うんー

2005年3月8日
人間、結局自分が大事。欲のために生きてる。陰では醜い
はず。

誰でも、中学生や高校生あたりで「行き着く」人間性に対する
考えで、俺もこの考えを思いついたときは、ひとつの真理を
考え付いたと思って調子に乗ったものだった。

割とこれが、その後も変わらない人が多いように個人的には
思う。

ほかにも、たとえば、結局深いところでは人と人は分かり合え
ないとか、「人間そういうもん」というひとつの諦めみたいな
考えに行き着いて、そのままという人が実に多い。

というのはまぁ、これがまずひとつの真理というか、正しい
考え方であるからであって、何も多くの人が間違っているとか
言いたいわけではない。

確かに人間の行動は、欲にすべて還元できる。何かをするのは
それをしたいからで例外はない。しかしそこで疑問がおこるのが、
それならばなぜ、良い悪い、美しい醜いなどの価値が存在するのか
ということだ。
要するに、あれをするのは良い悪い、こういう行いは美しい醜い
という「道徳規範」のようなものは、人間がただおのれのことを
考えるだけの生き物なら、構築される理由がない、ということだ。
(よく、「人間すべて欲」という考えにもとづいて、善意なんか
すべて偽善だ、と考える人が多い)

それが慣習的なものであるにせよ、人間には、色と欲「以外」という
より「その上」に、善悪や美醜などの価値基準を構築するもの
だ。つまり、行動すべてが欲に還元されるか否かにかかわらず
人間にとって、こういうことが美しい、良い、また悪い、醜い
という考えは歴然とあるのであって、「人間、結局全ては
おのれの欲のためにやってる」という言い方は、それらを
一挙にくくれはするが、区別について何も説明することはないの
だ。

そういう意味で、「人間、結局は・・・」などという、一種あきらめに
似た考え方は、まだ浅い。と思う。

人間は善悪美醜の価値基準をもつし、一種の幻想、ロマンを持って
その中で生きる。人間の行動すべてが欲によるとしても、
その欲がたとえば、倫理的行動、道徳的行動に向けられることも
あるのであって(ボランティアなどはよく偽善的などと言われる
が、別にそんなことはない)、「欲」は別に100%完全な利己的
行動につながるわけではない。

 
女性が抱く恋愛に対するロマンや、割と前向きな考え方をする人に
対するアイロニカル、ニヒルな態度を見ると、こんなような考え方を
背景に、どうにも違和感をおぼえる。

人間は、理想的な考え方をして何も問題あるわけじゃない。
実にそれは自然なことなのであって、「人間、結局は自分のため
・・」とかいう言い方で相対化されるようなものではない。

 
と、日頃思ってることをかいてみました。

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