<その1からつづき>

・画像の理論

さてこの「画像の理論」とは何か?

ヴィトによれば、文章というのは、2次元に描かれた3次元の
世界、画像に似ている。

絵では、絵の中の要素が実物の要素に対応し、絵の要素間の
関係が実物の要素間の関係を映し出す。

言い方が難しいけれど、つまり絵に描かれている物体は
実際に存在する物体と対応していて、また、その描かれている
物体は、他の物体と一緒に存在することで、それが何であるかを
また詳しく教える、ということだと思う。

そしてまた、絵の中に描かれるのは、対象の可能な配列であり、
それは現実に生起していることも生起していないことも
ありうる。

論理空間も、絵の空間と同じ。現実と対応する事物もあれば
そうでないものもあるし、それは互いにお互いの位置、意味を
教えるし、キャンバスに描かれる限りどのような配置も可能。

 
うーん、これは直観的で理解しやすいですね。

 
そして、ヴィトは一度はラッセルが解いた確定記述の問題を
どう解きなおしたか?

対象は、命題中の名前によって指されるもの。これは変わらない。
また、論理的名前は、有意味であるためには、必ず現実にある
対象を指さねば成らない。ここも同じ。

違うのは、論理的名前と、日常使う名前は違うということ。
なぜなら、通常の名前の対象は破壊消滅しうるのであり、
その場合でもその名前は有意味に用いられるから、だそうだ。

したがって、論理的に正しい表記法においては、通常の名前は
ラッセルの記述理論によって分析され、破壊消滅できない、
永遠的な対象を指す論理的名前のみが残る(ラッセルの最後で
出てきた「私」とか「これ」などか?)。

論理的名前からできた、つまり最も単純な要素から出来た命題を、
要素命題という。

すべての有意味な命題は、そのような要素命題の、どれが
成立してどれが成立しないかをいう真理条件であって、
すべての有意味な命題は、要素命題の真理関数である、と
される。

真理関数の詳しい意味はちょっと分かりませんが、まぁ
なんとなくニュアンスは伝わるかと。

しかしながら、この要素命題が具体的にどのようなもので、
対象とは実際に何なのかということを挙げるのは、これは
不可能だとされる。しかしある命題が意義をもつためには、
それの真理条件を確定する要素命題がなければならず、
その要素命題にあらわれる名前は、単純な対象を指さねば
ならない。

なぜならば、複雑な名前を指すなら、それもまた単純な
名前に分割できるから、である。

これが「画像理論」と呼ばれるもので、前期ヴィトの主張
ですね。後期ではどう変わったんでしょうね。

 
これらが説明されているのが前期の主著「論理哲学論考」。
世界観についても、似たような原子論的、形而上学的な
ものを打ち立てたとか。

その3へ。

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