「ソクラテス以前以後」のまとめがなかなか終わらず、
ヨタ話その2。

最近の日本のドラマについて。
最近の、といってもけっこう前からこんなもんと思うけども。

別にドラマについて詳しいわけではなくて。なんとなく見てる
日米のドラマを見てみて思ったことをひとつ。

単刀直入に言うと、日本のドラマは不自然。アメリカのドラマは
自然。の一言に尽きる。割と言われてることかも・・
けど別に、だから単純に日本のドラマはダメで日本<アメリカ
と言うわけでもない。
また蛇足だけど言えば、日本のドラマだって自然なものはあるし
アメリカの逆もある。ただ大体の傾向として、個人的にこう思う。

日本のドラマの役者はほとんどが、一般人の日常ではありえない
演技をする。それは意識して観なくても瞭然としていると思う。
セリフも演技も漫画みたいだ。

なぜだろう。としばし考えてみるに、日本人のふつうの日常を
そのまま観せても、まるで「絵」にならないからだろうと
いうことと、もうひとつは、アメリカのホームドラマの影響
かも。役者を日本人にしてアメリカみたいにやろうとするから
無理が出てる、のかも。まあ想像にすぎないけど。
実際、時代劇などの日本人の演技は、全然不自然には思えない。

改めて言えば、不自然=ドラマとして質が悪い、ではない。
その不自然さが逆に絵になることもある。古畑任三郎なんかは
あんなの実際はいないけど、絵になる。まあそういう、
キャラが立ってる場合は別枠としても、たとえば「ショムニ」
なんかは、不自然さを逆に強調することでおもしろいドラマを
作っていた。ひったくりを捕まえるために警備員がジャンプする
と、CG加工で平行にピューと飛んでいくシーンなんかは特に
そう思った。もし「ショムニ」が、役者の演技力に頼って
真剣なドラマに仕上がっていたとしたら、俺は多分ほかの
ドラマと同じような違和感を抱いたことだろうと思う。

本当のところはどうだか分からないけども、ショムニなんかは
「演技がどうしても実際の生活とかけ離れたものになる」という
日本ドラマの弱点を知っていて、逆に利用したんじゃないだろうか。
日本における「いいドラマ」は、多少その点を逆手に取っている
感じがある。まあ、「逆手に取っている」という表現が適切かは
少し微妙だけど(それに「いいドラマ」も俺の個人的な評価に
すぎないが)。

アメリカのドラマ、映画などは観ればわかるけども、演技が
ちっとも演技臭くない。実際の生活でもこうなんだろうな、と
思う。それがドラマにリアリティを与える。「リアリティ」が
必要かどうか、というのはドラマに限らず、どんな作品でも
重要な観点だけども、ことドラマに関しては、登場人物に
感情移入するためにはかなり重要だと思う。

「ドラマなんて所詮つくりものだから、いいのじゃないの」とも
思えなくはない。もちろん、今の日本のドラマは特にその部分で
不評を買ってるわけじゃないと思うから、別にこのままでも
いいのかもしれない。しかし、今のままだと、俺がほとんどの
ドラマを楽しんで観れないので困る(^_^;)

今「富豪刑事」がやってるけど、このドラマなんかも、
カメラワークなんかを見るに、自然な演技を撮ろうとしてない
ように思える。むしろ、不自然に歪んだ、不自然に豊かな登場人物の
演技や表情を、強調しているように見える。気のせいかもしれない
けどね。

ちなみに、俺が今まで観た日本のドラマでいいなと思ったのは
(「不自然さを強調」してるものに限らず)・・・

一番観ててゾクゾクきたのは、「振り返れば奴がいる」。
白い巨塔が話題になったけど、俺的にはこっちの方が全然
面白かった。演技の不自然さはあったかもしれないが、ちっとも
気にならない(結局、不自然だとしても、他の要素で
埋め合わせできていればトータルでOKだと思う)。

上で出てた「ショムニ」「古畑任三郎」もいいと思う。
「踊る大捜査線」もおもしろいと思った。織田祐二の演技は
割と好き。

ドラマではないけど、「世にも奇妙な物語」は結構おもしろい。

演技の自然さという点では、木村拓哉の演技が割と自然体だと
思う。

・・しかし、別にドラマ通ではないので、数が出ないな〜

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