≪現代哲学(10)−論理実証主義・ラッセルについて<その1>−≫
2004年8月20日はー、もう少し我慢して分析哲学。といっても、哲学やるなら
今やかじっておかなくてはならない学派なんでしょうね。
語源なんかを、例えば人類が最初に生み出した言葉にまで
さかのぼって正確な意味をつかむ、なんてことをするのも
分析哲学みたいで。最初っても、文章が残ってないと
検証できないだろうから、ラテン語とかギリシャ語なんでしょうか。
いや、ヒエログリフとかあるんでしょうけど。よく知らない…
ドイツ語とか英語はそのあたりに語源をもってるので、
意味をつかむために必要のようですな。
蛇足だった。次はバートランド・ラッセル(1872〜1970)。
新しい論理学の祖はフレーゲといってた割には、ラッセルは
独立に論理学を作り上げたとかなんとか。ちなみに後の
ヴィトゲンシュタインとは師弟の仲であります。
ちなみにフレーゲもそうだったけど、論理主義というのは
数学的真理の絶対確実性がいかにして可能か、という見地から、
論理学の明証性が先立ってあるという考え方、だと思う。
確かに、数学の公理を理解するのにも、まず言葉で確かめつつ
理解する。1はこういうものをあらわす数字で、+は数字を
加えることで…(実際はもっと詳しい説明があるみたいだけど)
数学より、論理学のが先立ってあるものかもしれない。
ラッセルの関心は、「われわれは何を確実に知っているのか、
また、それはいかにしてか」という問いが常に潜んでいた。
(前期の)ヴィトはそのような問いに関しては、「哲学より
むしろ心理学に属するもの」として軽視していたけれども、
ラッセルはそうは考えなかった。だから、分析哲学の中でも
ラッセルは、近代哲学的な問題関心をもつ哲学者とよく言われる
らしい。
ここでも、目次を二つつけてそれぞれについてまとめます。
・論理的分析
・記述理論と見知りの原則
まず・論理的分析から。
ラッセルによれば、事実の分析は、それをあらわす命題
(簡単に言うと、真偽が判定できるような意味のある文章)の
分析を通じて行われる。
ある命題を分析するとはどういうことか。
それは、どのような種類の、他のより単純な命題を、
論理的に前提しているかを解明し、そのような仕方をもって
論理的単純者(論理的原子ともいう。物質を構成している
原子のイメージで、命題を分析するのだろう)を発見する
こと。
それによって、ふだん何気に使っている命題に対して、
実際にはどんな知識などを前提にしているのかが明らかに
なるのだという。
はい、とりあえずここまでのまとめとしては、
「とある文章の意味を詳しく知ろうと思えば、その文章を
構成している語句を小分けにして、それが前提にしている
情報を明らかにするべき」くらいに理解するといいんでは
ないでしょうか。
もっと短くすれば「文章の意味は、小分けにして見れば
分かりやすい」はい、これですね。頭がついてかないので
こんなもんで…論理学を基礎からやると、すんなり入る
のかもしれないですけども。
次、その小分けにした語句が具体的には何を指しているべき
なのか?について、
ラッセルによれば、有意味な命題に含まれる語句は必ず、
現実にある何らかの対象を指す名前であるとされる。
無意味な命題なら、現実になくてもいいんでしょうね。
しかしながら、「必ず現実にある対象を指している必要が
ある」というのはどう考えてたどりついた結論なんです
かね…。
語句が有意味であるためには、現実にあるものに対応
していなくてはならないが、命題はそうでもない。
まるで無意味な命題もあるが、偽であることで、それは
それで有意味な命題もある。真であることも偽であることも
できる、という二重性を命題はもっている。
そういうところで、名前と命題は違う、のだという。
(しかし辞書の意味からすると、「無意味な命題」という
ものが存在するのか疑問にも思う)
もうちょっと基礎からやりたい気分。その2へ。
今やかじっておかなくてはならない学派なんでしょうね。
語源なんかを、例えば人類が最初に生み出した言葉にまで
さかのぼって正確な意味をつかむ、なんてことをするのも
分析哲学みたいで。最初っても、文章が残ってないと
検証できないだろうから、ラテン語とかギリシャ語なんでしょうか。
いや、ヒエログリフとかあるんでしょうけど。よく知らない…
ドイツ語とか英語はそのあたりに語源をもってるので、
意味をつかむために必要のようですな。
蛇足だった。次はバートランド・ラッセル(1872〜1970)。
新しい論理学の祖はフレーゲといってた割には、ラッセルは
独立に論理学を作り上げたとかなんとか。ちなみに後の
ヴィトゲンシュタインとは師弟の仲であります。
ちなみにフレーゲもそうだったけど、論理主義というのは
数学的真理の絶対確実性がいかにして可能か、という見地から、
論理学の明証性が先立ってあるという考え方、だと思う。
確かに、数学の公理を理解するのにも、まず言葉で確かめつつ
理解する。1はこういうものをあらわす数字で、+は数字を
加えることで…(実際はもっと詳しい説明があるみたいだけど)
数学より、論理学のが先立ってあるものかもしれない。
ラッセルの関心は、「われわれは何を確実に知っているのか、
また、それはいかにしてか」という問いが常に潜んでいた。
(前期の)ヴィトはそのような問いに関しては、「哲学より
むしろ心理学に属するもの」として軽視していたけれども、
ラッセルはそうは考えなかった。だから、分析哲学の中でも
ラッセルは、近代哲学的な問題関心をもつ哲学者とよく言われる
らしい。
ここでも、目次を二つつけてそれぞれについてまとめます。
・論理的分析
・記述理論と見知りの原則
まず・論理的分析から。
ラッセルによれば、事実の分析は、それをあらわす命題
(簡単に言うと、真偽が判定できるような意味のある文章)の
分析を通じて行われる。
ある命題を分析するとはどういうことか。
それは、どのような種類の、他のより単純な命題を、
論理的に前提しているかを解明し、そのような仕方をもって
論理的単純者(論理的原子ともいう。物質を構成している
原子のイメージで、命題を分析するのだろう)を発見する
こと。
それによって、ふだん何気に使っている命題に対して、
実際にはどんな知識などを前提にしているのかが明らかに
なるのだという。
はい、とりあえずここまでのまとめとしては、
「とある文章の意味を詳しく知ろうと思えば、その文章を
構成している語句を小分けにして、それが前提にしている
情報を明らかにするべき」くらいに理解するといいんでは
ないでしょうか。
もっと短くすれば「文章の意味は、小分けにして見れば
分かりやすい」はい、これですね。頭がついてかないので
こんなもんで…論理学を基礎からやると、すんなり入る
のかもしれないですけども。
次、その小分けにした語句が具体的には何を指しているべき
なのか?について、
ラッセルによれば、有意味な命題に含まれる語句は必ず、
現実にある何らかの対象を指す名前であるとされる。
無意味な命題なら、現実になくてもいいんでしょうね。
しかしながら、「必ず現実にある対象を指している必要が
ある」というのはどう考えてたどりついた結論なんです
かね…。
語句が有意味であるためには、現実にあるものに対応
していなくてはならないが、命題はそうでもない。
まるで無意味な命題もあるが、偽であることで、それは
それで有意味な命題もある。真であることも偽であることも
できる、という二重性を命題はもっている。
そういうところで、名前と命題は違う、のだという。
(しかし辞書の意味からすると、「無意味な命題」という
ものが存在するのか疑問にも思う)
もうちょっと基礎からやりたい気分。その2へ。
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