≪近代哲学(21)−深層心理学・フロイトについて−≫
2004年8月4日これもかなり有名な哲学者…じゃなくて心理学者なんだけど、
ジグムント・フロイト(1856〜1939)。フロイドなんていわれたり
もするようだけど、フロイトのがなじんでるのでいいですね。
なんでフロイトが出てくるのかというと、まぁはじめての哲学史
で扱ってるからなんですが、なんでも「人間の無意識」の
存在をはじめて扱ったからなんだそうです。
ちょっとマルクスと似通ったところがあって、それは、人間の
本質は人間個人ではなくて周囲の関係と無意識に規定されている
部分がある、というところ。
デカルトは「コギト」を明証な出発点としたが、果たしてそれは
どうだろうか。人間はイデオロギーとか、フロイトのいう
「無意識」に規定されているのではないだろうか?
人間が明証的に知ることができる「コギト」も、どこまで
正しいのか分からない。なぜなら、意識することができない
深層心理によって、人間は規定されているから…。
フロイトは、人間の意識を統一的にでなく、構造的に扱った。
有名な、エス、自我、超自我という構造である。
人間の自我はこのエスと超自我に挟まれて、危うい均衡を
生きている頼りない存在である。
今では認知度が高いせいか、割と常識的なこの考え方もまた、
フロイトが先鞭をつけたからこそ存在するという。
カントは人間の理性を振り返り、その構造と限界を
つきつめたが、フロイトにおいて、またそれをもう一度
やり直す必要が出てきた、という。
ふつうに考えても、神経症の人間などがいることを考えると、
人間の意識は無条件に正常を保つとは思えない。
フロイトは患者の精神分析を通して、人間の欲望とか
普段は表に出ない意識部分が、実は幼少の頃に周囲から受けた
影響に規定されているのではないか、と思った。
成長の過程における他者の関係。確かにそれは、人間の
認識能力に対する影響は多大なはずだ。人間の意識は
正常とされている人のそれを分析するだけでは見えてこない。
性倒錯や精神疾患の症状は、人間の意識の発展の歴史の
陰画(ネガ)である。
つまり、成長過程で周囲から歪んだ情報を与えられ続ければ、
いわゆる「正常」な意識、認識能力をもって育つとは限らない、
一般大衆とは違う形での精神のあらわれ、それが精神病患者とか、
生物的には少し意味がないような、通常とは違った性欲を
示すようになった人たちなのである、というのだ。
確かにそれはその通りだ。今までの哲学では、それが抜けていた。
さらにフロイトで有名なのはエディプス・コンプレックスの
考え方だ。幼児の頃の男の子は誰でも母親を愛していて、
我が物にしようとするが、父親に阻まれてそれが不可能だと
知る。そして父親を無意識的に憎むようになる…
フロイトはこの理論をさらに発展させて、近親相姦の禁止が
社会におよぼす影響についても考察した、らしい。が、
具体的にどういうことなのかはよく理解できないので割愛
する。
また、戦争に赴く兵士たち、戦場でばたばたと倒れていく
兵士を見るにつれ、人間には「死へと赴く感情」(タナトスと
呼ばれる)が存在するのではないか、と考えるようにもなった。
しかし実際、フロイトの精神分析については、そういう考え方も
できなくはない、程度のもので、心理学的には微妙でもある
ようだ。ただ、最近脳生理学と符合するところが出てきて
話題にもなっているとか。
ともあれ、エス・自我・超自我の関係における貢献が大きい
のかな。のちにラカンとかバルトっていう心理学まじりの
現代思想家も出てきたみたいなんですが、レヴィ=ストロースって
人も、社会分析にフロイトの理論を用いているとか。それは
また、現代哲学以降で扱いましょう。
ジグムント・フロイト(1856〜1939)。フロイドなんていわれたり
もするようだけど、フロイトのがなじんでるのでいいですね。
なんでフロイトが出てくるのかというと、まぁはじめての哲学史
で扱ってるからなんですが、なんでも「人間の無意識」の
存在をはじめて扱ったからなんだそうです。
ちょっとマルクスと似通ったところがあって、それは、人間の
本質は人間個人ではなくて周囲の関係と無意識に規定されている
部分がある、というところ。
デカルトは「コギト」を明証な出発点としたが、果たしてそれは
どうだろうか。人間はイデオロギーとか、フロイトのいう
「無意識」に規定されているのではないだろうか?
人間が明証的に知ることができる「コギト」も、どこまで
正しいのか分からない。なぜなら、意識することができない
深層心理によって、人間は規定されているから…。
フロイトは、人間の意識を統一的にでなく、構造的に扱った。
有名な、エス、自我、超自我という構造である。
人間の自我はこのエスと超自我に挟まれて、危うい均衡を
生きている頼りない存在である。
今では認知度が高いせいか、割と常識的なこの考え方もまた、
フロイトが先鞭をつけたからこそ存在するという。
カントは人間の理性を振り返り、その構造と限界を
つきつめたが、フロイトにおいて、またそれをもう一度
やり直す必要が出てきた、という。
ふつうに考えても、神経症の人間などがいることを考えると、
人間の意識は無条件に正常を保つとは思えない。
フロイトは患者の精神分析を通して、人間の欲望とか
普段は表に出ない意識部分が、実は幼少の頃に周囲から受けた
影響に規定されているのではないか、と思った。
成長の過程における他者の関係。確かにそれは、人間の
認識能力に対する影響は多大なはずだ。人間の意識は
正常とされている人のそれを分析するだけでは見えてこない。
性倒錯や精神疾患の症状は、人間の意識の発展の歴史の
陰画(ネガ)である。
つまり、成長過程で周囲から歪んだ情報を与えられ続ければ、
いわゆる「正常」な意識、認識能力をもって育つとは限らない、
一般大衆とは違う形での精神のあらわれ、それが精神病患者とか、
生物的には少し意味がないような、通常とは違った性欲を
示すようになった人たちなのである、というのだ。
確かにそれはその通りだ。今までの哲学では、それが抜けていた。
さらにフロイトで有名なのはエディプス・コンプレックスの
考え方だ。幼児の頃の男の子は誰でも母親を愛していて、
我が物にしようとするが、父親に阻まれてそれが不可能だと
知る。そして父親を無意識的に憎むようになる…
フロイトはこの理論をさらに発展させて、近親相姦の禁止が
社会におよぼす影響についても考察した、らしい。が、
具体的にどういうことなのかはよく理解できないので割愛
する。
また、戦争に赴く兵士たち、戦場でばたばたと倒れていく
兵士を見るにつれ、人間には「死へと赴く感情」(タナトスと
呼ばれる)が存在するのではないか、と考えるようにもなった。
しかし実際、フロイトの精神分析については、そういう考え方も
できなくはない、程度のもので、心理学的には微妙でもある
ようだ。ただ、最近脳生理学と符合するところが出てきて
話題にもなっているとか。
ともあれ、エス・自我・超自我の関係における貢献が大きい
のかな。のちにラカンとかバルトっていう心理学まじりの
現代思想家も出てきたみたいなんですが、レヴィ=ストロースって
人も、社会分析にフロイトの理論を用いているとか。それは
また、現代哲学以降で扱いましょう。
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