的な
進展も確かにあるのだから、思い込みを前提にした哲学だ、と
ばっさり切り捨てることはないと思う。とりあえず見てみよう。
とりあえず
2004年7月21日きょうの日記。
きょうは昼おきて、ずっと哲学史読んでました。
ほかにも色々したことはあるけど、ベースはこれ…
しかし、哲学って今、ほんとに意味がない学問だと
思われてるのに、こんなに学ぶ必要はあるのかと…
たまに思うけど、楽しいんだから仕方ない。。。よね。。
また深夜になったら絵を描こう。家族には見せられない類の
絵だし…(;’A`)
今日はピアノ弾きそこねた。くっそー
<今日読んだ哲学本>
昭和堂の哲学史とはじめての哲学史。
きょうは昼おきて、ずっと哲学史読んでました。
ほかにも色々したことはあるけど、ベースはこれ…
しかし、哲学って今、ほんとに意味がない学問だと
思われてるのに、こんなに学ぶ必要はあるのかと…
たまに思うけど、楽しいんだから仕方ない。。。よね。。
また深夜になったら絵を描こう。家族には見せられない類の
絵だし…(;’A`)
今日はピアノ弾きそこねた。くっそー
<今日読んだ哲学本>
昭和堂の哲学史とはじめての哲学史。
ふー
2004年7月21日やっとギリシャ哲学がおわった。
ここで少し、何が問題とされたのか、それに対してどういう
解決案が出されたのか敷衍してみる。
の前に少し、神話的で、おとぎ話のようにも思えるギリシャ哲学に
ついて、少し思うところを言っておきたい。
このころは、世界説明に対して、今ある科学ほどに説得力のある
ものがほとんど提出されていない。哲学か、神話(ミュートス)だけだ。
なので、何か自分の心に存在する不思議があるとき、それを
説明する何かを思いつくと、それが即、神話的な世界説明に
吸収されてしまうという側面がどうしてもある。これは別に
ギリシャ哲学だけではないけれど。
たとえば、各人間に共感が可能なのはなぜか?完全な三角形など
ないのに、完全な三角形を思い浮かべられるのはなぜか?
このような問いに納得いく説明をしようとすると、イデアとか、
形相(エイドス)と質料(ヒュレー)によるウーシアとか、
ト・ヘンから流出(エマナチオ)した知性(ヌース)から
霊魂(プシュケ)が生まれて、それが質料を認識するからなのだ
とか、色々世界説明も絡んだ神話的考察がなされる。
今では、この問いに答えるには、大脳生理学があると思う。
人間は、たとえば(・_・)←こんなものも顔だと認識する。
物を一定の単純化を経て記憶し、そのパターンを当てはめる
ように、脳に刻み付ける(いや、よく知らないけど)という
話をなんかで見た覚えがある。
しかしそんなものはないので、神話的説明になってしまう。
今では、科学的検証が明らかになっているものにすら、色々と
理屈だけで考えようとするので、説明が冗長で意味が無いように
思えてしまう。
だが、だからといって、彼らの直観した問題が、今日すべて
解かれているかどうか…?たとえば、ソクラテスがイデアで
説明しようとしたことのうち、人間が真、善、美をめがける
心性を持っていること、その仕組みについて、物理学とか
心理学が明確な答えを出せるのだろうか?
人間が感じる哲学的な問いに関して、大脳生理学とか生物学、
物理学、心理学、社会学などが、まだ荒削りだったその問いの
内容のうち、科学的検証で説明可能な部分をどんどん削り取って
いった。しかし、まだ残っている部分が少しある。これに関しては、
それこそギリシャ哲学の昔から、ずっと連綿と考え続けられ
鍛え上げられてきた内容にこそ、見るべきものがある、のでは
ないだろうか。と思う。現代哲学が問題にしているのも、まさに
そこなのだと思う。
世界観も含めて議論されているため隠れやすいが、これらの
疑問、問いの中にある重要な核ともいうべき部分の、哲学的な
進展も、確かにギリシャ→中世→近代、そして現代にも
受け継がれているような気がする。これも竹田さんの受け売り
かな。
客観的に検証しろといわれたら不可能だが、しかし自分の心の
中には、しっかりあるし、共感もできるように思う…
うまくいえないが、そういうものに関して論理的に記述し、
他の人の共感を得る、というものが哲学になっている。
俺のくだらない受け売り持論でスペースが(;´Д`)
さてこの時点までで哲学が問題にしてきたのは、世界は
何からできているのか?からはじまって、最後にたどりついたのは
「人間に普遍的な認識が可能なのはなぜか?」になっているように
思えないだろうか?上でも少し書いたけれど。
それに対して、イデア説のような絶対的な存在を想定するか、
それとも目の前にあるものが全てであると考えるか、または
そんなことを考えるのは無駄であるとするか、すべて疑ってかかり
普遍的な認識など不可能であるとするか、色々な考えがあったと思う。
中世になると、世界説明はキリスト教にすべて吸収される。
現代の自然科学と同じく、そんなものは哲学でひっくり返せる
ものではなくなっているわけだ。
そこで、なのかどうかは分からないけど、この「人間に普遍的な
認識が可能なのはなぜか?」という問いが中世哲学のひとつの
大きなテーマになる。
ちなみにもうひとつは、キリスト教とギリシャ哲学(おもに
新プラトン主義とかアリストテレス哲学)との調停、これも、かなり
大きな作業だった。
これらが結局、「神」という概念で総括されるのが特徴では
あるけど、普遍論争に着目すれば、それなりの進展はあった、
のかもしれない。詳しくみていこう。
ここで少し、何が問題とされたのか、それに対してどういう
解決案が出されたのか敷衍してみる。
の前に少し、神話的で、おとぎ話のようにも思えるギリシャ哲学に
ついて、少し思うところを言っておきたい。
このころは、世界説明に対して、今ある科学ほどに説得力のある
ものがほとんど提出されていない。哲学か、神話(ミュートス)だけだ。
なので、何か自分の心に存在する不思議があるとき、それを
説明する何かを思いつくと、それが即、神話的な世界説明に
吸収されてしまうという側面がどうしてもある。これは別に
ギリシャ哲学だけではないけれど。
たとえば、各人間に共感が可能なのはなぜか?完全な三角形など
ないのに、完全な三角形を思い浮かべられるのはなぜか?
このような問いに納得いく説明をしようとすると、イデアとか、
形相(エイドス)と質料(ヒュレー)によるウーシアとか、
ト・ヘンから流出(エマナチオ)した知性(ヌース)から
霊魂(プシュケ)が生まれて、それが質料を認識するからなのだ
とか、色々世界説明も絡んだ神話的考察がなされる。
今では、この問いに答えるには、大脳生理学があると思う。
人間は、たとえば(・_・)←こんなものも顔だと認識する。
物を一定の単純化を経て記憶し、そのパターンを当てはめる
ように、脳に刻み付ける(いや、よく知らないけど)という
話をなんかで見た覚えがある。
しかしそんなものはないので、神話的説明になってしまう。
今では、科学的検証が明らかになっているものにすら、色々と
理屈だけで考えようとするので、説明が冗長で意味が無いように
思えてしまう。
だが、だからといって、彼らの直観した問題が、今日すべて
解かれているかどうか…?たとえば、ソクラテスがイデアで
説明しようとしたことのうち、人間が真、善、美をめがける
心性を持っていること、その仕組みについて、物理学とか
心理学が明確な答えを出せるのだろうか?
人間が感じる哲学的な問いに関して、大脳生理学とか生物学、
物理学、心理学、社会学などが、まだ荒削りだったその問いの
内容のうち、科学的検証で説明可能な部分をどんどん削り取って
いった。しかし、まだ残っている部分が少しある。これに関しては、
それこそギリシャ哲学の昔から、ずっと連綿と考え続けられ
鍛え上げられてきた内容にこそ、見るべきものがある、のでは
ないだろうか。と思う。現代哲学が問題にしているのも、まさに
そこなのだと思う。
世界観も含めて議論されているため隠れやすいが、これらの
疑問、問いの中にある重要な核ともいうべき部分の、哲学的な
進展も、確かにギリシャ→中世→近代、そして現代にも
受け継がれているような気がする。これも竹田さんの受け売り
かな。
客観的に検証しろといわれたら不可能だが、しかし自分の心の
中には、しっかりあるし、共感もできるように思う…
うまくいえないが、そういうものに関して論理的に記述し、
他の人の共感を得る、というものが哲学になっている。
俺のくだらない受け売り持論でスペースが(;´Д`)
さてこの時点までで哲学が問題にしてきたのは、世界は
何からできているのか?からはじまって、最後にたどりついたのは
「人間に普遍的な認識が可能なのはなぜか?」になっているように
思えないだろうか?上でも少し書いたけれど。
それに対して、イデア説のような絶対的な存在を想定するか、
それとも目の前にあるものが全てであると考えるか、または
そんなことを考えるのは無駄であるとするか、すべて疑ってかかり
普遍的な認識など不可能であるとするか、色々な考えがあったと思う。
中世になると、世界説明はキリスト教にすべて吸収される。
現代の自然科学と同じく、そんなものは哲学でひっくり返せる
ものではなくなっているわけだ。
そこで、なのかどうかは分からないけど、この「人間に普遍的な
認識が可能なのはなぜか?」という問いが中世哲学のひとつの
大きなテーマになる。
ちなみにもうひとつは、キリスト教とギリシャ哲学(おもに
新プラトン主義とかアリストテレス哲学)との調停、これも、かなり
大きな作業だった。
これらが結局、「神」という概念で総括されるのが特徴では
あるけど、普遍論争に着目すれば、それなりの進展はあった、
のかもしれない。詳しくみていこう。
≪ギリシャ哲学(13)−新プラトン主義について<その2>−≫
2004年7月21日<その1からつづき>
次に、魂は自然を生み出すとした。ト・ヘンの一部を魂が
解釈することによって生まれるもの、それが自然。
魂は観照を本領とする。目の前のものを受け取って、考える
ものが魂。であるから、ほかの魂などを観照し、解釈する。
この結果できるのが「自然」であるという。
ちなみに、人間の思惟の本性とはいったけど、この時点では
人格とかそういうものは生まれていない。いわば、世界全体が
思惟であり魂であり、その観照の結果がこの世界なのである
という表現。
そして、その観照に使われるものもまた思惟(ヌース、イデア)に
含まれていなければならない。魂は、ヌースと照らし合わせる
ことによっておのれの観照能力を発揮する。魂が内に描く
感性界(魂が感じている世界?)が、この宇宙を含む世界そのもの
である。
なんだか頭がくらくらしてくるが、もう少しつづけます。
われわれの思惟がわれわれを管理しているのと同様に、世界も
その世界の思惟によって、おのれを管理してる。ト・ヘンから
一番はじめに生まれた思惟、世界霊魂と呼ばれるものが、まず
世界身体というものとくっつき、この世界が誕生した。さらに
ト・ヘンから離れると細分化し、地球も太陽も宇宙のすべてが、
こうして出来ている。
このあたりで、魂が観照することによって自然が生まれ、それと
質料がむすびつく…と言っているが、いつ質料が生まれたのか
よく分からない(;´д`)
もう少し魂が下降すると、それらが人間とか動物のかたちをとる。
世界の事物の次に生物がきて、その後に、魂のない質料がくる。
こういう、世界版カースト制というか、そんな感じの世界が
築かれる。
共感が可能なのは、魂においてはもともと同一であるからだと
いう。このあたりの説明のためにも、上のような世界観が必要だった
のだろう。
また、質料は完全にト・ヘンから与えられた完全性を失っており
これはすべての悪の根源だとされる。
さて人間の身体は、では何であるかといえば、これは物体である
から、質料である。人間がなぜ悪の側面をもち、苦悩するのか?
それは、純粋なる魂が、悪なる身体と交わっているからなのだ。
お、かなりイデア説と重なってきたね。
ではこんな世界、人間は何を目指して生きるべきなのか?
それは、さきのト・ヘンからの道を逆行し、生きながらにして
神というか、ト・ヘンとの合一を果たすことだというのである。
これがすべての哲学的努力の目標であると。
欲望は身体と交わっているがゆえの悪。純粋な思惟にのみ、
魂をゆだねることによって、質料から魂へ、魂から思惟へ、
思惟からト・ヘンへさかのぼれるとプロティノスは考えた
らしい。
そのためには、全てを捨てなければならない。肉体を捨てるには
すべての肉体的欲望を捨てなければならない。さらに魂を捨てて
思惟(知性、ヌース、イデア)そのものにならなければならない。
思惟においては自他の区別しか存在しないのであって、時間も
場所の概念も感じなくなる。さらにト・ヘンとの合一を果たしたら
どうなるか。そこにはもう、一切のものがあるのであって、また
一切のものを感じなくなるのだという。なにせ、自分を意識しない
のだから。そこではすべてを忘却し、思考も言語も失って恍惚の
もとに、光に満たされる、いや光そのものになるのだという。
仏教の無我の境地の影響もあるのかなぁなんて思うが、しかし
ニュアンスは大分違う。仏教のそれは主にアタラクシアを指すので
あって、こうした神秘主義にその思想の要はない。と思う。
また驚くべきことに、プロティノス本人は、この経験が何度かある
らしい。ここまでくるとまさにアレである。神秘主義的色彩の
強い哲学、仏教とキリスト教のあいのこぐらいの思想だろうか。
ともあれ、これがギリシャ哲学最後の大きな思想であった。
さてさて、長かったですが、ようやくギリシャ哲学はこれで
おしまい。次からは、中世哲学最初のビッグネーム、アウグスティヌスに
いきます。
次に、魂は自然を生み出すとした。ト・ヘンの一部を魂が
解釈することによって生まれるもの、それが自然。
魂は観照を本領とする。目の前のものを受け取って、考える
ものが魂。であるから、ほかの魂などを観照し、解釈する。
この結果できるのが「自然」であるという。
ちなみに、人間の思惟の本性とはいったけど、この時点では
人格とかそういうものは生まれていない。いわば、世界全体が
思惟であり魂であり、その観照の結果がこの世界なのである
という表現。
そして、その観照に使われるものもまた思惟(ヌース、イデア)に
含まれていなければならない。魂は、ヌースと照らし合わせる
ことによっておのれの観照能力を発揮する。魂が内に描く
感性界(魂が感じている世界?)が、この宇宙を含む世界そのもの
である。
なんだか頭がくらくらしてくるが、もう少しつづけます。
われわれの思惟がわれわれを管理しているのと同様に、世界も
その世界の思惟によって、おのれを管理してる。ト・ヘンから
一番はじめに生まれた思惟、世界霊魂と呼ばれるものが、まず
世界身体というものとくっつき、この世界が誕生した。さらに
ト・ヘンから離れると細分化し、地球も太陽も宇宙のすべてが、
こうして出来ている。
このあたりで、魂が観照することによって自然が生まれ、それと
質料がむすびつく…と言っているが、いつ質料が生まれたのか
よく分からない(;´д`)
もう少し魂が下降すると、それらが人間とか動物のかたちをとる。
世界の事物の次に生物がきて、その後に、魂のない質料がくる。
こういう、世界版カースト制というか、そんな感じの世界が
築かれる。
共感が可能なのは、魂においてはもともと同一であるからだと
いう。このあたりの説明のためにも、上のような世界観が必要だった
のだろう。
また、質料は完全にト・ヘンから与えられた完全性を失っており
これはすべての悪の根源だとされる。
さて人間の身体は、では何であるかといえば、これは物体である
から、質料である。人間がなぜ悪の側面をもち、苦悩するのか?
それは、純粋なる魂が、悪なる身体と交わっているからなのだ。
お、かなりイデア説と重なってきたね。
ではこんな世界、人間は何を目指して生きるべきなのか?
それは、さきのト・ヘンからの道を逆行し、生きながらにして
神というか、ト・ヘンとの合一を果たすことだというのである。
これがすべての哲学的努力の目標であると。
欲望は身体と交わっているがゆえの悪。純粋な思惟にのみ、
魂をゆだねることによって、質料から魂へ、魂から思惟へ、
思惟からト・ヘンへさかのぼれるとプロティノスは考えた
らしい。
そのためには、全てを捨てなければならない。肉体を捨てるには
すべての肉体的欲望を捨てなければならない。さらに魂を捨てて
思惟(知性、ヌース、イデア)そのものにならなければならない。
思惟においては自他の区別しか存在しないのであって、時間も
場所の概念も感じなくなる。さらにト・ヘンとの合一を果たしたら
どうなるか。そこにはもう、一切のものがあるのであって、また
一切のものを感じなくなるのだという。なにせ、自分を意識しない
のだから。そこではすべてを忘却し、思考も言語も失って恍惚の
もとに、光に満たされる、いや光そのものになるのだという。
仏教の無我の境地の影響もあるのかなぁなんて思うが、しかし
ニュアンスは大分違う。仏教のそれは主にアタラクシアを指すので
あって、こうした神秘主義にその思想の要はない。と思う。
また驚くべきことに、プロティノス本人は、この経験が何度かある
らしい。ここまでくるとまさにアレである。神秘主義的色彩の
強い哲学、仏教とキリスト教のあいのこぐらいの思想だろうか。
ともあれ、これがギリシャ哲学最後の大きな思想であった。
さてさて、長かったですが、ようやくギリシャ哲学はこれで
おしまい。次からは、中世哲学最初のビッグネーム、アウグスティヌスに
いきます。
≪ギリシャ哲学(13)−新プラトン主義について<その1>−≫
2004年7月21日しかしアレですね、哲学やってると、はしばしにゼノ○アスと
ゼノサ○ガのキーワードがでてきますね。
人名だとラカン、バルトとか。あとイド、善悪の彼岸、
力への意志、寄る辺なき人々、とかとか…
新プラトン主義のほかにも、新ピタゴラス主義、グノーシス主義
とかがあるんだけど、このグノーシスってのも、アレですね。
まあいいですね、この話は。
哲学史では後ふたつは全然扱ってないので、ここでも割愛します。
なんでもグノーシス主義の代表はマンダ教とかマニ教だとか…
ほとんど宗教みたいなもので、まあ哲学と宗教の境目ってあいまいな
ところもあるけど、基本的に宗教的教義(ドグマ)とは無縁であるべき
哲学にとってそう重要でもない学派だろうとは思います。
さて新プラトン主義。
前述の、ヘレニズム時代に入った頃の学派である、ストア派、
エピクロス派、懐疑派が、総じて、人間個人がおのれの精神の内
のみに心の平静を求めるべきとし、個人の心の中に閉じこもる
哲学だったのに対して、ローマ帝政期の哲学は、うって変わって
神秘主義の傾向が見られるとされる。宗教的な絶対者との合体を
目指すような、そういう哲学であったそうだ。
はじめての哲学史では、人間は、個人だけでは生きていけない
弱々しいものであると自分を自覚したとき、外界にある絶対的な
ものへの希求が高まってくる。と表現している。また、プラトンの
求めた、人間の善への希求をもう一度考え直すことで、ギリシャ
哲学の大事な思想が、中世に受け継がれていくことになる、とも
書いている。
昭和堂の哲学史によれば、この新プラトン主義が、ギリシャ哲学の
最後の姿であるそうだ。そのことの表現がこんな感じ。
「このギリシア末期の宗教的情念の噴出という現象は、活力も
衰え、世間から身を引いて静かな隠居生活に余生を過ごしていた
老人が、その生の最後の瞬間になって突然宗教的情熱に駆られて、
念仏三昧にふける姿に似ている」
「それは切れる直前の電球の一瞬の輝きに似ている」
ギリシャ哲学は、今ではもう命脈途切れたものである、という
見方がなんとなく伝わってくる。ちなみに竹田さんによれば
哲学の精神は、キリスト教とギリシャ哲学の折衷作業であった
中世哲学においてすら、しっかりと繋がっていたと見ている。
それが近代、現代哲学に手渡されたからこその今であると。
このあたりは、哲学研究者の見解の相違であって、俺がどうのと
口をはさめるところではないけど、個人的に好きなのはやっぱり
竹田さんの見方。
で、新プラトン主義について具体的に見ていこう。
新プラトン主義の創始者はプロティノス(A.D.204〜A.D.270頃)。
紀元後ですから、だいぶ年月がたってますね。
新プラトン主義といっても、プラトンの焼き直しではなくて、
モチーフを採用しているといった感じかなあと個人的には思う。
なにしろ、プラトンの想定した英知界の、さらに上のものを想定
しているから。
プロティノスは、この世のものに区別があるが、それが様々な
区別を包括することについて考えた。長方形と正方形はまとめて
「四角形」であるし、三角形とあわせて「図形」である。
ほかのものを包括しうるものほど単純で根源的であると考え、
その究極的な根源には、一切の区別がない一者(ト・ヘン)が
あるとした。英知界ではイデアの区別があるから、そのさらに
上があると考えたわけである。
このト・ヘンがやっかいな考え方で、なにしろ、ト・ヘンにおいては
区別が一切ない。自我と他我はもちろん存在しないから、神みたいに
人格性があるわけでもない。思惟する(考える)ものでもない。
考えた瞬間に、考える対象が存在することになるからだ。
時間にも場所にも規定されない。いつある、どこにあるなどという
ことは区別であるから、そんなことにはとらわれない。
実体ではないし、量も質もない。生命も意志も考えられない。
形はない。形相もないしイデアもない。
また「なにものかである」「これこれである」と言った瞬間に、それを
相対化できる言葉が生み出されてしまうため、言葉では言い表せない。
だから、ト・ヘン(一者)が何であるかという説明としては、
「なになにではない」という消極的な表現しかできないとした。
なかなか、これは神秘主義というのもうなずけるが、続いてみていこう。
ト・ヘンはすべてを包括するのであるから、この世界もト・ヘンの
一部であるといわなければならない。しかし区別を一切持たない
はずのト・ヘンが、区別をもって目の前にあるとはどういうこと
なのか?ここが一番プロティノスが悩んだところだが、彼はこう
考えた。
ト・ヘンは無限であるが、その無限性のゆえに、それは溢れ出る
のだという。それは無尽蔵に湧き出る泉であって、これがこの世界を
形作るものである、と。
うまくイメージできないが、ト・ヘンを使うからには、こうするしか
ない。しかしパルメニデスの一(オン)を思い出すなぁ。
無尽蔵にあふれでる泉のイメージで、この世界を構築していく。
さてこの世の中には様々な区別があって、優劣もその中に含まれる。
これをプロティノスは、溢れ出す源泉であるト・ヘンに近いもの
ほど優れていて(善)、遠いものほど劣っている(悪)であるとし、
一番近いのは知性(ヌース)であり、思惟そのものであるとした。
ト・ヘンから離れれば離れるほど、実体はその完全性を失う
のである。
この最高のものがヌースであり、最下層に位置するものが質料で
あった。質料ということは、石とかそういう無機質な物体だろうか。
場所・空間の概念が存在しないト・ヘンの一部において「距離」があるとは
ヘンな話な気もするが、とりあえずおいておいて。
思惟はト・ヘンから最初に生まれるものであって、それ自体は
思惟する自己と他者の区別のみを有する、ト・ヘンに次ぐ包括を
持っている。つまりは、これ自体は、空間にも時間にも左右されない。
時間的に無限で、己と他者の区別以外もたないもの、それが人間の
もつ思惟の正体であり、またプラトンの考えたイデアであるとした。
また、もう少し思惟がト・ヘンから下降すると、魂になる。
このあたりは、プラトンの思想を踏襲している。純粋な真・善・美が
存在する英知界がヌースのある領域、よりト・ヘンに近いところ
なのであって、そこで本来の真・善・美を魂は知ることができていた
というわけだ。
生きとし生けるものはすべて魂があり、魂はヌースの具体的な
あらわれである(魂はヌースのロゴス的表現、というが、よく
意味はわからない)。したがって、生命現象がみられるものに
かんしては、それに思惟、魂が浸透していると考える。
しかし、ト・ヘンから遠のくにしたがって思惟の能力も衰える、
と考えもしただろうなぁ。
知能の高い、人間が第一という考え方もあったかもね。
ここらへんで、ト・ヘン→思惟(ヌース)→魂という段階が
できました。その2につづく。
ゼノサ○ガのキーワードがでてきますね。
人名だとラカン、バルトとか。あとイド、善悪の彼岸、
力への意志、寄る辺なき人々、とかとか…
新プラトン主義のほかにも、新ピタゴラス主義、グノーシス主義
とかがあるんだけど、このグノーシスってのも、アレですね。
まあいいですね、この話は。
哲学史では後ふたつは全然扱ってないので、ここでも割愛します。
なんでもグノーシス主義の代表はマンダ教とかマニ教だとか…
ほとんど宗教みたいなもので、まあ哲学と宗教の境目ってあいまいな
ところもあるけど、基本的に宗教的教義(ドグマ)とは無縁であるべき
哲学にとってそう重要でもない学派だろうとは思います。
さて新プラトン主義。
前述の、ヘレニズム時代に入った頃の学派である、ストア派、
エピクロス派、懐疑派が、総じて、人間個人がおのれの精神の内
のみに心の平静を求めるべきとし、個人の心の中に閉じこもる
哲学だったのに対して、ローマ帝政期の哲学は、うって変わって
神秘主義の傾向が見られるとされる。宗教的な絶対者との合体を
目指すような、そういう哲学であったそうだ。
はじめての哲学史では、人間は、個人だけでは生きていけない
弱々しいものであると自分を自覚したとき、外界にある絶対的な
ものへの希求が高まってくる。と表現している。また、プラトンの
求めた、人間の善への希求をもう一度考え直すことで、ギリシャ
哲学の大事な思想が、中世に受け継がれていくことになる、とも
書いている。
昭和堂の哲学史によれば、この新プラトン主義が、ギリシャ哲学の
最後の姿であるそうだ。そのことの表現がこんな感じ。
「このギリシア末期の宗教的情念の噴出という現象は、活力も
衰え、世間から身を引いて静かな隠居生活に余生を過ごしていた
老人が、その生の最後の瞬間になって突然宗教的情熱に駆られて、
念仏三昧にふける姿に似ている」
「それは切れる直前の電球の一瞬の輝きに似ている」
ギリシャ哲学は、今ではもう命脈途切れたものである、という
見方がなんとなく伝わってくる。ちなみに竹田さんによれば
哲学の精神は、キリスト教とギリシャ哲学の折衷作業であった
中世哲学においてすら、しっかりと繋がっていたと見ている。
それが近代、現代哲学に手渡されたからこその今であると。
このあたりは、哲学研究者の見解の相違であって、俺がどうのと
口をはさめるところではないけど、個人的に好きなのはやっぱり
竹田さんの見方。
で、新プラトン主義について具体的に見ていこう。
新プラトン主義の創始者はプロティノス(A.D.204〜A.D.270頃)。
紀元後ですから、だいぶ年月がたってますね。
新プラトン主義といっても、プラトンの焼き直しではなくて、
モチーフを採用しているといった感じかなあと個人的には思う。
なにしろ、プラトンの想定した英知界の、さらに上のものを想定
しているから。
プロティノスは、この世のものに区別があるが、それが様々な
区別を包括することについて考えた。長方形と正方形はまとめて
「四角形」であるし、三角形とあわせて「図形」である。
ほかのものを包括しうるものほど単純で根源的であると考え、
その究極的な根源には、一切の区別がない一者(ト・ヘン)が
あるとした。英知界ではイデアの区別があるから、そのさらに
上があると考えたわけである。
このト・ヘンがやっかいな考え方で、なにしろ、ト・ヘンにおいては
区別が一切ない。自我と他我はもちろん存在しないから、神みたいに
人格性があるわけでもない。思惟する(考える)ものでもない。
考えた瞬間に、考える対象が存在することになるからだ。
時間にも場所にも規定されない。いつある、どこにあるなどという
ことは区別であるから、そんなことにはとらわれない。
実体ではないし、量も質もない。生命も意志も考えられない。
形はない。形相もないしイデアもない。
また「なにものかである」「これこれである」と言った瞬間に、それを
相対化できる言葉が生み出されてしまうため、言葉では言い表せない。
だから、ト・ヘン(一者)が何であるかという説明としては、
「なになにではない」という消極的な表現しかできないとした。
なかなか、これは神秘主義というのもうなずけるが、続いてみていこう。
ト・ヘンはすべてを包括するのであるから、この世界もト・ヘンの
一部であるといわなければならない。しかし区別を一切持たない
はずのト・ヘンが、区別をもって目の前にあるとはどういうこと
なのか?ここが一番プロティノスが悩んだところだが、彼はこう
考えた。
ト・ヘンは無限であるが、その無限性のゆえに、それは溢れ出る
のだという。それは無尽蔵に湧き出る泉であって、これがこの世界を
形作るものである、と。
うまくイメージできないが、ト・ヘンを使うからには、こうするしか
ない。しかしパルメニデスの一(オン)を思い出すなぁ。
無尽蔵にあふれでる泉のイメージで、この世界を構築していく。
さてこの世の中には様々な区別があって、優劣もその中に含まれる。
これをプロティノスは、溢れ出す源泉であるト・ヘンに近いもの
ほど優れていて(善)、遠いものほど劣っている(悪)であるとし、
一番近いのは知性(ヌース)であり、思惟そのものであるとした。
ト・ヘンから離れれば離れるほど、実体はその完全性を失う
のである。
この最高のものがヌースであり、最下層に位置するものが質料で
あった。質料ということは、石とかそういう無機質な物体だろうか。
場所・空間の概念が存在しないト・ヘンの一部において「距離」があるとは
ヘンな話な気もするが、とりあえずおいておいて。
思惟はト・ヘンから最初に生まれるものであって、それ自体は
思惟する自己と他者の区別のみを有する、ト・ヘンに次ぐ包括を
持っている。つまりは、これ自体は、空間にも時間にも左右されない。
時間的に無限で、己と他者の区別以外もたないもの、それが人間の
もつ思惟の正体であり、またプラトンの考えたイデアであるとした。
また、もう少し思惟がト・ヘンから下降すると、魂になる。
このあたりは、プラトンの思想を踏襲している。純粋な真・善・美が
存在する英知界がヌースのある領域、よりト・ヘンに近いところ
なのであって、そこで本来の真・善・美を魂は知ることができていた
というわけだ。
生きとし生けるものはすべて魂があり、魂はヌースの具体的な
あらわれである(魂はヌースのロゴス的表現、というが、よく
意味はわからない)。したがって、生命現象がみられるものに
かんしては、それに思惟、魂が浸透していると考える。
しかし、ト・ヘンから遠のくにしたがって思惟の能力も衰える、
と考えもしただろうなぁ。
知能の高い、人間が第一という考え方もあったかもね。
ここらへんで、ト・ヘン→思惟(ヌース)→魂という段階が
できました。その2につづく。
ウラー
2004年7月21日時間があるので新プラトン主義もおわらせてしまうぞヽ(`д´)ノ
ちょっとコーヒーブレイク…
何がかわいいって、ほら、ドリラーあるでしょうミスタードリラー。
あれの主人公の飼ってる(?)プチって犬がね、かわいいわけで…
いや、どうでもいい話ですが。2よりグレートのほうがクリアしにくい。
連鎖がめっちゃおこる。ゲームキューブのドリラーほしいなあ。
たまにゲセン行ってドリラーとビートメイニア2DXやってる。
金と時間の無駄、とはわかっていても…
ああ、なんつう意味のない話か。
ちょっとコーヒーブレイク…
何がかわいいって、ほら、ドリラーあるでしょうミスタードリラー。
あれの主人公の飼ってる(?)プチって犬がね、かわいいわけで…
いや、どうでもいい話ですが。2よりグレートのほうがクリアしにくい。
連鎖がめっちゃおこる。ゲームキューブのドリラーほしいなあ。
たまにゲセン行ってドリラーとビートメイニア2DXやってる。
金と時間の無駄、とはわかっていても…
ああ、なんつう意味のない話か。
≪ギリシャ哲学(12)−懐疑派について<その2>−≫
2004年7月21日<その1からつづき>
ちなみに、この懐疑派のような態度は、哲学史において何回も
出てくる。まぁ、それは順に見ていけば明らかになりますな。
さて次は中期の懐疑派、中アカデメイア。
アカデメイアっていうとプラトンの作った、非常に長く続いた
大学のことだけど、つまりここの教授とか学徒が懐疑派にはしった
ということだろうか。
アルケシラオス(B.C.315〜B.C.241)がアカデメイアの人だった
ようだ。あと代表的な中アカデメイアの人はカルネアデス
(B.C.214〜B.C.129)など。
この人たちも同じく、ストア派の「把握的表象」(存在するものは
事物のみ)に関して、実在する事物以上に確信をもたらす、
ウソの事物(蜃気楼とかも、そうか)の存在を示すことによって、
イデアとか形相を否定したストア派よりも、もっと何も信用しない
という態度をとった。
まあ、このあたりは古と同じ。違うのはここからで…
懐疑派には、ひとつ欠点がある。というのは、すべてのことについて
判断停止などしてしまうと、生きてく上で必要な選択が何も
出来なくなってしまうからである。
そこでアルケシラオスは、行為の選択をするうえでは、蓋然性
(がいぜんせい。事象が実現されるか否か、またはその知識の
確実性の度合。確からしさ。数学的に定式化されたものを確率
と呼ぶ。プロバビリティー)による判断で事足りるとした。
そう、人間が得られるものは「確からしさ」のみなのである…
これって割と真理を衝いている。けど、このころはそんなにそれが
意識されてたわけでもなさそうにも思う。
懐疑ばっかしてても生きてけないだろ、という要請からきた折衷案
というだけっぽい。
つぎ、新懐疑派にいきます。
アカデメイアは、新アカデメイアといわれる時代になると、
だんだんストア派の説も取り入れてきたようで、折衷案が
目立ってくるそうな。
しかし紀元後にもう一度、ピュロンの考え方を再興した人たち
がいて、アイネシデモス(B.C.1世紀前半ごろ)、アグリッパ
(A.D.1世紀ごろ)、セクストゥス・エムペイリコス(A.D.160頃
〜210頃)などが有名らしい。
考え方は、ピュロンとそう変わらない。もう少し精緻にした
感じはあるが。
いちおう、アグリッパの方式をあげておくと。
彼は判断中止にいたる方式として、つぎの5つを挙げた。
1.異論が存すること
2.論証が無限背進に陥ること(イデア説にたいするアリストテレス
の批判などはこれだろうか)
3.相対性(かならず相反するものが存在する、ということだろうか)
4.論証は仮定を必要とすること(何か確かなものがあると
仮定しなければ成り立たない説は、その仮定が確かなものである
という思い込みがなければ成立しない、ということ)
5.循環論に陥ること(結局、論拠をつきつめていくと、正しいから
正しいのである、というところから出発することになる。これは
トートロジー(同語反復)であって、何も言ってないのと同じ)
他の人も、いろいろ言っているが、結局は何も確かなことなど
考えられない、という結論にいたる。
…個人的には、蓋然性は信用できるとする折衷案のほうがまだ
いい。純粋な懐疑論は、抽象概念の性質を用いた言葉遊びなので
あって、こういうのが無意味な哲学であると個人的には思う。
しかし、色々な学派がおのれの説の正しさを主張し、どちらが
正しいのか分からなくなっている民のことを考えて、この説を
主張したのかもしれない。学派をもうひとつ増やしただけという
気もしないでもないが。
あとは、新プラトン主義を主にあつかって、ギリシャ哲学の
系譜は終わりです。
ちなみに、この懐疑派のような態度は、哲学史において何回も
出てくる。まぁ、それは順に見ていけば明らかになりますな。
さて次は中期の懐疑派、中アカデメイア。
アカデメイアっていうとプラトンの作った、非常に長く続いた
大学のことだけど、つまりここの教授とか学徒が懐疑派にはしった
ということだろうか。
アルケシラオス(B.C.315〜B.C.241)がアカデメイアの人だった
ようだ。あと代表的な中アカデメイアの人はカルネアデス
(B.C.214〜B.C.129)など。
この人たちも同じく、ストア派の「把握的表象」(存在するものは
事物のみ)に関して、実在する事物以上に確信をもたらす、
ウソの事物(蜃気楼とかも、そうか)の存在を示すことによって、
イデアとか形相を否定したストア派よりも、もっと何も信用しない
という態度をとった。
まあ、このあたりは古と同じ。違うのはここからで…
懐疑派には、ひとつ欠点がある。というのは、すべてのことについて
判断停止などしてしまうと、生きてく上で必要な選択が何も
出来なくなってしまうからである。
そこでアルケシラオスは、行為の選択をするうえでは、蓋然性
(がいぜんせい。事象が実現されるか否か、またはその知識の
確実性の度合。確からしさ。数学的に定式化されたものを確率
と呼ぶ。プロバビリティー)による判断で事足りるとした。
そう、人間が得られるものは「確からしさ」のみなのである…
これって割と真理を衝いている。けど、このころはそんなにそれが
意識されてたわけでもなさそうにも思う。
懐疑ばっかしてても生きてけないだろ、という要請からきた折衷案
というだけっぽい。
つぎ、新懐疑派にいきます。
アカデメイアは、新アカデメイアといわれる時代になると、
だんだんストア派の説も取り入れてきたようで、折衷案が
目立ってくるそうな。
しかし紀元後にもう一度、ピュロンの考え方を再興した人たち
がいて、アイネシデモス(B.C.1世紀前半ごろ)、アグリッパ
(A.D.1世紀ごろ)、セクストゥス・エムペイリコス(A.D.160頃
〜210頃)などが有名らしい。
考え方は、ピュロンとそう変わらない。もう少し精緻にした
感じはあるが。
いちおう、アグリッパの方式をあげておくと。
彼は判断中止にいたる方式として、つぎの5つを挙げた。
1.異論が存すること
2.論証が無限背進に陥ること(イデア説にたいするアリストテレス
の批判などはこれだろうか)
3.相対性(かならず相反するものが存在する、ということだろうか)
4.論証は仮定を必要とすること(何か確かなものがあると
仮定しなければ成り立たない説は、その仮定が確かなものである
という思い込みがなければ成立しない、ということ)
5.循環論に陥ること(結局、論拠をつきつめていくと、正しいから
正しいのである、というところから出発することになる。これは
トートロジー(同語反復)であって、何も言ってないのと同じ)
他の人も、いろいろ言っているが、結局は何も確かなことなど
考えられない、という結論にいたる。
…個人的には、蓋然性は信用できるとする折衷案のほうがまだ
いい。純粋な懐疑論は、抽象概念の性質を用いた言葉遊びなので
あって、こういうのが無意味な哲学であると個人的には思う。
しかし、色々な学派がおのれの説の正しさを主張し、どちらが
正しいのか分からなくなっている民のことを考えて、この説を
主張したのかもしれない。学派をもうひとつ増やしただけという
気もしないでもないが。
あとは、新プラトン主義を主にあつかって、ギリシャ哲学の
系譜は終わりです。
≪ギリシャ哲学(12)−懐疑派について<その1>−≫
2004年7月21日つぎ、懐疑派にいきます。
これまで、アリストテレス以後の哲学としてストア派と
エピクロス派をみてきましたが、ストア派はA.D.150年頃まで
つづいたし、エピクロス派も、彼の熱烈な支持者である
哲学詩人ルクレティウス(B.C.99〜A.D.55)などによって、
紀元後まで長く伝えられたそうです。どれも発祥がB.C.300年
くらいだから、A.D.400年頃のアウグスティヌス、それか
1600年のデカルトまで2000年以上も、ずっと各学派の争いだった
っぽいですね。
しかし各学派はあれど、アリストテレスの形相因とか質料因の
考え方について何も代替案が出てない(全ては感覚である、とか何も
わからない、といった反論、というか相対化はされてるが)ところを
見ると、この点に関しては、本当にデカルトまでほとんど進展が
なかったっぽい。まだ中世哲学詳しくみてないから、わからない
けど。
現代人の考え方に即してみれば、アリストテレスの思想はもはや
物理学並の信頼性を得ていたのかもしれない。もう物理学以上に
この世のことを正しく説明できる方法はないだろう、という感覚で、
アリストテレスのウーシアの考え方も受け止められていたのだろうか。
しかしやっぱりこの空白の期間は、ビッグネームが出なかったという
だけのことなんでしょうか。よく知ってみれば、見るべき人は
たくさんいるかもしれないけど。
本があんまり残ってないというのもあるみたいです。
エピクロスなんか300近い書物を残したとされているけど、
こんにちほとんど残ってないとか。
ともあれ懐疑派にはいりましょう。
ストア派とエピクロス派は、アパテイアとアタラクシアと
少し違った内容ではあれど、心の平静を求めるための哲学には
違いなかった。この時代にはやはりこういう哲学への要請が
あったのであって、懐疑派にしてみても、その点は同じ。
では、懐疑派はどうやって心の平静を求めるのか?というと
名前の通り、全てに対して懐疑の目を向けた結果、確かなことは
感覚ですら得られないのだから、すべてにおいて、正しい認識や
考え方をもつことをあきらめる、判断停止(エポケー)すること
こそが、心の平静(アタラクシア)を得る唯一の方法とした。
(ちなみにこのエポケー、現代哲学になっても出てくる重要な言葉
です。ここで使われてる意味とも近い)
といちがいに言っても懐疑派の歴史は長いので、ストア派に
前・中・後があったのと同じく、懐疑派にも古・中・新が
あります。中に関しては、中アカデメイア、というみたいだけど。
これはジルソンの分類なのかな。
古はB.C.350年とかそのあたり、中はB.C.200年とか。
新になるとA.D.200年あたりにも懐疑派がいるそうな。
まあ、考え方としては、分からないでもないな〜とは思う。
現代でも、こんな感覚もって生きてる人もいるだろうし。
っていちいち現代人に即して考えてしまうけど、このほうが
なんとなく理解しやすいんだよね。
哲学も近代・現代のほうになると、たしかによくよく考えるとそうだが
一般人はそんなこと考えもしないワン、という領域に突入する
ので…。こんなこと言ってられるのもいまのうち。
さて当然懐疑派にも創始者はいます。エリスというところの人の
ピュロン(B.C.365〜B.C.275)。この人自身は著書を一切
残していないので、その弟子のティモン(B.C.320頃〜B.C.230頃)
によってその主張が伝えられているそうだ。
では、懐疑派の具体的な主張をみていこう。
ピュロンによれば、人が幸福に生きるためには、以下のことを
明確にしなければならないとした。
1.事物がどのような性質をしているか
2.事物に対してわれわれはどのような態度をとるべきか
3.事物に対して正しい態度をとるとき、そこからわれわれは
何を得ることができるか
一瞬、そうかな?とも思う。が、たぶん、ピュロンはこの後のことを
言いたいから、こんな問いを立てたのだろう。
1に関して、まず、ピュロンは、事物の本性をわれわれは
知ることができないとした。これは、感覚は、事物がどう
見えるのか、感じられるのかを教えはしても、事物そのものの
本性を伝えはしないから、であるそうだ。
これは我々の感覚としても、光は単に光子が反射しているだけ
だし、音は空気の振動だし。というところで理解できる考え方。
ピュロンは何より、いろいろなものに対しての考え方、学説が
いくつも乱立することが、このことを如実に証明していると
した。確かに、リゾーマタとかアトムとか、イデアとかウーシア
とか、事物の本性がどうなっているのか人間に直接分かるなら
こんな学派の乱立はないはずである。
よって、人間は事物の本性を知ることなどできないことが
分かるから、判断停止(エポケー)こそが、人間の事物にたいする
正しい態度、だとしたのである。
善も悪も、生も死も、どうなっているのか分からない、直接認識
できないから学派が乱立するのであって、認識できないものは
認識できないと割り切るべき。それに対しては何も考えないことと
する。そうすれば、一切の無駄な悩みが消え、その付随現象として、
形に影のそうごとく、心の平静(アタラクシア)にいたることが
できる、これがピュロンの考え方だった。
なんか、現世主義度というか、そういう尺度を勝手につくれば
ストア派〜エピクロス派〜懐疑派という順で、それが高くなって
いくね。現代でも、リアリストを自認する人は、こんな考え方
してそうだ。
これが古懐疑派の考え方です。その2につづく。
これまで、アリストテレス以後の哲学としてストア派と
エピクロス派をみてきましたが、ストア派はA.D.150年頃まで
つづいたし、エピクロス派も、彼の熱烈な支持者である
哲学詩人ルクレティウス(B.C.99〜A.D.55)などによって、
紀元後まで長く伝えられたそうです。どれも発祥がB.C.300年
くらいだから、A.D.400年頃のアウグスティヌス、それか
1600年のデカルトまで2000年以上も、ずっと各学派の争いだった
っぽいですね。
しかし各学派はあれど、アリストテレスの形相因とか質料因の
考え方について何も代替案が出てない(全ては感覚である、とか何も
わからない、といった反論、というか相対化はされてるが)ところを
見ると、この点に関しては、本当にデカルトまでほとんど進展が
なかったっぽい。まだ中世哲学詳しくみてないから、わからない
けど。
現代人の考え方に即してみれば、アリストテレスの思想はもはや
物理学並の信頼性を得ていたのかもしれない。もう物理学以上に
この世のことを正しく説明できる方法はないだろう、という感覚で、
アリストテレスのウーシアの考え方も受け止められていたのだろうか。
しかしやっぱりこの空白の期間は、ビッグネームが出なかったという
だけのことなんでしょうか。よく知ってみれば、見るべき人は
たくさんいるかもしれないけど。
本があんまり残ってないというのもあるみたいです。
エピクロスなんか300近い書物を残したとされているけど、
こんにちほとんど残ってないとか。
ともあれ懐疑派にはいりましょう。
ストア派とエピクロス派は、アパテイアとアタラクシアと
少し違った内容ではあれど、心の平静を求めるための哲学には
違いなかった。この時代にはやはりこういう哲学への要請が
あったのであって、懐疑派にしてみても、その点は同じ。
では、懐疑派はどうやって心の平静を求めるのか?というと
名前の通り、全てに対して懐疑の目を向けた結果、確かなことは
感覚ですら得られないのだから、すべてにおいて、正しい認識や
考え方をもつことをあきらめる、判断停止(エポケー)すること
こそが、心の平静(アタラクシア)を得る唯一の方法とした。
(ちなみにこのエポケー、現代哲学になっても出てくる重要な言葉
です。ここで使われてる意味とも近い)
といちがいに言っても懐疑派の歴史は長いので、ストア派に
前・中・後があったのと同じく、懐疑派にも古・中・新が
あります。中に関しては、中アカデメイア、というみたいだけど。
これはジルソンの分類なのかな。
古はB.C.350年とかそのあたり、中はB.C.200年とか。
新になるとA.D.200年あたりにも懐疑派がいるそうな。
まあ、考え方としては、分からないでもないな〜とは思う。
現代でも、こんな感覚もって生きてる人もいるだろうし。
っていちいち現代人に即して考えてしまうけど、このほうが
なんとなく理解しやすいんだよね。
哲学も近代・現代のほうになると、たしかによくよく考えるとそうだが
一般人はそんなこと考えもしないワン、という領域に突入する
ので…。こんなこと言ってられるのもいまのうち。
さて当然懐疑派にも創始者はいます。エリスというところの人の
ピュロン(B.C.365〜B.C.275)。この人自身は著書を一切
残していないので、その弟子のティモン(B.C.320頃〜B.C.230頃)
によってその主張が伝えられているそうだ。
では、懐疑派の具体的な主張をみていこう。
ピュロンによれば、人が幸福に生きるためには、以下のことを
明確にしなければならないとした。
1.事物がどのような性質をしているか
2.事物に対してわれわれはどのような態度をとるべきか
3.事物に対して正しい態度をとるとき、そこからわれわれは
何を得ることができるか
一瞬、そうかな?とも思う。が、たぶん、ピュロンはこの後のことを
言いたいから、こんな問いを立てたのだろう。
1に関して、まず、ピュロンは、事物の本性をわれわれは
知ることができないとした。これは、感覚は、事物がどう
見えるのか、感じられるのかを教えはしても、事物そのものの
本性を伝えはしないから、であるそうだ。
これは我々の感覚としても、光は単に光子が反射しているだけ
だし、音は空気の振動だし。というところで理解できる考え方。
ピュロンは何より、いろいろなものに対しての考え方、学説が
いくつも乱立することが、このことを如実に証明していると
した。確かに、リゾーマタとかアトムとか、イデアとかウーシア
とか、事物の本性がどうなっているのか人間に直接分かるなら
こんな学派の乱立はないはずである。
よって、人間は事物の本性を知ることなどできないことが
分かるから、判断停止(エポケー)こそが、人間の事物にたいする
正しい態度、だとしたのである。
善も悪も、生も死も、どうなっているのか分からない、直接認識
できないから学派が乱立するのであって、認識できないものは
認識できないと割り切るべき。それに対しては何も考えないことと
する。そうすれば、一切の無駄な悩みが消え、その付随現象として、
形に影のそうごとく、心の平静(アタラクシア)にいたることが
できる、これがピュロンの考え方だった。
なんか、現世主義度というか、そういう尺度を勝手につくれば
ストア派〜エピクロス派〜懐疑派という順で、それが高くなって
いくね。現代でも、リアリストを自認する人は、こんな考え方
してそうだ。
これが古懐疑派の考え方です。その2につづく。
う〜む
2004年7月21日結局人間は欲望にしたがって生きるんだよ、とか
愛とか正義とか、全部幻想だよ、とか
感覚でしか物事わからないんだから、確かなものなんかないよ、とか
すべてのものは相対化されうるんだから、意味なんて無い、とか
この世は結局、物理法則に従うだけの、決定された無機質な
四次元の固体だよ、とか
けっこう、子供のころ(と、いっても、高校〜大学含むが)に、
世の中わかった気になって、思ったものです。
けど、こんなことは、紀元前の哲学者にとっても、ずいぶんと昔に
通過済みの話だったのだなぁ、なんて思う。
と同時に、いつの時代も、人間考えることは一緒だななんて
思ったりする。哲学史読んでて、自分の考えてたことと合致する
ことが見つかると、わが意を得たりと思って少しうれしくなりますな。
もうだうぶ遅くなってしまったが、絵を描かないと。
愛とか正義とか、全部幻想だよ、とか
感覚でしか物事わからないんだから、確かなものなんかないよ、とか
すべてのものは相対化されうるんだから、意味なんて無い、とか
この世は結局、物理法則に従うだけの、決定された無機質な
四次元の固体だよ、とか
けっこう、子供のころ(と、いっても、高校〜大学含むが)に、
世の中わかった気になって、思ったものです。
けど、こんなことは、紀元前の哲学者にとっても、ずいぶんと昔に
通過済みの話だったのだなぁ、なんて思う。
と同時に、いつの時代も、人間考えることは一緒だななんて
思ったりする。哲学史読んでて、自分の考えてたことと合致する
ことが見つかると、わが意を得たりと思って少しうれしくなりますな。
もうだうぶ遅くなってしまったが、絵を描かないと。
≪ギリシャ哲学(11)−エピクロス派について<その2>−≫
2004年7月20日<その1からつづき>
人間にとって確かなものは感覚のみ。
感覚のみであるから、どこかにある絶対善をめがけることも
なければ、神に奉仕することが善とすることもありえない。
基準は快・不快である。快は善であり、不快は悪である。
このへんは、アリスティッポスと同じ。
ストア派では倫理的な徳がすなわち最高の善であったの対して
エピクロス派では、快こそが善、となっている。
いわく、「もし私が味覚の快を遠ざけ、性愛の快を遠ざけ、聴覚の快を
遠ざけ、さらにまた形姿によって視覚におこる快なる感動をおも
遠ざけるならば、何を善いものと考えてよいか、この私には
わからない」。
反対意見も言えそうではあるが、ここはエピクロスの意図するところ
をつかんでおこう。イデアのような最高善を認めると、また
神やら絶対の世界やらが構築されてしまうからである。
さて、では、この快楽主義から、アリスティッポスみたいな、
色と欲を求めることを至上とする価値観が導き出されてしまう
のでは?とも思えるが、実際は、快楽主義という言葉から
想像されるものとは、ちょっと趣を異にしているようだ。
彼は、快を積極的、動的なものと、消極的、静的なものとに分けて
捉えたが、しかしどちらも快であることには違いないし、
快である以上は善である。動的なものが悪、静的なものが善という
ことはないと考えた。どちらも快であるので、善である。
ただし、刹那的、一時的な快は、後になってその何倍もの苦痛が
かえってくるが、純粋で持続的な快は、長く持続する。例えば
肉体的な欲望は大抵刹那的であり、求め続ければ結果的に、
その何倍もの不幸をもたらすが、精神的な快は純粋で持続的で
あると考えた。
ここから、積極的、動的な肉体的快楽を避け、消極的、静的な
精神的快楽を求めることが、人生をもっとも幸福に過ごす道である
と、エピクロスは考えた。消極的というのは、言葉をかえれば
欲を求めるのではなく、苦痛を避けること、つまりは人間の体が求める
最低限の欲を満たすことだ。
アリスティッポスは、快(善)は強ければ強いほどいいと考えたゆえに
動的な欲ばかり求めたが、しかし彼は本当に幸福だっただろうか。
エピクロスは、こうした消極的な快のみを満たし、心に平静を保つ
ことが、身体において苦痛がなく、魂においてわずらいのない
やすらかな状態、「アタラクシア」を得るために必要だとした。
(ストア派では、パトスを排し切った状態を「アパテイア(非情)」と
言ってましたな)
このへんは、本当に仏教に似ている。アタラクシアは悟りの境地
とはまた少し違うようにも思える(というか、俺のような俗物が
語れることではないけど)けど、たとえば次のような話も、
仏教における「中道を歩め」の思想をほうふつとさせる。
エピクロスは「一切の善の初めであり、根であるのは胃袋の
快である」と言った。人間にとっての基本的な欲求は身体的な
快楽であると考えたわけだ。
身体的な欲求は刹那的であって、求めすぎると逆に不快を増すから
なるべく抑えたほうが、結果的により快を得られる。
しかし質素にも限度があるのであって、それを無視する人は、
過度の贅沢を求める人と同様に、過つとした。
これに限らずだが、いろいろと仏教のモチーフが見受けられる
気もする。成立年代は違うのだろうか?
ともあれ、その点で、ストア派の提唱したような禁欲主義を、彼は否定した。
さらに欲望は、つぎのみっつに分けられるとした。
・「自然的で、必修なもの」=食、飲、住、衣など、生存していく
うえで必要な欲で、これを無視するのは危険である。
・「自然的だが、必修でないもの」=贅沢な食事、つづけざまの
飲酒、婦女子と遊び戯れることなど。
・「自然的でも、必修でもないもの」=富、地位、名声など、
生存にかかわらない欲望であって、これらは空しい臆見(ドクサ)に
もとづくのである。
エピクロスは、最初の自然的かつ、必修な欲求さえ満たせばよい、
さらに、それらを満たすのは容易であると考えていた。それは
「至福な自然に感謝しよう。彼女は必要なものは容易に獲得される
ものとし、獲得しにくいものは不必要としたがゆえに」という
彼の言葉にも表れている。
少々楽観的ではあるかもしれない。容易に得られるものにしか
手を出さなくなるという危険もある、かも。
しかし、平静な状態を目指すのであるから、そういう考え方は
必要かもしれない。
またエピクロスは「飽くことを知らないのは胃袋ではなく、
胃袋についての誤った臆見(ドクサ)、胃袋はこれを満たすのに
際限なく必要とするという誤った臆見(ドクサ)である」といい、
欲望は満たせば満たすほど際限なく広がっていき、それは
どこまでいっても満足することがない、と言った。
そんなものを満たすために苦闘するよりも、それを無視した方が
いいと考えたのである。
これも仏教に出てくる言葉であるが、つまりは「足るを知る」、
ということ、真に満たすべき欲望はほんの少しであることを
知ること、これが幸福、アタラクシアへいたる道であると結論している。
そして、それを洞察するところに、哲学の存在意義があると
するのである。ある意味、極まっているかもしれない。
それについてのエピクロスの言葉で、昭和堂のほうに引用されている
言葉に、こんなものがある。
「水とパンで暮らしておれば、わたしは身体の快に満ち満ちている」
「飢えない、渇かない、寒くないが肉体の欲求であるが、
これらを満たさんとして満たすにいたれば、人はゼウスとさえ
幸福を競いうるであろう」
これを読んだ時は、少し感銘を受けた。
実際、エピクロスはほとんどパンと水だけで暮らしていたような
生活であったらしい。
また非常に人格者で、周りの尊敬をかち得ていたことも、
いくつもの異なった書物から明らかであるらしい。
なんというか、もう、ゴータマ・シッダールタを連想せずには
いられない。(少し調べたら、仏教の成立は紀元前5世紀ころで
あったようだから…といっても、このころこちらの世界と
交流はあったのだろうか。詳しくは知らないが、哲学史にも
言及が無いので、たぶんなかったのだろう)
また、エピクロスは生涯、健康にすぐれなかったらしいが、
最期の日に友人にあてた手紙には、早世(早死に)した弟子の
子供たちの面倒を自分にかわってみてくれるよう願う言葉とともに、
こう記されていたという。
「尿道や腹の病は重くて、激しさの度は減じないが、それにも
かかわらず、君とこれまでかわした対話の思い出で魂の喜びに
満ちあふれている」
死ぬ寸前まで、足ることを知っていた人だったということだろうか。
なかなか得がたい人格者であったようだ。
もはや哲学というよりは、人生論という感じもしないでもないが
これがエピクロス派の哲学であった。
本来、無意味な論理的つきつめではなくて、こういうのが
哲学のあるべき姿だろ、と思う人もいるかもしれないなぁ。
人間にとって確かなものは感覚のみ。
感覚のみであるから、どこかにある絶対善をめがけることも
なければ、神に奉仕することが善とすることもありえない。
基準は快・不快である。快は善であり、不快は悪である。
このへんは、アリスティッポスと同じ。
ストア派では倫理的な徳がすなわち最高の善であったの対して
エピクロス派では、快こそが善、となっている。
いわく、「もし私が味覚の快を遠ざけ、性愛の快を遠ざけ、聴覚の快を
遠ざけ、さらにまた形姿によって視覚におこる快なる感動をおも
遠ざけるならば、何を善いものと考えてよいか、この私には
わからない」。
反対意見も言えそうではあるが、ここはエピクロスの意図するところ
をつかんでおこう。イデアのような最高善を認めると、また
神やら絶対の世界やらが構築されてしまうからである。
さて、では、この快楽主義から、アリスティッポスみたいな、
色と欲を求めることを至上とする価値観が導き出されてしまう
のでは?とも思えるが、実際は、快楽主義という言葉から
想像されるものとは、ちょっと趣を異にしているようだ。
彼は、快を積極的、動的なものと、消極的、静的なものとに分けて
捉えたが、しかしどちらも快であることには違いないし、
快である以上は善である。動的なものが悪、静的なものが善という
ことはないと考えた。どちらも快であるので、善である。
ただし、刹那的、一時的な快は、後になってその何倍もの苦痛が
かえってくるが、純粋で持続的な快は、長く持続する。例えば
肉体的な欲望は大抵刹那的であり、求め続ければ結果的に、
その何倍もの不幸をもたらすが、精神的な快は純粋で持続的で
あると考えた。
ここから、積極的、動的な肉体的快楽を避け、消極的、静的な
精神的快楽を求めることが、人生をもっとも幸福に過ごす道である
と、エピクロスは考えた。消極的というのは、言葉をかえれば
欲を求めるのではなく、苦痛を避けること、つまりは人間の体が求める
最低限の欲を満たすことだ。
アリスティッポスは、快(善)は強ければ強いほどいいと考えたゆえに
動的な欲ばかり求めたが、しかし彼は本当に幸福だっただろうか。
エピクロスは、こうした消極的な快のみを満たし、心に平静を保つ
ことが、身体において苦痛がなく、魂においてわずらいのない
やすらかな状態、「アタラクシア」を得るために必要だとした。
(ストア派では、パトスを排し切った状態を「アパテイア(非情)」と
言ってましたな)
このへんは、本当に仏教に似ている。アタラクシアは悟りの境地
とはまた少し違うようにも思える(というか、俺のような俗物が
語れることではないけど)けど、たとえば次のような話も、
仏教における「中道を歩め」の思想をほうふつとさせる。
エピクロスは「一切の善の初めであり、根であるのは胃袋の
快である」と言った。人間にとっての基本的な欲求は身体的な
快楽であると考えたわけだ。
身体的な欲求は刹那的であって、求めすぎると逆に不快を増すから
なるべく抑えたほうが、結果的により快を得られる。
しかし質素にも限度があるのであって、それを無視する人は、
過度の贅沢を求める人と同様に、過つとした。
これに限らずだが、いろいろと仏教のモチーフが見受けられる
気もする。成立年代は違うのだろうか?
ともあれ、その点で、ストア派の提唱したような禁欲主義を、彼は否定した。
さらに欲望は、つぎのみっつに分けられるとした。
・「自然的で、必修なもの」=食、飲、住、衣など、生存していく
うえで必要な欲で、これを無視するのは危険である。
・「自然的だが、必修でないもの」=贅沢な食事、つづけざまの
飲酒、婦女子と遊び戯れることなど。
・「自然的でも、必修でもないもの」=富、地位、名声など、
生存にかかわらない欲望であって、これらは空しい臆見(ドクサ)に
もとづくのである。
エピクロスは、最初の自然的かつ、必修な欲求さえ満たせばよい、
さらに、それらを満たすのは容易であると考えていた。それは
「至福な自然に感謝しよう。彼女は必要なものは容易に獲得される
ものとし、獲得しにくいものは不必要としたがゆえに」という
彼の言葉にも表れている。
少々楽観的ではあるかもしれない。容易に得られるものにしか
手を出さなくなるという危険もある、かも。
しかし、平静な状態を目指すのであるから、そういう考え方は
必要かもしれない。
またエピクロスは「飽くことを知らないのは胃袋ではなく、
胃袋についての誤った臆見(ドクサ)、胃袋はこれを満たすのに
際限なく必要とするという誤った臆見(ドクサ)である」といい、
欲望は満たせば満たすほど際限なく広がっていき、それは
どこまでいっても満足することがない、と言った。
そんなものを満たすために苦闘するよりも、それを無視した方が
いいと考えたのである。
これも仏教に出てくる言葉であるが、つまりは「足るを知る」、
ということ、真に満たすべき欲望はほんの少しであることを
知ること、これが幸福、アタラクシアへいたる道であると結論している。
そして、それを洞察するところに、哲学の存在意義があると
するのである。ある意味、極まっているかもしれない。
それについてのエピクロスの言葉で、昭和堂のほうに引用されている
言葉に、こんなものがある。
「水とパンで暮らしておれば、わたしは身体の快に満ち満ちている」
「飢えない、渇かない、寒くないが肉体の欲求であるが、
これらを満たさんとして満たすにいたれば、人はゼウスとさえ
幸福を競いうるであろう」
これを読んだ時は、少し感銘を受けた。
実際、エピクロスはほとんどパンと水だけで暮らしていたような
生活であったらしい。
また非常に人格者で、周りの尊敬をかち得ていたことも、
いくつもの異なった書物から明らかであるらしい。
なんというか、もう、ゴータマ・シッダールタを連想せずには
いられない。(少し調べたら、仏教の成立は紀元前5世紀ころで
あったようだから…といっても、このころこちらの世界と
交流はあったのだろうか。詳しくは知らないが、哲学史にも
言及が無いので、たぶんなかったのだろう)
また、エピクロスは生涯、健康にすぐれなかったらしいが、
最期の日に友人にあてた手紙には、早世(早死に)した弟子の
子供たちの面倒を自分にかわってみてくれるよう願う言葉とともに、
こう記されていたという。
「尿道や腹の病は重くて、激しさの度は減じないが、それにも
かかわらず、君とこれまでかわした対話の思い出で魂の喜びに
満ちあふれている」
死ぬ寸前まで、足ることを知っていた人だったということだろうか。
なかなか得がたい人格者であったようだ。
もはや哲学というよりは、人生論という感じもしないでもないが
これがエピクロス派の哲学であった。
本来、無意味な論理的つきつめではなくて、こういうのが
哲学のあるべき姿だろ、と思う人もいるかもしれないなぁ。
≪ギリシャ哲学(11)−エピクロス派について<その1>−≫
2004年7月20日つぎ、エピクロス派にはいります。
ここからアウグスティヌスまで(デカルトまで?)、長い間
哲学の学派の様々な各主張が入り乱れていたというだけあって、
このあともしばらく、ビッグネームではなくて学派の紹介が
つづきます。懐疑派、新プラトン派、などなど。
まあ、今でも、ポストモダンとか分析哲学、プラグマティズム
とか、哲学でも学派が分かれてるみたいですけどね。よく知らない
けど。いかん、また蛇足が。
ゼノンがアテナイに学校開いたのと同じ頃に、後に「エピクロスの
園」と呼ばれ有名になった庭園で、教えを広めていた人がいた。
それがエピクロス(B.C.341頃〜B.C.270頃)である。
彼は、乞われれば娼婦や奴隷にも門戸を開く学校をつくった
そうだ。機会均等ですな、いいですね。
ストア派のところでは書き忘れていたけど、実はこのころ、
ポリスの時代が終焉を迎えたそうだ。ヘレニズム時代らしいですね、
このころ。アテナイとスパルタが戦争に負けたか何かして、
ポリスの存在意義がうすれてきたとか。ちょっとよく知らないが。
今まで、ポリスの民としていかに生きるか、を目指して皆生きて
きたのに、これから何を目標に生きていったらいいのか?
足元がぐらつくような感覚があったようだ。
いいようのない不安にたいして、哲学がそれに救いの手を
さしのべる必要があったことは想像にかたくない。
それのひとつがストア派だったわけだけど、彼らは、世の中の
俗なものに心を動かされず、理性のみを頼りに徳を得ることが
可能であることを示そうとした、といえる。ただ厳格すぎて、
あまり受け入れられなかったみたいだけど。
さて、ではエピクロス派は、どんな主張をして、人々を救おうと
したのか。
彼はひとつには、哲学は世の役に立たねば意味が無いと考えた。
「人間のどんな苦悩も癒さないような哲学者のことばは空しい。
なぜなら身体から病気を追い払わない医術が何の役にも立たない
ように、哲学も、もしそれが魂の苦悩を癒さないなら、何の役にも
立たないからである」
と、言っていたそうだ。これは、現代でもうなずく人が多いのでは?
ストア派も、割と現代の潔癖な人、プラトニスト(?)の人には
受けがいいと思うけど、これも現世主義的な人にはうけよさそう。
また、彼は快楽主義をむねとした。
快楽主義のさきがけとしては、ソクラテスの弟子にアリスティッポスって
人がいて。この世に確かなのは感覚のみであるから、快は善、
不快は悪であるとして、ソクラテスの「よく生きよ」を「快く
生きよ」だと解釈して、色に欲にふけり、とにかくおのれの
快楽のために、したたかに人生をおくったそうだけど、
エピクロスはそれとは違う。
・哲学は、人間の苦悩を取り払うために役立たねばならない
・人間において、快こそが至上価値である
このふたつが大きな主張。また改めて、ポリスの人々に救いの手を
差し伸べる目的で、こういった考え方が提出された、ということを
記憶しておいて、ここからエピクロスの主張をみていこう。
まず彼は、基本的に唯物論者というか、近い発想をしている。
身体も魂も、デモクリトスの考えたような「原子」によって
出来ており、それが全てなくなるのが死である、とした。
しかし決定論者ではなくて、そこには自由や偶然性が
見られる、と主張もしていたようだ。これによって、まず
そのころ人々をおびやかしていた宿命論をしりぞけたとか。
また、彼は知識の基盤は「感覚」であって、何かが正しいか
否かというのは、知覚によって確かめられる、とした。
(つまり、認識の前提となるイデアなどを認めてないね)
かなりシンプルな世界観、認識論だ。
これは、時代背景と、哲学は有用でなくてはならない、という
観点からくるものだ。
世界は宿命によって決定づけられてはおらず、また個々人の
自由も保障されている。加えてすべては原子からできているから、
死など恐れる必要はない。なぜなら魂も原子で出来ているから、
死ぬことは魂が霧散することであり、何も感じなくなることだから
である。
「死はじつはわれわれにとって何ものでもないのです。なぜかといえば、
われわれが存する限り、死は現に存せず、死が現に存するときには、
もはやわれわれは存しないのですから」。
割と有名な言葉っぽいけど、エピクロスが言ったことらしい。
あと、神による宿命論もしりぞける必要があったので、神については
彼はこういっている。
神はもっとも小さな原子であり、世界と世界とへだてる、
中間世界において至福の生をおくっているのであって、いちいち
小さな人間のことなど、神は気にかけたりしない。
神が人間などに関心をもち、人間に禍を下したり、恩恵を
与えたりするなどと主張することこそ、神に対する不敬なのである。
「多くの人々の信じている神々を否認する人々が不敬なのではなく、
かえって多くの人々の抱いている臆見を神々におしつける人々が
不敬なのです」と言ったそうだ。
唯物論的な世界観と自由意志プラス、さらにこういった
神に対する認識から、人々の不安を取り除こうとしたわけである。
で、不安を取り除いたはいいが、どうやって幸福を求めたら
いいのか?これが、感覚のみを基盤とする彼の認識論から
答えられることになる。
ちょっと長くなったのでその2にいきます。
ここからアウグスティヌスまで(デカルトまで?)、長い間
哲学の学派の様々な各主張が入り乱れていたというだけあって、
このあともしばらく、ビッグネームではなくて学派の紹介が
つづきます。懐疑派、新プラトン派、などなど。
まあ、今でも、ポストモダンとか分析哲学、プラグマティズム
とか、哲学でも学派が分かれてるみたいですけどね。よく知らない
けど。いかん、また蛇足が。
ゼノンがアテナイに学校開いたのと同じ頃に、後に「エピクロスの
園」と呼ばれ有名になった庭園で、教えを広めていた人がいた。
それがエピクロス(B.C.341頃〜B.C.270頃)である。
彼は、乞われれば娼婦や奴隷にも門戸を開く学校をつくった
そうだ。機会均等ですな、いいですね。
ストア派のところでは書き忘れていたけど、実はこのころ、
ポリスの時代が終焉を迎えたそうだ。ヘレニズム時代らしいですね、
このころ。アテナイとスパルタが戦争に負けたか何かして、
ポリスの存在意義がうすれてきたとか。ちょっとよく知らないが。
今まで、ポリスの民としていかに生きるか、を目指して皆生きて
きたのに、これから何を目標に生きていったらいいのか?
足元がぐらつくような感覚があったようだ。
いいようのない不安にたいして、哲学がそれに救いの手を
さしのべる必要があったことは想像にかたくない。
それのひとつがストア派だったわけだけど、彼らは、世の中の
俗なものに心を動かされず、理性のみを頼りに徳を得ることが
可能であることを示そうとした、といえる。ただ厳格すぎて、
あまり受け入れられなかったみたいだけど。
さて、ではエピクロス派は、どんな主張をして、人々を救おうと
したのか。
彼はひとつには、哲学は世の役に立たねば意味が無いと考えた。
「人間のどんな苦悩も癒さないような哲学者のことばは空しい。
なぜなら身体から病気を追い払わない医術が何の役にも立たない
ように、哲学も、もしそれが魂の苦悩を癒さないなら、何の役にも
立たないからである」
と、言っていたそうだ。これは、現代でもうなずく人が多いのでは?
ストア派も、割と現代の潔癖な人、プラトニスト(?)の人には
受けがいいと思うけど、これも現世主義的な人にはうけよさそう。
また、彼は快楽主義をむねとした。
快楽主義のさきがけとしては、ソクラテスの弟子にアリスティッポスって
人がいて。この世に確かなのは感覚のみであるから、快は善、
不快は悪であるとして、ソクラテスの「よく生きよ」を「快く
生きよ」だと解釈して、色に欲にふけり、とにかくおのれの
快楽のために、したたかに人生をおくったそうだけど、
エピクロスはそれとは違う。
・哲学は、人間の苦悩を取り払うために役立たねばならない
・人間において、快こそが至上価値である
このふたつが大きな主張。また改めて、ポリスの人々に救いの手を
差し伸べる目的で、こういった考え方が提出された、ということを
記憶しておいて、ここからエピクロスの主張をみていこう。
まず彼は、基本的に唯物論者というか、近い発想をしている。
身体も魂も、デモクリトスの考えたような「原子」によって
出来ており、それが全てなくなるのが死である、とした。
しかし決定論者ではなくて、そこには自由や偶然性が
見られる、と主張もしていたようだ。これによって、まず
そのころ人々をおびやかしていた宿命論をしりぞけたとか。
また、彼は知識の基盤は「感覚」であって、何かが正しいか
否かというのは、知覚によって確かめられる、とした。
(つまり、認識の前提となるイデアなどを認めてないね)
かなりシンプルな世界観、認識論だ。
これは、時代背景と、哲学は有用でなくてはならない、という
観点からくるものだ。
世界は宿命によって決定づけられてはおらず、また個々人の
自由も保障されている。加えてすべては原子からできているから、
死など恐れる必要はない。なぜなら魂も原子で出来ているから、
死ぬことは魂が霧散することであり、何も感じなくなることだから
である。
「死はじつはわれわれにとって何ものでもないのです。なぜかといえば、
われわれが存する限り、死は現に存せず、死が現に存するときには、
もはやわれわれは存しないのですから」。
割と有名な言葉っぽいけど、エピクロスが言ったことらしい。
あと、神による宿命論もしりぞける必要があったので、神については
彼はこういっている。
神はもっとも小さな原子であり、世界と世界とへだてる、
中間世界において至福の生をおくっているのであって、いちいち
小さな人間のことなど、神は気にかけたりしない。
神が人間などに関心をもち、人間に禍を下したり、恩恵を
与えたりするなどと主張することこそ、神に対する不敬なのである。
「多くの人々の信じている神々を否認する人々が不敬なのではなく、
かえって多くの人々の抱いている臆見を神々におしつける人々が
不敬なのです」と言ったそうだ。
唯物論的な世界観と自由意志プラス、さらにこういった
神に対する認識から、人々の不安を取り除こうとしたわけである。
で、不安を取り除いたはいいが、どうやって幸福を求めたら
いいのか?これが、感覚のみを基盤とする彼の認識論から
答えられることになる。
ちょっと長くなったのでその2にいきます。
きのうときょうの日記
2004年7月20日菰智(何とお読みしたらいいんでしょう?こち?)様、相互リンクさせて
いただきました<(_ _)>
きのうはアレ、バイトが朝9時出発〜夜23時までありまして…
帰ってきたのが翌0時30分。しかも、それから今日提出の課題が
あり、朝5時までおきてやってました…んでも悩んでばっかで
全然たいしたものがつくれなかったけど。ほんとヘボい。
んで、日記を書く余裕がなかったっす。。
きょうは、HALの最後の授業でした。出席・課題ともに、
欠席・未提出はゼロ。後期もこの調子でがんがる(~-~)ノ
最後の授業ですから、いまから9/1まで夏休み。
夏休みの目標
1.絵を一日最低一枚、漫画とかCGとか
2.なんとか哲学史をまとめきり、この日記で原著を
読んでいく。
3.ピアノ、バイエル3くらいは終わっときたい
4.基本情報技術者の勉強しとく(受験3回目だ…)
1がミソですな。
2は、原著…予定としては、プラトン(ソクラテス)、
アリストテレスを少しやって…アウグスティヌスとか
トマス・アクィナス、オッカムとか読んでおいたほうが
いいかなあ。アウグスティヌスあたりで夏休み終わりそうだ。
3と4は…毎日1時間くらいやるしかない。さっきバイエル2
弾いたけど、わりと慣れてきた。
あと、バイトとかで一日潰れる場合。3と4はやれないことが
多いし、2もできないことがあるかも。
まあ、いいか。どうせ計画通りにはいかない(’o`)
<今日読んだ哲学本>
また別の本に手を出して。竹田さんの「ハイデガー入門」です。
ヘーゲルとデリダまだ途中なんだけどな〜
まあ、これとデリダはすぐ読めるでしょう。
いただきました<(_ _)>
きのうはアレ、バイトが朝9時出発〜夜23時までありまして…
帰ってきたのが翌0時30分。しかも、それから今日提出の課題が
あり、朝5時までおきてやってました…んでも悩んでばっかで
全然たいしたものがつくれなかったけど。ほんとヘボい。
んで、日記を書く余裕がなかったっす。。
きょうは、HALの最後の授業でした。出席・課題ともに、
欠席・未提出はゼロ。後期もこの調子でがんがる(~-~)ノ
最後の授業ですから、いまから9/1まで夏休み。
夏休みの目標
1.絵を一日最低一枚、漫画とかCGとか
2.なんとか哲学史をまとめきり、この日記で原著を
読んでいく。
3.ピアノ、バイエル3くらいは終わっときたい
4.基本情報技術者の勉強しとく(受験3回目だ…)
1がミソですな。
2は、原著…予定としては、プラトン(ソクラテス)、
アリストテレスを少しやって…アウグスティヌスとか
トマス・アクィナス、オッカムとか読んでおいたほうが
いいかなあ。アウグスティヌスあたりで夏休み終わりそうだ。
3と4は…毎日1時間くらいやるしかない。さっきバイエル2
弾いたけど、わりと慣れてきた。
あと、バイトとかで一日潰れる場合。3と4はやれないことが
多いし、2もできないことがあるかも。
まあ、いいか。どうせ計画通りにはいかない(’o`)
<今日読んだ哲学本>
また別の本に手を出して。竹田さんの「ハイデガー入門」です。
ヘーゲルとデリダまだ途中なんだけどな〜
まあ、これとデリダはすぐ読めるでしょう。
≪ギリシャ哲学(10)−ストア派について<その2>−≫
2004年7月18日<その1からつづき>
さていつも余談をしてしまうけど、人間て、何かものごとを
割り切って考えることが好きだと思う。
たとえば、「他人なんか信用しない」と考える人は、ほとんど
他人を信用しないって方針を固めてしまって生活するように
なる。
本当は、ケースバイケースなんだけどね。信用できる他人だって
いるだろうし、これはちょっと信用するのは無理、って人も
いる。知ってみないと、分からないんです。
でも、大学の心理学の講義で習ったことには、人間は、認識に
費やす労力を「節約する」動物なんだそうです。ある程度の
ステレオタイプをつねに物事にあてはめていて、それで、
いちいち厳密に判断する無駄を省く、と。
不思議なことに、人間て、自分が考え出した「正しい考え方」に、
自分の生き方を引っ張られてしまうような生物なんだよね。
自分を省みるに、本当そう思う。
実際はね。何か正しい考え方を見つけて、それをすべてに当てはめる
のじゃなくて、何においても外せないような「考え方の原理」を
手に入れることが、肝要なのだけどね。(これも竹田さんの受けうりだが)
なんでこんな話をしたかって、このストア派のゼノンも、割と
似たような感じだな、なんて思ったから。
実際、ゼノンでなくても、たとえば、「女性との交流なんてカラダが
目的だよ」とか「恋愛はプラトニックなものが理想だ(プラトニック
って、プラトンが語源なんです実は)」とか、極論にはしって、
それがさも真理であるかのように言っている人は多い。
明らかな二項対立であって、どっちが正しいなんて言えない
わけだけどね。
あぁ、また余談で埋まる。ストア派の思想を書きます。
考え方は基本的にキニク派とかわらないと言ったけど、「自然」
にしたがって生きるのが「賢者」であるというところは同じ。
ここまでは同じだけど、ストア派では、この「自然」を、
人間の「理性」にしたがって生きることだと考えた。
なぜ、そうなるのか?
まずストア派は、この世に存在するものは、すべてそこに
感じられるもののみなのであって、形相とかイデアなどは実体では
ないと考えた。そこにあるもののみが物質、それ以上はなにも
ない。
じゃあ人間が共通の普遍的な理解をもつのが可能なのはなぜ?と
聞きたくなるが、まぁそこは流しておこう。
この考え方からすれば、魂も物体である。気息(=空気)の流れ
が魂なのであり、本当に物体以外何も存在していない。
今でいう、唯物論、唯物思想だ。
ちなみに、この世に心しかなく、世界は心が描いているだけのもの
というのは唯心論。両方あるってのが物心二元論。
ところで、この世に存在するのがアリストテレスの言うところの
質料、物体だけだとしても、物体は明らかに運動をおこなって
いる。この運動はどこからくるか?これを、ストア派では、
ヘラクレイトスにならって火であるとした。
この世は、造化(天地とその間に存在する万物をつくり出し、
育てること。また、その道理・それを行う神)の火がつくりだしている
のであって、個々の自然物はこの火によって順々に生み出されて
いく。
これは無限には続かず、そのうち、この造化の火によって世界は
焼き尽くされ、また同じ世界が繰り返される。ニーチェの永劫回帰の
先取りという感じだが、こういう世界観をもっていた。
しかしながら、そう考えていたにもかかわらず、この世は機械的な
ものとはゼノンは考えず、それ自身が精神なのであって、また、
この世界そのものが、この世界の秩序をあらわすもとになっている
「神」であると考えた。
それゆえ万物は神のあらわれであって、この世の全てに神が
宿っている。こういう考え方を汎神論という。日本の神道は
こういう考え方だよね。
こう考えたのはなぜかというと、ヘラクレイトスが万物の根源に
あってこの世を秩序づけるものを「ロゴス」と呼び、また、
このロゴスには人間の理性、言葉という意味があったからである。
ゼノンはこのふたつを同一視することで、こういった理論を
導き出した。
このように、自然は根源火の展開であるとされ、また、根源火
そのものが神、理性(ロゴス)であって、これに自然は秩序づけられている
と考え、また、人間も、本来の生き方としては、理性(ロゴス)に
従うことこそが本来の生き方だと考えたのである。
つまり、自然の本来の摂理に従うことが幸福である、と考えた
ということだろうか。
こうした自然の摂理…ようするに人間の理性なのだが、これに
従うことが自然と一体化することだと信じ、それに従わない
ことを悪とし、またどちらでもないものを「善悪どちらでもないもの」
「どうでもよいもの」(アディアボラ)とした。
思慮、正義、勇気、節制などが善であり、その反対は悪。
富とか名声などを投げ捨ててでもこれに従うのが自然の摂理で
あり、自然と一体化して生きねばならないとした。
だが人間に衝動があることは否定しようのない事実で、誰しもが
それに完璧に沿うこともまた不可能である。それはゼノンも
分かっていたようで、適度ならば自然的ではある、とした。
しかし、過度になってくると情念(パトス)となり、それは人間を
自然から逸脱させるとされた。特に、苦悩、恐怖、欲望、快楽の
四つの情念(パトス)を挙げているという。
これらのパトスを排し、いかなるパトスによっても影響される
ことのない、魂の不動の状態、アパテイア(非情)を人間の
精神の理想状態とした。
ストア派は極端な禁欲主義、厳格主義といわれるが、これを
見るとよくわかる。欲望をすべて排するべきというのだから…
こういう、人間の理性や言葉によって、日常の背後に隠される
真理に到達できるという考え方を、デリダは「ロゴス中心主義」
と呼んだそうだ。
考え方としては、けっこう魅力的ではあるが、実際自分がやる
となると無理くさいことはよくわかると思う。このあたりには
色々時代背景もひそんでいるとは思うが、少々極端にふれた
考え方だった。
さていつも余談をしてしまうけど、人間て、何かものごとを
割り切って考えることが好きだと思う。
たとえば、「他人なんか信用しない」と考える人は、ほとんど
他人を信用しないって方針を固めてしまって生活するように
なる。
本当は、ケースバイケースなんだけどね。信用できる他人だって
いるだろうし、これはちょっと信用するのは無理、って人も
いる。知ってみないと、分からないんです。
でも、大学の心理学の講義で習ったことには、人間は、認識に
費やす労力を「節約する」動物なんだそうです。ある程度の
ステレオタイプをつねに物事にあてはめていて、それで、
いちいち厳密に判断する無駄を省く、と。
不思議なことに、人間て、自分が考え出した「正しい考え方」に、
自分の生き方を引っ張られてしまうような生物なんだよね。
自分を省みるに、本当そう思う。
実際はね。何か正しい考え方を見つけて、それをすべてに当てはめる
のじゃなくて、何においても外せないような「考え方の原理」を
手に入れることが、肝要なのだけどね。(これも竹田さんの受けうりだが)
なんでこんな話をしたかって、このストア派のゼノンも、割と
似たような感じだな、なんて思ったから。
実際、ゼノンでなくても、たとえば、「女性との交流なんてカラダが
目的だよ」とか「恋愛はプラトニックなものが理想だ(プラトニック
って、プラトンが語源なんです実は)」とか、極論にはしって、
それがさも真理であるかのように言っている人は多い。
明らかな二項対立であって、どっちが正しいなんて言えない
わけだけどね。
あぁ、また余談で埋まる。ストア派の思想を書きます。
考え方は基本的にキニク派とかわらないと言ったけど、「自然」
にしたがって生きるのが「賢者」であるというところは同じ。
ここまでは同じだけど、ストア派では、この「自然」を、
人間の「理性」にしたがって生きることだと考えた。
なぜ、そうなるのか?
まずストア派は、この世に存在するものは、すべてそこに
感じられるもののみなのであって、形相とかイデアなどは実体では
ないと考えた。そこにあるもののみが物質、それ以上はなにも
ない。
じゃあ人間が共通の普遍的な理解をもつのが可能なのはなぜ?と
聞きたくなるが、まぁそこは流しておこう。
この考え方からすれば、魂も物体である。気息(=空気)の流れ
が魂なのであり、本当に物体以外何も存在していない。
今でいう、唯物論、唯物思想だ。
ちなみに、この世に心しかなく、世界は心が描いているだけのもの
というのは唯心論。両方あるってのが物心二元論。
ところで、この世に存在するのがアリストテレスの言うところの
質料、物体だけだとしても、物体は明らかに運動をおこなって
いる。この運動はどこからくるか?これを、ストア派では、
ヘラクレイトスにならって火であるとした。
この世は、造化(天地とその間に存在する万物をつくり出し、
育てること。また、その道理・それを行う神)の火がつくりだしている
のであって、個々の自然物はこの火によって順々に生み出されて
いく。
これは無限には続かず、そのうち、この造化の火によって世界は
焼き尽くされ、また同じ世界が繰り返される。ニーチェの永劫回帰の
先取りという感じだが、こういう世界観をもっていた。
しかしながら、そう考えていたにもかかわらず、この世は機械的な
ものとはゼノンは考えず、それ自身が精神なのであって、また、
この世界そのものが、この世界の秩序をあらわすもとになっている
「神」であると考えた。
それゆえ万物は神のあらわれであって、この世の全てに神が
宿っている。こういう考え方を汎神論という。日本の神道は
こういう考え方だよね。
こう考えたのはなぜかというと、ヘラクレイトスが万物の根源に
あってこの世を秩序づけるものを「ロゴス」と呼び、また、
このロゴスには人間の理性、言葉という意味があったからである。
ゼノンはこのふたつを同一視することで、こういった理論を
導き出した。
このように、自然は根源火の展開であるとされ、また、根源火
そのものが神、理性(ロゴス)であって、これに自然は秩序づけられている
と考え、また、人間も、本来の生き方としては、理性(ロゴス)に
従うことこそが本来の生き方だと考えたのである。
つまり、自然の本来の摂理に従うことが幸福である、と考えた
ということだろうか。
こうした自然の摂理…ようするに人間の理性なのだが、これに
従うことが自然と一体化することだと信じ、それに従わない
ことを悪とし、またどちらでもないものを「善悪どちらでもないもの」
「どうでもよいもの」(アディアボラ)とした。
思慮、正義、勇気、節制などが善であり、その反対は悪。
富とか名声などを投げ捨ててでもこれに従うのが自然の摂理で
あり、自然と一体化して生きねばならないとした。
だが人間に衝動があることは否定しようのない事実で、誰しもが
それに完璧に沿うこともまた不可能である。それはゼノンも
分かっていたようで、適度ならば自然的ではある、とした。
しかし、過度になってくると情念(パトス)となり、それは人間を
自然から逸脱させるとされた。特に、苦悩、恐怖、欲望、快楽の
四つの情念(パトス)を挙げているという。
これらのパトスを排し、いかなるパトスによっても影響される
ことのない、魂の不動の状態、アパテイア(非情)を人間の
精神の理想状態とした。
ストア派は極端な禁欲主義、厳格主義といわれるが、これを
見るとよくわかる。欲望をすべて排するべきというのだから…
こういう、人間の理性や言葉によって、日常の背後に隠される
真理に到達できるという考え方を、デリダは「ロゴス中心主義」
と呼んだそうだ。
考え方としては、けっこう魅力的ではあるが、実際自分がやる
となると無理くさいことはよくわかると思う。このあたりには
色々時代背景もひそんでいるとは思うが、少々極端にふれた
考え方だった。
≪ギリシャ哲学(10)−ストア派について<その1>−≫
2004年7月18日当然だが、哲学史がどのような歩みを経てきたのか、俺としてはまだ
詳しくつかみ切れない。とりあえず、紀元前に隆盛した、ギリシャ
哲学の三大ビッグネーム、ソクラテス・プラトン・アリストテレスは
語り終えた。
この三人と、そのほかの哲学者が、この後どう影響していくのか?
いつまで、影響力を大きく行使していたのか?まだ俺にはよく
わからない。アリストテレスにかんしては2000年といわれているが
物理学とか生物学はそうだとしても、哲学にかんしてはどうだろうか。
これも2000年だろうか。さあ、どうだろう。
また、時代背景もすごく影響している。
キリスト教、イスラム教の元となったユダヤ教が生まれたのは、
ユダヤ人が古来からずっと、ほかの勢力のある民族に圧制を
布かれていたからだという背景があるそうだ。
自分で一から考え直し、権威にすがったりせず、納得いく論理のみを
信用するという、哲学においてすら、そういう時代背景の影響は
非常に大きいと見るべきだと思う。
タレスがB.C.600年ごろで、ソクラテスがB.C.450年ごろ、
最後のアリストテレスがB.C.350年ごろ。
ここまでで大体300〜250年くらいの歳月が流れた。
世界史はまだ勉強していないので、このころどういったことが
あったのか、俺はよく知らない。けっこう痛いことだ。
ちなみに、次のストア派とか、エピクロス派とかに入ってくると
紀元後、A.D.になるまでほとんど哲学に大きな進展はなかったようで
ある。さきの三人のような、哲学界に衝撃をもたらすような
ビッグネームが出現しなかったということだろうか。
将棋のこまで言うと、金とか銀はいるが、飛車角がおらんかった
ということかも。
紀元後に最初にでてくるのは、アウグスティヌス。
なんかキリスト教関連で知っている人はいるだろうか。この人が
A.D.350年ごろの人である。で、その次のトマス・アクィナスに
なると、もう1250年ごろになる。この空白の900年間は一体?
と思うが、世界史的に、ギリシャ哲学になんの進展も無かった
何か要因があるのかもしれない。
また、アジアなどの哲学はそのころも発展はしていたかもしれない。
とりあえず、アリストテレス没後の西洋哲学においては、おそらく
この後に紹介するストア派などの各派閥と、あるいはキリスト教
哲学の、ふたつの考え方が支配的(支配的という意味では、
たぶんキリスト教は強力だっただろうなあ)だったのではないか
と思う。
デカルトの登場までは、三人のビッグネームの再解釈か、
もしくはキリスト教とギリシャ哲学の調停が、哲学であった
という面があるようだ。
蛇足ですた。ストア派にはいります。
ストア派の創始者はゼノン(B.C.335頃〜B.C.263頃)。
ちょっと前に、パルメニデスの主張をいっしょうけんめい補強しようと
してた、「アキレスと亀」のパラドックスを作ったエレア派の
ゼノンて人がいたけど、もちろん別人。
彼は最初、キニク派のクラテスって人の弟子になった。
キニク派とは何か。ここでちょっと時代は戻るけど、ソクラテスの
ところで、プラトン以外にも弟子がいたことにもちょっと触れました。
プラトン以外の人もさまざまな説をあげていて、それぞれが
ソクラテスの哲学を自分流に解釈していた。そのひとつが、
キニク派だったわけです。
(ちなみに、これは昭和堂の詳しいほうには出てこない学派。
哲学史、真剣に取り組むと無数に学派が見つかりそうですな)
このキニク派の主張はちょっとおかしくて、「人間にとって
重要なのは幸福に生きることだ」というソクラテスの教えを、
「人間は自然にしたがって生きるべき」という考えに発展させ、
人為(人間の力でつくったもの)を徹底的に嫌い、ボロの布切れ
一枚をまとって、キニク(犬のような、恥知らずの)生活を送った
という。
世間一般に通用するような権威や富とか価値観を、徹底的に
皮肉るこのような態度を、のちにシニシズムと呼ぶようになった。
キニク派のなかでもディオゲネスって人は、「犬のディオゲネス」
と呼ばれ、酒樽に住むという徹底振りだったとか。
ただ、わりとこの人たちは町の人に好かれていたらしい。
いまはホームレスって疎まれる時代なのにね。
で、ゼノンは弟子だから、その境地を目指したのかどうか、
といえば、考え方は近いものをもっていたが、そこまで生活を
人為から切り離すのは間違ってると考えた。
結局、キニク派が否定した「学問」をすれば、その考え方から
一歩踏み出せると思い、これもソクラテスのひとつの解釈である
メガラ派のスティルポンて人に従事したという。
そしてその後、ゼノンはストア・ポインキレー(彩色柱廊)で
講義をはじめたことから、ストア派と呼ばれるそうだ。
ちなみに、ストア派にも、前、中、後があって、ゼノンはもちろん
前ストア派だ。けっこうストア派は息が長かったらしく、A.D.150年
ころの、マルクス・アウレリウス帝に至るまで続いたらしい。
さて、哲学史の敷衍と余談でその1が埋まってしまった。
その2で軽く思想をみていきます。
詳しくつかみ切れない。とりあえず、紀元前に隆盛した、ギリシャ
哲学の三大ビッグネーム、ソクラテス・プラトン・アリストテレスは
語り終えた。
この三人と、そのほかの哲学者が、この後どう影響していくのか?
いつまで、影響力を大きく行使していたのか?まだ俺にはよく
わからない。アリストテレスにかんしては2000年といわれているが
物理学とか生物学はそうだとしても、哲学にかんしてはどうだろうか。
これも2000年だろうか。さあ、どうだろう。
また、時代背景もすごく影響している。
キリスト教、イスラム教の元となったユダヤ教が生まれたのは、
ユダヤ人が古来からずっと、ほかの勢力のある民族に圧制を
布かれていたからだという背景があるそうだ。
自分で一から考え直し、権威にすがったりせず、納得いく論理のみを
信用するという、哲学においてすら、そういう時代背景の影響は
非常に大きいと見るべきだと思う。
タレスがB.C.600年ごろで、ソクラテスがB.C.450年ごろ、
最後のアリストテレスがB.C.350年ごろ。
ここまでで大体300〜250年くらいの歳月が流れた。
世界史はまだ勉強していないので、このころどういったことが
あったのか、俺はよく知らない。けっこう痛いことだ。
ちなみに、次のストア派とか、エピクロス派とかに入ってくると
紀元後、A.D.になるまでほとんど哲学に大きな進展はなかったようで
ある。さきの三人のような、哲学界に衝撃をもたらすような
ビッグネームが出現しなかったということだろうか。
将棋のこまで言うと、金とか銀はいるが、飛車角がおらんかった
ということかも。
紀元後に最初にでてくるのは、アウグスティヌス。
なんかキリスト教関連で知っている人はいるだろうか。この人が
A.D.350年ごろの人である。で、その次のトマス・アクィナスに
なると、もう1250年ごろになる。この空白の900年間は一体?
と思うが、世界史的に、ギリシャ哲学になんの進展も無かった
何か要因があるのかもしれない。
また、アジアなどの哲学はそのころも発展はしていたかもしれない。
とりあえず、アリストテレス没後の西洋哲学においては、おそらく
この後に紹介するストア派などの各派閥と、あるいはキリスト教
哲学の、ふたつの考え方が支配的(支配的という意味では、
たぶんキリスト教は強力だっただろうなあ)だったのではないか
と思う。
デカルトの登場までは、三人のビッグネームの再解釈か、
もしくはキリスト教とギリシャ哲学の調停が、哲学であった
という面があるようだ。
蛇足ですた。ストア派にはいります。
ストア派の創始者はゼノン(B.C.335頃〜B.C.263頃)。
ちょっと前に、パルメニデスの主張をいっしょうけんめい補強しようと
してた、「アキレスと亀」のパラドックスを作ったエレア派の
ゼノンて人がいたけど、もちろん別人。
彼は最初、キニク派のクラテスって人の弟子になった。
キニク派とは何か。ここでちょっと時代は戻るけど、ソクラテスの
ところで、プラトン以外にも弟子がいたことにもちょっと触れました。
プラトン以外の人もさまざまな説をあげていて、それぞれが
ソクラテスの哲学を自分流に解釈していた。そのひとつが、
キニク派だったわけです。
(ちなみに、これは昭和堂の詳しいほうには出てこない学派。
哲学史、真剣に取り組むと無数に学派が見つかりそうですな)
このキニク派の主張はちょっとおかしくて、「人間にとって
重要なのは幸福に生きることだ」というソクラテスの教えを、
「人間は自然にしたがって生きるべき」という考えに発展させ、
人為(人間の力でつくったもの)を徹底的に嫌い、ボロの布切れ
一枚をまとって、キニク(犬のような、恥知らずの)生活を送った
という。
世間一般に通用するような権威や富とか価値観を、徹底的に
皮肉るこのような態度を、のちにシニシズムと呼ぶようになった。
キニク派のなかでもディオゲネスって人は、「犬のディオゲネス」
と呼ばれ、酒樽に住むという徹底振りだったとか。
ただ、わりとこの人たちは町の人に好かれていたらしい。
いまはホームレスって疎まれる時代なのにね。
で、ゼノンは弟子だから、その境地を目指したのかどうか、
といえば、考え方は近いものをもっていたが、そこまで生活を
人為から切り離すのは間違ってると考えた。
結局、キニク派が否定した「学問」をすれば、その考え方から
一歩踏み出せると思い、これもソクラテスのひとつの解釈である
メガラ派のスティルポンて人に従事したという。
そしてその後、ゼノンはストア・ポインキレー(彩色柱廊)で
講義をはじめたことから、ストア派と呼ばれるそうだ。
ちなみに、ストア派にも、前、中、後があって、ゼノンはもちろん
前ストア派だ。けっこうストア派は息が長かったらしく、A.D.150年
ころの、マルクス・アウレリウス帝に至るまで続いたらしい。
さて、哲学史の敷衍と余談でその1が埋まってしまった。
その2で軽く思想をみていきます。
きょうは
2004年7月18日図書館に本をかえしにいきます。いま3件ハシゴしてて、
10冊以上本借りてる…当然ながら、読みきれてない。
半分くらいしか読めなかったので…読みたいのだけ
継続して借りよう。なんか図書館、行くたびに何か借りたく
なっちゃうんよね〜…無限ループです。近所にあると
いいんだがなぁ。
さて行く前に軽くストア派とかについてまとめておくか。
<今日読んだ哲学本>
いまから哲学史をば…
10冊以上本借りてる…当然ながら、読みきれてない。
半分くらいしか読めなかったので…読みたいのだけ
継続して借りよう。なんか図書館、行くたびに何か借りたく
なっちゃうんよね〜…無限ループです。近所にあると
いいんだがなぁ。
さて行く前に軽くストア派とかについてまとめておくか。
<今日読んだ哲学本>
いまから哲学史をば…