≪現代哲学(9)−論理実証主義・フレーゲについて<その2>−≫
2004年8月19日<その1からつづき>
数学に関数とか変数という概念がある。うん、代数だったっけ。
まぁ、覚えてないんですが、y=x^2とかそういうものですね。
フレーゲはこの考え方を応用して、新しい論理学を作り出す。
例えばさっきの「AはBを愛する」という場合。
これを、「A」という主語と「Bを愛する」という述語に分解
するのではなく、「A」と「B」という独立変数と、「〜は〜
を愛する」という関数に分ける。
さきの「誰でも誰かを愛する」という場合も、この「〜」に
代入することになる。さらにもう少し変形すれば、
「すべてのxについて、あるyがあって、xはyを愛する」
という形になっていると解釈される。
また少し難しいのだけど、このような関数の形式を使って、
さらに「すべて」とか「ある」にかかわる論理的規則を
挙げることによって始めて、このような文が現れる論証の
妥当性をテストすることが可能になった、のだという。
…う〜ん、さすがに数学だから、俺の手に余る…
文はその意味のうちに様々なニュアンスとか強調、情緒の
違いを含みうるが、それが伝える認識的内容に関しては、
それがどういう文とどういう論理関係にあるか、ということが
重要なんであって、他のものは捨象(しゃしょう。性質や
共通性とかを考察する際に、その本質のみを抜き出して他は
捨てること)されるべきである。
そして、文の論理内容は、上のような論理的記法で正確に
記述されうる、とした。
そこで、この関数を使った原則をつかって、文の認識的
意味を、その論理的分析に応じて解明していこうとした。
それで、フレーゲは、言語表現の意味を分析する際に、
次の二つの原則を立てた。
1.ある言語表現の意味は、それがあらわれる文全体の
意味に対していかなる貢献をするか、という点から考察
されるべきである。
2.文全体の意味は、それにあらわれる言語表現の意味
合成による、という原則。
つまり、とある単語はつねに文全体に関係しているし、
文全体の意味は、単語の合成による、ということか。
前者は文脈原理、後者は合成原理と呼ばれる。
これプラス、文は独立変数(名前)と関数、および
量化記号(量記号、量化子ともいう。∀(すべてを表す、
全称記号)とか∃(存在を表す、存在記号)とかのことを
総称してこう呼ぶ)、等の論理的品詞とに分析されると
いう、さきに見た洞察とをあわせて、意味に関する体系的
考察が押し進められた。
ちょっとコーヒーブレイク。これは大変だ、疲れる。
何せ、ほとんど、本質的には理解できないまま進んでいる
から…(’Д`;)
それでフレーゲの考察ははじまるのだけど、簡単に言って
これでフレーゲは半分終わり。
次、「意味と意義」でもう半分が終わって、フレーゲ終了。
数学に関数とか変数という概念がある。うん、代数だったっけ。
まぁ、覚えてないんですが、y=x^2とかそういうものですね。
フレーゲはこの考え方を応用して、新しい論理学を作り出す。
例えばさっきの「AはBを愛する」という場合。
これを、「A」という主語と「Bを愛する」という述語に分解
するのではなく、「A」と「B」という独立変数と、「〜は〜
を愛する」という関数に分ける。
さきの「誰でも誰かを愛する」という場合も、この「〜」に
代入することになる。さらにもう少し変形すれば、
「すべてのxについて、あるyがあって、xはyを愛する」
という形になっていると解釈される。
また少し難しいのだけど、このような関数の形式を使って、
さらに「すべて」とか「ある」にかかわる論理的規則を
挙げることによって始めて、このような文が現れる論証の
妥当性をテストすることが可能になった、のだという。
…う〜ん、さすがに数学だから、俺の手に余る…
文はその意味のうちに様々なニュアンスとか強調、情緒の
違いを含みうるが、それが伝える認識的内容に関しては、
それがどういう文とどういう論理関係にあるか、ということが
重要なんであって、他のものは捨象(しゃしょう。性質や
共通性とかを考察する際に、その本質のみを抜き出して他は
捨てること)されるべきである。
そして、文の論理内容は、上のような論理的記法で正確に
記述されうる、とした。
そこで、この関数を使った原則をつかって、文の認識的
意味を、その論理的分析に応じて解明していこうとした。
それで、フレーゲは、言語表現の意味を分析する際に、
次の二つの原則を立てた。
1.ある言語表現の意味は、それがあらわれる文全体の
意味に対していかなる貢献をするか、という点から考察
されるべきである。
2.文全体の意味は、それにあらわれる言語表現の意味
合成による、という原則。
つまり、とある単語はつねに文全体に関係しているし、
文全体の意味は、単語の合成による、ということか。
前者は文脈原理、後者は合成原理と呼ばれる。
これプラス、文は独立変数(名前)と関数、および
量化記号(量記号、量化子ともいう。∀(すべてを表す、
全称記号)とか∃(存在を表す、存在記号)とかのことを
総称してこう呼ぶ)、等の論理的品詞とに分析されると
いう、さきに見た洞察とをあわせて、意味に関する体系的
考察が押し進められた。
ちょっとコーヒーブレイク。これは大変だ、疲れる。
何せ、ほとんど、本質的には理解できないまま進んでいる
から…(’Д`;)
それでフレーゲの考察ははじまるのだけど、簡単に言って
これでフレーゲは半分終わり。
次、「意味と意義」でもう半分が終わって、フレーゲ終了。
コメント