昭和堂に、ヴィトの後の論理実証主義の展開があるので
簡単にまとめます。

しかしよく見てみたら、はじめての哲学史もオマケ的に
ラッセルとフレーゲ扱ってありました。
あとホワイトヘッドも…ま、いいか。

さてフレーゲ→ラッセル→ヴィトで発展してきた論理実証
主義。といっても、論理実証主義って、実は「論理哲学
論考」を科学の補強に使おうとした人たちの学派なのかな?
よく知りませんが。「分析哲学」のがよさげですかね、
やはり…いやなんとも。

まあ、とりあえず論理実証主義のその後。
ヴィトのところでも出てきたノイラート、シュリック、
カルナップ等の、ウィーンの哲学者によって作られた
「ウィーン学団」、ベルリンにいたライヘンバッハ、
ケンブリッジのエイヤー等によって押し進められて、
哲学というか、科学的世界像を標榜して、20世紀の哲学界に
大きな影響を与えた。

哲学にはまだ「科学哲学」という分野があって…
まだ浅学者にはわからないんですが、多分これは
ニュートン力学で宇宙のすべてが説明いくと考えられた
頃から続いているであろう、物理法則のみが世界を支配する
という機械論の延長のような哲学分野なのではないかなぁ、
と思っています。

しかしイオニア自然学派のころに成された世界説明にその
端緒を見るなら、今や世界説明の決定版である相対性理論、
または大統一理論(?)とかそのあたりは確かに、哲学の
分野のひとつになっていておかしくない気もしますね。

それらの科学哲学も、基本的にこの論理実証主義を基礎と
している。昭和堂によれば、科学哲学は、論理実証主義の
哲学者から始められたし、また、現代の科学哲学も、この
論理実証主義を超え出てはいない、といわれることもある
らしい。現代の科学哲学にも欠陥があるが、それを乗り越える
のは、論理実証主義によってしかありえないとも考えられて
いるらしい。

まぁ科学哲学はいずれ扱うとして、ここではヴィト以後の
論理実証主義について。と、いっても、前期ヴィトは
踏まえていても、後期ヴィトの内容を踏まえているとは
思えないんですけども…

だからなのか、結局、彼らの「意味の検証理論」は多くの
問題を含み、有意味に語られうる科学的言明と、無意味な
形而上学的言明の分離を成し遂げ得ないことが判明した、
そうです。

まぁ、多分、物理学の結果だけは絶対に正しいという
前提が先にあって、言語の構造をそれに無理やり合わせる
やり方をしてるのでしょうから、そうなるのかもしれない
ですね。現象学とか言語ゲームの考え方からすると、
それは逆説的な事態なわけですし。

まぁ、とりあえず具体的に見ていきましょう。

科学の方法の中心は、実験と観察および数学的演繹である。

対して、形而上学的命題は、その多くが思弁的(経験に
よらず、思考や論理にのみ基づいている)である。

だから、科学のほうが、世界認識のための正しい方法である。

これを、論理学のつきつめによって明確に証明可能だと思った。

それで、「論理哲学論考」の方法をもとに、考え詰めてみよう
と思ったのが、論理実証主義の人たちだと思う。

つまり、論理学において、有意味な(真か偽かが確実に判明する)
命題は「科学的」だし、真偽どっちだか判明しようもないような
無意味な命題は、「形而上学的」になる「ハズ」だ、ということ。

当然、命題が有意味であることの基準を設けなければならない。
そこで、1.分析的であるか、2.経験的検証が可能か、の
どちらかを満たさないと、有意味にならないとした。

1.分析的である、というのは、例えば
「今日は雨であるか、または雨でないかである」
という文は、事実がいかにあるかにかかわらず、「または」と
「〜でない」という語の意味のみによって真であることが分かる、
そんなような文章のこと。確かにこれは、事実がどうであれ
必ず正しい文章のように思う。

対して、事実に対して語る、分析的でない文章の場合は、それが
いかなる可能な経験によってそれが真、あるいは偽であると
判定されるかがその文章の意味である、とされる。

確かにこれだと、形而上学的命題は、どれも分析的でも
なければ経験可能なものについて語ってるわけでもなく、
無意味な命題となる。

神の存在とか、世界の果て、世界のはじまり、とかね。
モナド、ヌース、ト・アペイロン、ト・ヘン、なんでも同じです
けども。

しかしながら、これだと、科学が求めている経験的普遍命題
(科学が前提している、「世界は数学的法則に貫かれている」
というものが端的)までもが、ほとんど無意味になってしまう
のだ。

なぜならば、それを経験的に確かめようと思ったら、過去・
未来にわたってこの世で起こるすべての事象に関して
それが正しいことを経験によって確かめなければならない
からであり、それは不可能である。
だから、科学の前提してる経験的普遍命題のほとんどが、
この理論でいくと無意味化する。

これはピンチだ。それでは、どうしたらいいんだろうか。
その2へ。

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