≪現代思想(7)−フーコーについて<その3>−≫
2004年8月30日<その2からつづき>
「主体性」について。
昭和堂のタイトルは<主体と服従の形成-権力論>。
「狂気」と「正気」が分けられるべき、「狂気」は
精神医学的にきちっと分けられるものだ、という考えが
これもエピステーメーに支配された考えだということが
明らかになった。
フーコーによれば、主体性は人間にとって本質的な、
不可欠な概念だと考えられているが、これも歴史的に
成立したに過ぎない概念だという。
それは、「監獄の誕生」という著書において示されている。
かつて、国王暗殺を企てた人間などを残虐に公開処刑する
ことによって、権力が、目に見える恐怖によって人心を
管理していた時代があった。
しかしそれも18世紀ごろまでで、その後、権力の策略が
変化する。いわゆる「パノプティコン」型の社会が
成立するのである。
「パノプティコン」とはどういうものか?これは
ベンサムという人が発案した、監獄の施設のこと。
どういう特徴があるかというと、囚人からは監視者が
まったく見えないが、監視者からはいつでも全ての囚人を
見ることができるという構造をしているのだ。
いつ見られているか分からないし、見られていても自分は
それを確認することができない。自然、普段の行いを
自分で正すようになる。いつ見られてもいいように。
従順な人間、いわゆる「良い子」の誕生である。
こうして、人間管理は経済的に、効率的に営まれるように
なる。このような人間は、当人は自分は「主体的」に
生きていると思っているが、実は、人間管理の策略に
「服従」している。こうした事態をフーコーは
「アシュジェティスマン」と呼んだそうだ。この言葉は
「主体の形成」と「服従」という2つの意味をもつ。
人間の意識レベルの「主体性」は、無意識レベルでは
権力への「服従」であることをフーコーは示すのである。
こうした権力は、人間の主体性を抑圧するとはいえない。
むしろ、権力が主体性を作り上げるのである。権力は
抑圧するネガティブなものでなく、形成するポジティブな
ものだ。人間に主体性を付与することによって、人間に
自己管理をさせる。権力に反抗できない「良い子」の
人間を作り出すわけだ。
またこれは、国王のような権力者が中心にいる構造を
必ずしもしていない。それは各人の心の中、そして関係の
中に分散して既に存在しているのであり、「権力とは、
個々の人々のあいだの関係のひとつの特殊の型」であると
される。
権力は、人間関係のあり方であり、それがもつ力である。
そして、人間は知らず知らずのうちに、それに服従している。
だから、それに服従している限り、人間が権力を「打ち倒す」
ことはできない。
なるほどパノプティコンはうまい例えだと思う。
3つ目はその4へ。
「主体性」について。
昭和堂のタイトルは<主体と服従の形成-権力論>。
「狂気」と「正気」が分けられるべき、「狂気」は
精神医学的にきちっと分けられるものだ、という考えが
これもエピステーメーに支配された考えだということが
明らかになった。
フーコーによれば、主体性は人間にとって本質的な、
不可欠な概念だと考えられているが、これも歴史的に
成立したに過ぎない概念だという。
それは、「監獄の誕生」という著書において示されている。
かつて、国王暗殺を企てた人間などを残虐に公開処刑する
ことによって、権力が、目に見える恐怖によって人心を
管理していた時代があった。
しかしそれも18世紀ごろまでで、その後、権力の策略が
変化する。いわゆる「パノプティコン」型の社会が
成立するのである。
「パノプティコン」とはどういうものか?これは
ベンサムという人が発案した、監獄の施設のこと。
どういう特徴があるかというと、囚人からは監視者が
まったく見えないが、監視者からはいつでも全ての囚人を
見ることができるという構造をしているのだ。
いつ見られているか分からないし、見られていても自分は
それを確認することができない。自然、普段の行いを
自分で正すようになる。いつ見られてもいいように。
従順な人間、いわゆる「良い子」の誕生である。
こうして、人間管理は経済的に、効率的に営まれるように
なる。このような人間は、当人は自分は「主体的」に
生きていると思っているが、実は、人間管理の策略に
「服従」している。こうした事態をフーコーは
「アシュジェティスマン」と呼んだそうだ。この言葉は
「主体の形成」と「服従」という2つの意味をもつ。
人間の意識レベルの「主体性」は、無意識レベルでは
権力への「服従」であることをフーコーは示すのである。
こうした権力は、人間の主体性を抑圧するとはいえない。
むしろ、権力が主体性を作り上げるのである。権力は
抑圧するネガティブなものでなく、形成するポジティブな
ものだ。人間に主体性を付与することによって、人間に
自己管理をさせる。権力に反抗できない「良い子」の
人間を作り出すわけだ。
またこれは、国王のような権力者が中心にいる構造を
必ずしもしていない。それは各人の心の中、そして関係の
中に分散して既に存在しているのであり、「権力とは、
個々の人々のあいだの関係のひとつの特殊の型」であると
される。
権力は、人間関係のあり方であり、それがもつ力である。
そして、人間は知らず知らずのうちに、それに服従している。
だから、それに服従している限り、人間が権力を「打ち倒す」
ことはできない。
なるほどパノプティコンはうまい例えだと思う。
3つ目はその4へ。
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