今日、というか昨日、ハノンを買うついでに
色々図書を見てまわった。まぁ普通はそうする
かな。それで、哲学の新書を見ていると、
ふと目にとまったのがこの本、「思想なんか
いらない生活」。ちょっと気になったので手に
とって読んでみた。

 
内容について深く立ち入りはしないけれど、この勢古さんが
総じて言いたいことはなんとなく分かった気がするので、
少し思ったことを書きます。

最初に、単刀直入に、この本で主張されていることをふたつ
まとめて書くと…

1.哲学(思想)は、普段それに触れもしない一般人にとって
どれだけ意味があるというのか?

2.哲学(思想)はやけに難解な言葉で書かれることが多いが
それは何故?


というところだと思う。

読んでいて、ところどころ(今日本で活躍してる哲学者に対する)
嘲笑まじりの意見もありーの、でこれをもし本人が見たらえらい
怒りそうだな〜、なんて思ったけれど、それはともかくも、この要点って
結構大事なところだと思うので、なんとなく考えてみたい。

 
最初、1に関して。

これについては、詮無きことと言わざるを得ないと思う。
世の中、哲学に触れないで死んでいく人のほうが圧倒的に多い。
それはしょうがない。

勢古氏は著書の中で何度も「そんなのは一般人は考えもしない。
一生考えないで過ごす人のほうが多いような事柄について、それを
掘り下げ続ける行為になんの意味がある?」というような批判を
繰り返し繰り返し行っているけれども、それはそれで一応の理は
あると思う。哲学に触れないで死んでいく人が多い、という現状認識、
以上のものではないけれど。

しかしそれでも、新聞とかニュース、雑誌などで出てくる知識人は
主要な哲学書には目を通しているわけで、間接的に影響は出ていると
思う。

 
一番思うところあったのは、2について。

著書の中で、野矢さんという人のこういう言を引いて、コメントを
述べている。といっても本が手元にないので、覚えで書くけれど…

「(哲学にかんする所見を少し引いた後に)やはり哲学は難解なものだ。
これを平易な言葉で書いてそれで理解して良しという態度には賛同しかねる」

これに対して勢古氏は

「「やはり」というが何が「やはり」なのか。難解でなければ
ならない理由がまったく述べられていない。難解でなければ
ならない理由が何かあるのか。あるなら簡潔に教えてくれまいか。
それとも、その理由を、哲学を理解できないような一般人に
教える必要などないと思っているのだろうか」

というように憤慨している(ちなみに、文体が平易で初心者が
理解しやすい本を書く竹田さんに対しては、ある程度の賛辞を
贈っている。なんだか微妙な気分)。

 
しかし確かに、理由があるならあるで、明快な説明が欲しいところ。
無いなら無いで、「無い」と言うべきとも思う。

 
勢古さんには、どうにも、哲学の本の難解さについていけなかった
過去があるらしい。カント、ヘーゲル、フッサール、ハイデガー、
また日本の柄谷氏などの本を読み漁ってみたけれども、結局
難解な文章に振り回された挙句頭に何も残らず、「こんな難解な
もの(哲学)に一体何の意味があるのか?少なくとも自分以下の頭しか
もっていない大衆、一般人にとって、哲学がもつ意味って何だ?答えは
ひとつ、『そんなものありはしない』だ」
、という意見に達した、
らしい。

立ち読みしただけだけど、そのことは痛いほど伝わった。

 
さて、ここからが俺の意見になるのだけれど…

すごい長くなったのでその2へ。

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