<その4からつづき>

・フーコーの倫理

フーコーの倫理は先に少し示された(性に関してだけだけど)。
性に対する自己管理とか、鍛錬、禁欲。自己コントロールの
倫理学というものがそれだ。

しかし権力そのものに対しては、憤りを示し、権力に対する
「反撃」あるいは「戦い」の可能性を探った。

だが分散した権力は、従来のように特定人物を打ち倒すことで
無くすことはできない。そこで、権力の打倒ではなくて
権力からの解放をフーコーは求めた。

そのような時、権力による心の管理(一種のマインドコントロール)
からの解放の倫理が彼には働いている。

しかし、どんなことを考えたって「エピステーメー」の域内
というのが彼の主張だったはず。そこを自覚したとしても、
難しいはずだ。どうすればいいのか。

例えば性に関してならば、解放を「性的欲望」の解放と考えては
ならない。「性という決定機関からの解放」ではなくてはならない。
それへの反撃の拠点は、「欲望である性」そのものではなくて、
「身体と快楽」であるという。

すでに管理されている心ではなく、自由である身体を、また
セクシュアリテから自由になるために、アスケーシス(鍛錬、禁欲)を
快楽に課すことが重要だとか。

締めは今ひとつつかみづらいけれど、批判理論としては確かに
卓越したものがありそうですね。

はじめての哲学史でも、そう変わった解釈はしてないぽいので
割愛します。次はドゥルーズ。

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