ロラン・バルト(1915〜1980)は、様々な分野において、
記号論を活用した構造分析を提唱した。

それは哲学の分野というか、人間の主体の解体だけでは
なくて小説、神話、社会の風俗とかモードなどの
多様な対象を分析する手法として用いたという。

バルトが何を特に問題視していたかは、ここからは
よくつかみづらい。はじめての哲学史では、バルトは
レヴィ=ストロースとは対極の視点を持っているという。

バルトが興味を抱いたのは、対象に内在する構造よりも、
分析する対象に「意味を作り出す人間」の構造であり、
自然や文化において形成される「意味」にそなわっている
構造であるという。

バルトは歴史において決断する実存的な人間ではなくて、
歴史に意味を与えようとする人間の営みが、1つの「装置」の
ように機能するという事態を重視した、という。

やはり意味はつかみづらい。歴史に意味を付与するのは
確かに人間のあり方の大きな特徴ではある。しかし「装置」
とは…?

またバルトで有名なのは「作者の死」という概念。

伝統的な文学批評の理論で重要なのは、作品とその作者で
あったが、バルトは、確かにテクストは作者が書いたに
相違ないが、テクストにとって作者は外在的なものだと
考えた。重要なのは、読む読者のほうだ。

テクストを神のような創造者の位置に有る作者が作った
作品としてではなくて、そのテクストがおかれた文化に
固有のさまざまな「引用の織物」(なかなか難しい表現だ)
として読む必要があると考えた。

またテクストは、読者が新しい「意味」を作り出すための
「装置」なのである。

これはちょっと確かに、構造主義としては少し異質かも
しれないですな。

次はアルチュセール。最初アルセチュールかと思ってた
けど違った。

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