ミシェル・フーコー(1926〜1984)。スキンヘッドの
哲学者です。「90分でわかるフーコー」も読んだことある。
なんでもバイセクシャルの哲学者だったみたいで、相当
その手のクラブというか、そういうところにも行ってた
とか。同性愛者は歴史的に排除されてきたという経緯も
あり、彼の哲学に及ぼした影響も少なくないと思われる。
彼は「性」とか「狂気」について今まで哲学が正面から
扱わなかったのはおかしいとして、そういう面にも目を
向けた哲学者として有名。

ただ哲学者ではないかもしれないけど、フロイトは
性とか精神疾患に目を向けていた。

フーコーはまた「現代フランスの生んだ真の天才であり、
巨匠である」とも呼ばれる。彼の問題射程はきわめて
広く、狂気、監禁、医学、性、言葉、などなど、基本的に
歴史に関する考察が多いけども、ともかく彼の参照した
文献、資料はすさまじい量におよぶとか。

並々ならぬ勉強をするのが当然であろう哲学者において
特に「すさまじい量」というからには、それはもう
とんでもない量読んでいるのだと推察される。
論文とかも、参照文献の量がすごいことになってるん
でしょうね。

もちろん、それだけで手放しで褒めていいものでも
ないですけども。

それでは具体的にみていきましょう。

まず、例によって目次を。

・フーコーの歴史観
・フーコーの問題射程の大枠
・「狂気」と「主体性」と「性」
・フーコーの真理
・フーコーの倫理

フーコーの何々という題が多いですな、、

まず最初のから。

・フーコーの歴史観

これはたびたび出ている通りのものだけど、もう一度
詳細に。

フーコーは、膨大な歴史のドキュメントを読んでいる。
しかしそのドキュメントを文字通り読むわけではない。
そのドキュメントを「書くに至った」、いや「書くに
至らせた」その外側の何かを探ろうとする。

これは昭和堂に出ている例だけども、たとえば1801年に
医者のビシャという人が、「屍体を開け。そうすれば
単なる(解剖なき)観察では退散しえなかった暗闇が、
たちまちのうちに霧散するのが見られるだろう」と言った。

フーコーにとって、実際に解剖すれば病因がわかるか、
というのは重要ではない。重要なのは、当時の
医学界において、生きている人間ではなく、死んだ人間の
屍体が生命現象を説明する、という問題意識の転換が
行われたことを示していることなのだ。

このように言語の中には、言語から読み取れる当時の
知が存在する。知は、その外部を示す間接証拠となる。

彼は、言語を生み出す<言語の外側>へ、知を生み出す
<知の外部>へ、すなわち、フーコー版の<理性の他者>
へと向かう。

フーコーにとって、知とは、永遠普遍の真理へ向かう
ものではない。初期のフーコーはその知のことを
「エピステーメー」と呼んだが、彼の定義を示せばこれは

<或る与えられた時代において、認識論的諸形態、諸科学、
そしてときには形式化された諸システムを生ぜしめる
さまざまな言説的実践を統一しうる諸連関の総体>

なのだそうである。簡単に言えば、エピステーメーは
知を生み出す「知の外部」の別名だ。先ほどの例で言えば
ビシャにあのセリフを言わせた時代状況などのことである。

知は常にここから生み出されるのであるから、どの時代にも
共通の知がありえないことはわかると思う。

「ある文化のある時点においては、つねにただひとつの
エピステーメー」が存在する。エピステーメーは「或る
与えられた時代」によって異なる。

それによって、つまり時代が変われば「知」も変わり、
歴史はそこで「断絶」する。

また普通このエピステーメーは明示的ではなくて、
「隠された知」であり、また時代ごとにいくつも存在
するであろうから、多様である。フーコーの哲学は、
この多様なエピステーメーを問う「エピステモロジー」
であり、隠されたエピステーメーを問う「知の考古学」
であるという。

これが、基本的なフーコーの歴史観になる。

その2につづく。

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