<その3からつづき>

またレヴィナスは、男性によって求められる他者自身を
女性の「処女性」という言葉でも言い表す。

「愛される女性は、処女性をその本質としている」
そうである。なんだか深い表現だ。

こうした女性への愛の関係が「エロス」だが、エロスは
成就されない。
エロスは、それを手に入れようと、取り込もうとする
欲望だが、他者は決して取り込まれはしない。

「処女は<エロス>によって覆いを剥がされると同時に
<エロス>を拒む」。

男性(自我)と女性(他者)は、絶対的に隔てられている。

 
またレヴィナスは「息子」に関しても言及している。

女性との関係のエロスは、「繁殖性・多産性」を可能にする。
すなわち「息子」が生まれる。
息子は自我が存在せしめた他者であり、息子は自我に依存する。

自我、父にとって息子は唯一であり、かけがえがない。
ところが同時に、息子は、兄弟のなかの一人、複数の中の
一人である。

この、どちらにも還元できない息子のあり方の中に、
他者との最終的な倫理的関係が求められるという。

女性ではなくて、息子なんですね。

<かけがえのない者=唯一者>同士としての兄弟の
倫理的関係が、社会を倫理化するという。

…う〜ん、レヴィナスはユダヤ教?らしいけど、
唯一者というのが出ましたね。

さらに、繁殖性は時間の無限化を可能にするという。
自我が支配できない、他者の到来性による時間のなかで
父は老いさらばえて死ぬが、息子は「再開」であり、
これによって時間が無限化されるのだそうだ。

考え方としては分かりやすいが、哲学?という感じもする。

しかしこの無限化された時間を全体として捉え、それを
均質化してしまうならば、倫理は訪れない。
時間が本当に無限化されるのは、それが他者と関わるとき。
<無限化された時間の他者>が<無限化された時間>に
到来するとき、<無限化された時間>は「メシア的時間」
として成就されるのだそうだ…

これはちょっとユダヤ教色が濃すぎる気もしますね。
いや、ユダヤ教の内容はあまり知らないですが。

とりあえず、レヴィナスは、他者に絶対の優位性を
置くことで、倫理が可能になると考えた思想家らしい。
原著は滅茶苦茶難解とも聞きますが。。

次はデリダです。

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