≪現代思想(6)−ポスト構造主義について<その1>−≫
2004年8月28日この「ポスト構造主義」というカテゴリというか
枠組みに関しては、少し言及しておくべきことが
あるので、最初にひとつ解説を設けます。
このほかにも、モダンの後、「ポストモダン」て
言い方もされたりするんですけども、こちらは
建築の様式とか、社会学・政治学とかもう色々な
分野にわたって使われるみたいなので、哲学史的には
そう適切でもない言葉かもしれない。でもポストモダンを
自認してる哲学者もいる(ポスト構造主義ではない)。
だから結構意味は色々有るみたいなんですね。
でも多くの場合、ポストモダンというと、ポスト構造
主義を指して使うことが多いかも。あいまいなので、
あまり使いませんけども。
この説明については昭和堂が詳しいので、最初に
はじめての哲学史から簡単に解説したあと、昭和堂から
さきの「倫理の優位性の思想」と絡めて説明したいと
思います。
ポスト構造主義として有名なのは、ミシェル・フーコー、
ジル・ドゥルーズ、ジャック・デリダの3人。
ポストモダンを自認してたのはリオタールって人なんだ
けど、2つの本でほとんど扱ってないのでいずれ扱う機会があれば。
サルトル・ポンティの実存主義が第一世代、レヴィ=
ストロースやラカンの構造主義が第二世代なら、ポスト
構造主義は第三世代。それまでの思想の遺産を継ぎながら
も、構造主義を脱しようとして思索を繰り返し、それへの
批判を通じて哲学を打ち立てたのがこの3人で、構造主義の
後の思想だから「ポスト構造主義」。そのままですね。
しかしその基本姿勢は構造主義の頃から変わってなくて、
「反人間中心主義」、「反西欧中心主義」、「反理性中心
主義」。最後のは反ロゴス中心主義ですかね、まぁ
基本的には構造主義と姿勢は変わっていません。
ヨーロッパ近代を貫いてきた「人間の知」のあり方を
根本的に疑い、見直しを迫るところがその特徴。
と、ここまでがはじめての哲学史の説明。簡潔ですね。
次は昭和堂から。
最初、ポスト構造主義とポストモダンって言葉のあいまいさが
説明されてます。
ポスト構造主義は、ほんとに構造主義の後って意味しか
なくて、構造主義以降の哲学を全てひっくるめることも
可能なくらいのあいまいな言葉(通俗的には、フーコー・
デリダ・ドゥルーズの3人を代表に、似たような考えを
持っている哲学者たちを指すと思います)。
ポストモダンは、機能主義・合理主義によりすぎた
近代の建築への批判から生まれた、ほんとは建築の言葉。
ただリオタールは自らポストモダンという概念を前面に出して、
その条件、現状を提示する。<知は普遍的平和を目指す>
という近代の「大きな物語」の終焉のことを指して、
リオタールはこう呼ぶ。
でもハーバーマスはこれに反対してるそうです。
リオタールは、モダンはもう終わったと考えているけど、
ハーバーマスは、モダンの論理をさらに発展させるべきと
考えているらしい。
ポスト構造主義とポストモダンの意味についてはこれくらいで。
その2でもう少し踏み込みます。
枠組みに関しては、少し言及しておくべきことが
あるので、最初にひとつ解説を設けます。
このほかにも、モダンの後、「ポストモダン」て
言い方もされたりするんですけども、こちらは
建築の様式とか、社会学・政治学とかもう色々な
分野にわたって使われるみたいなので、哲学史的には
そう適切でもない言葉かもしれない。でもポストモダンを
自認してる哲学者もいる(ポスト構造主義ではない)。
だから結構意味は色々有るみたいなんですね。
でも多くの場合、ポストモダンというと、ポスト構造
主義を指して使うことが多いかも。あいまいなので、
あまり使いませんけども。
この説明については昭和堂が詳しいので、最初に
はじめての哲学史から簡単に解説したあと、昭和堂から
さきの「倫理の優位性の思想」と絡めて説明したいと
思います。
ポスト構造主義として有名なのは、ミシェル・フーコー、
ジル・ドゥルーズ、ジャック・デリダの3人。
ポストモダンを自認してたのはリオタールって人なんだ
けど、2つの本でほとんど扱ってないのでいずれ扱う機会があれば。
サルトル・ポンティの実存主義が第一世代、レヴィ=
ストロースやラカンの構造主義が第二世代なら、ポスト
構造主義は第三世代。それまでの思想の遺産を継ぎながら
も、構造主義を脱しようとして思索を繰り返し、それへの
批判を通じて哲学を打ち立てたのがこの3人で、構造主義の
後の思想だから「ポスト構造主義」。そのままですね。
しかしその基本姿勢は構造主義の頃から変わってなくて、
「反人間中心主義」、「反西欧中心主義」、「反理性中心
主義」。最後のは反ロゴス中心主義ですかね、まぁ
基本的には構造主義と姿勢は変わっていません。
ヨーロッパ近代を貫いてきた「人間の知」のあり方を
根本的に疑い、見直しを迫るところがその特徴。
と、ここまでがはじめての哲学史の説明。簡潔ですね。
次は昭和堂から。
最初、ポスト構造主義とポストモダンって言葉のあいまいさが
説明されてます。
ポスト構造主義は、ほんとに構造主義の後って意味しか
なくて、構造主義以降の哲学を全てひっくるめることも
可能なくらいのあいまいな言葉(通俗的には、フーコー・
デリダ・ドゥルーズの3人を代表に、似たような考えを
持っている哲学者たちを指すと思います)。
ポストモダンは、機能主義・合理主義によりすぎた
近代の建築への批判から生まれた、ほんとは建築の言葉。
ただリオタールは自らポストモダンという概念を前面に出して、
その条件、現状を提示する。<知は普遍的平和を目指す>
という近代の「大きな物語」の終焉のことを指して、
リオタールはこう呼ぶ。
でもハーバーマスはこれに反対してるそうです。
リオタールは、モダンはもう終わったと考えているけど、
ハーバーマスは、モダンの論理をさらに発展させるべきと
考えているらしい。
ポスト構造主義とポストモダンの意味についてはこれくらいで。
その2でもう少し踏み込みます。
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