▽西研「ヘーゲル・大人のなりかた」▽
2004年10月26日 日常
哲学の話が滞ってる・・いかんいかん。
最近はこの本を読んでいます。西研さんは
竹田さんの親友?で、かなり主張も似ている。
文章も平易で、初心者に分かりやすい。
まだ全部は読んでないんですけども。
ヘーゲルの言う、人間の精神の成長過程が
とても面白いと思った。
人間は、最初は主導権を得ようとして互いに血みどろの争いを
繰り広げる。そして、最初は主人と奴隷の関係が出来る。
主人は自分が自律し自立できていると思っているが、
しかし真に自律を身につけるのは、むしろ耐えがたきを忍び
主人と(実は)依存関係の一翼を担っていた奴隷のほうであり、
主人の側が主導権を握り続けることが出来なくなる条件が揃ったとき
奴隷によって主人が打ち倒されて、新たな秩序が作られることに
なる。
こうして段々秩序が塗りかえられていくうちに、人は、お互いが
お互いを認め合う社会制度を作り上げることが一番良い方法である
と気づく・・
本を参照せずに書いたし、ヘーゲルもまだ読んでないので
滅茶苦茶な文章になっちゃったかもしれないけど、ニュアンスは
なんとなくこんな感じです。
そして面白いのは、人の対人関係もこの関係になぞらえることが
できるという主張。
人が最初にもつ自己意識の形として、ヘーゲルは代表的な
みっつの特徴を挙げている。
一つは、他人を徹底的に相対化しようとして(どんな主張も
相対化できる、と主張して自分の優位を示そうとする)、
あらゆる人に批判を加えたがる意識。
二つは、世界と自分の説明を勝手に作り上げ、その中に安住
することで(「世界はこういうものなんだから」、という
あきらめにも似た感じだろうか)、自分の心を守ろうとする意識。
最後は、日常生活を続けていくうちに見出した至上の価値に
憧れながらも、それに届かない自分(現実)との間で引き裂かれ
続ける意識。
これらの意識はどれも、決して目的を達成することはない。
というのは、結局「他人に認められること」が幸福を得る手段で
あるのに、これらはどれも自分ひとりでそれを達成しようとしている
からだ、という。
俺的には、なるほどなるほど、とうなずける。もちろん、
誰もがこのみっつに分類できるというわけでもないだろうし、
みっつ全部の特徴を持った自己意識を持った人もいるだろう。
結局最後には、お互いを認め合うことが、人から認められ、
幸福を得る最良の手段であることに気づく・・
あきれるほどの正論なのだけど・・しかし、この理屈を理解すれば
人間関係うまくいくかっていうと、そんなこともないよね。
他人に愛される「能力」を有していなければならないと思うもの。
その能力さえ有していれば、このような理屈を知らずとも、
周りから必要とされ、楽しい日常を送ることが出来る。
もちろん、この論が間違っているということはないけれども。
最近はこの本を読んでいます。西研さんは
竹田さんの親友?で、かなり主張も似ている。
文章も平易で、初心者に分かりやすい。
まだ全部は読んでないんですけども。
ヘーゲルの言う、人間の精神の成長過程が
とても面白いと思った。
人間は、最初は主導権を得ようとして互いに血みどろの争いを
繰り広げる。そして、最初は主人と奴隷の関係が出来る。
主人は自分が自律し自立できていると思っているが、
しかし真に自律を身につけるのは、むしろ耐えがたきを忍び
主人と(実は)依存関係の一翼を担っていた奴隷のほうであり、
主人の側が主導権を握り続けることが出来なくなる条件が揃ったとき
奴隷によって主人が打ち倒されて、新たな秩序が作られることに
なる。
こうして段々秩序が塗りかえられていくうちに、人は、お互いが
お互いを認め合う社会制度を作り上げることが一番良い方法である
と気づく・・
本を参照せずに書いたし、ヘーゲルもまだ読んでないので
滅茶苦茶な文章になっちゃったかもしれないけど、ニュアンスは
なんとなくこんな感じです。
そして面白いのは、人の対人関係もこの関係になぞらえることが
できるという主張。
人が最初にもつ自己意識の形として、ヘーゲルは代表的な
みっつの特徴を挙げている。
一つは、他人を徹底的に相対化しようとして(どんな主張も
相対化できる、と主張して自分の優位を示そうとする)、
あらゆる人に批判を加えたがる意識。
二つは、世界と自分の説明を勝手に作り上げ、その中に安住
することで(「世界はこういうものなんだから」、という
あきらめにも似た感じだろうか)、自分の心を守ろうとする意識。
最後は、日常生活を続けていくうちに見出した至上の価値に
憧れながらも、それに届かない自分(現実)との間で引き裂かれ
続ける意識。
これらの意識はどれも、決して目的を達成することはない。
というのは、結局「他人に認められること」が幸福を得る手段で
あるのに、これらはどれも自分ひとりでそれを達成しようとしている
からだ、という。
俺的には、なるほどなるほど、とうなずける。もちろん、
誰もがこのみっつに分類できるというわけでもないだろうし、
みっつ全部の特徴を持った自己意識を持った人もいるだろう。
結局最後には、お互いを認め合うことが、人から認められ、
幸福を得る最良の手段であることに気づく・・
あきれるほどの正論なのだけど・・しかし、この理屈を理解すれば
人間関係うまくいくかっていうと、そんなこともないよね。
他人に愛される「能力」を有していなければならないと思うもの。
その能力さえ有していれば、このような理屈を知らずとも、
周りから必要とされ、楽しい日常を送ることが出来る。
もちろん、この論が間違っているということはないけれども。
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