<その3からつづき>

・次は「頽落」。
この「頽落」、辞書にないんですよね。「頽廃(たいはい)」
とかいう使われ方もするのでたぶん「たいらく」でいいと
思うんですが。

見た感じでわかるとおり、何かから落ちてしまってる
わけだけど、この表現が使われるときは「現存在が、
その本来のあり方(本来性)から、世俗の価値観とか
俗なあり方などに染まり、それ(本来性)を忘れて
しまっているあり方(非本来性)へと落ちてしまってる」
ことを指します。

それで、現存在は気遣いによって(?)世俗の価値観に染まり
頽落してしまっているのだが、そんな現存在に本来性を
取り戻させるものは何か?

これはちょっとわかりやすい話なので、説明しやすい。

ハイデガーによれば、それは現存在の誰もがもつ「死への
不安」なのだそうだ。

え〜?死への不安なんて、誰もがしょっちゅう抱いてる
か?とも思えますが、もう少しつづけます。

つい先ほど、「被投性」から来るなんとなく無気力な、
アンニュイな気分について説明したけれど、あれは実は
この「死への不安」の「頽落」バージョンともいうべき
もの。それは本来、いつか死ぬ(と確信している)現存在
の不安のあらわれであるが、頽落しているのでそれに
気づかない。

現存在は、いつか死ぬことがわかっている。他人の死を
見るし、そういう知識を誰もがどこかで知るから。

「死」の先は誰も知らないが、なんとなく「無」のイメージ
がある。そこへたどり着いたら、もう終わり、という。

さらにここが大事だが、物とかなら、他人といくらでも
交換できるし、無くしても取り返しがつく。責任とか
つらいことも、他人に代わって受けてもらえなくもない。
しかし、「死」は絶対に他人と取り替えることができない。

ハイデガーは<死の絶対交換不可能性>と確か
呼んでいたけど、このことが、現存在を世俗の価値に
頽落した状態から本来性へと引き戻すカギとなる、のだそうだ。

また人間誰しも、毎日をある程度努力して生きているのも
この「死への不安」ゆえだという。

んなこたない、と思うかもしれない。しかし、もし永遠の
命が自分にあるとしたら、今この場で努力をしようと思う
だろうか?もっと堕落した生活になってしまわないだろう
か。何せ、何をしていても永遠に生きていられるのだ。
もし夏休みが永遠に続くなら、宿題なんてやりもしないのと
同じである。人間のあり方の根底には、実は「死への不安」が
横たわっているのである…なかなか鋭い洞察だと思う。

…う〜ん、まだ説明足らずのような気がする。

「頽落」との関連としては、人間(現存在)は、死を前に
した時、自分を偽ることはできない、というくらいに
理解しておくといいかもしれない。

それで「頽落」している現存在のあり方の具体例なんかは
どういうものがあるのか、というと…

これは、欲におぼれたり、富とか名声に執着する人間の
あり方とか、と思う。

これらは「死」を前にしたら吹っ飛ぶ、薄い価値だ。
今際の際に思うことは、それよりもっと「本来的」な
ことだろうと思う。

少しごちゃごちゃしてしまった。重要なのは「頽落」を
「本来性」に引き戻すのが「死への不安」というところ
です。

その5へ。

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