≪近代哲学(18)−ニーチェについて<その5>−≫
2004年8月3日<その4からつづき>
・超人について
超人とは何か、これは「力への意志」もそうかもしれないけど、
これはもっと解釈が分かれている考え方だと思う。「永遠回帰」も
そうみたいだけど。
昭和堂のほうでは超人は大して扱われていない。何しろ、ニーチェの
本を見ると、遺伝的な優性思想的を示すような文章すらあって、
かのナチス・ドイツと重なって、あまりいい印象をもたれていない
ようだ。また、「人間は、動物と超人との間にかけ渡された1本の
綱である」という言葉から見られるように、遺伝的な進化を前提と
した思想と受け取られることもあるという。もし本当にそうなら、
ちょっと哲学として肯定的に扱うのは難しい。
ともかく、解釈が難しいようだが、ここは「はじめての哲学史」に
依拠しよう。いずれ直接読んで確かめたい。
キリスト教にかわる「真理」として受け取られるのを恐れたために、
あまりはっきりとした「超人」像を描いてはいない、という事情も
あるようだが、それにしてもあいまいにしては解釈が乱立してしまって
意味がないような気もする。まぁとりあえず見ていこう。
ニーチェはキリスト教を批判したが、キリスト教の問題点は
何かといえば、それは、弱者の生を守る「自己保存」のための
思想としては優れていたが、生きる力を生み出す欲望や力への意志を
圧殺するところだ。
ニーチェの言葉を借りれば、
「キリスト教は保存には役立つが生長には役立たない。それは
無難で誠実な善人を創り出すが、苦悩を引きうけつつ生の新たな
可能性を可能性を探求しようとする強い人間をむしろ抑圧する」
ニーチェの思想は、このキリスト教に変わる新たな思想、価値を
見出すところにある。これが、「超人」だというのだ。
ニーチェは、「人間は平等」とするキリスト教、または
民主主義とか社会主義に対する批判者でもあった。そうやって
人間を平等に扱うことは、本来より強いものへと向かう力をもつ
「力への意志」を抑圧することになると思ったからだろう。
いまさら超人を頂点に据えた階級社会は作りようもないので、
彼の民主主義批判には無理があるにはある。だが、ニーチェの
考える「超人」は、他の人々に、「こんな人間のあり方だって
ある」という希望を持たせるためのもの、だという。
ルサンチマンに陥ることなく、苦難を引き受け、さらに
「力への意志」に従い自分を高めていくことができる、
自分の生の苦難を、自分の生において引き受けることが
できる、そうした「超人」像がニーチェの描く、ニヒリズムを
超える思想だった。
自分の苦から目を逸らさず受け止める必要がある、というのは
今では歌謡曲でだって聴ける話ではあるが、それは今だから
なのかもしれない。この頃は、弱者救済の論理はキリスト教に
すべて回収されてしまう時代だったのだろう。
そう思うと、ニヒリズム含め、このときすでにニーチェは、
今に通じる論理を見出していたと言えるかもしれない。
つづいてニヒリズムに対抗するために打ち出した思想が
「永遠回帰」である。
・永遠回帰
これは結構、俺の感覚にも物凄くフィットする思想。
ニヒリズムを超えるための「永遠回帰」(「永劫回帰」のほうが
語感的には好きなんだけど)、この思想は確かに凄い。
俺なりに噛み砕けば、「否が応でも、現実から目を逸らさせない
ための考え方」だ。
「超人」もそういう意味では倫理的にも重要な考え方だと
思うけど、こちらがかなり強力。
ニーチェが生きていた頃、今ではもう常識となっている
「エネルギー保存の法則」が発見されている。ニーチェが
生まれた年の3年後の1847年。ドイツの物理学者、マイヤーと
ヘルムホルツが発見した
それがどうかしたの?と思う、そう哲学に関係ないような
感じもするが、実はこれが永遠回帰のアイデアの元になっている。
まぁ、はっきり言って「超人」と「永遠回帰」は割と
お好みで、という感じの思想で、同意する人もいれば
しない人もいると思う。「力への意志」よりは普遍的では
ない。
でも、もしこの「永遠回帰」を本当かもしれない、と思う
ならば、現実から目を逸らすわけにいかなくなる。少なくとも
俺はそう思った。
昭和堂では、究極的な目的がもしあるならば、現実において
次の一瞬一瞬は、その目的に向かう新しい瞬間だけれども、
目的のない世界においては、その一瞬一瞬が前の状態を保存
しているだけなのであって、無意味・無目的である、
そしてまた、一瞬前と現在がエネルギー保存の法則によって
等価であるならば、今は過去においてもすでに現存していた、
また未来においてもそうだと言えるのではないか。
このニヒリズムを超えるためには、その一瞬一瞬を肯定すべき
なのである、というような結論になるが、「はじめての哲学史」
から俺が得た結論はちょっと違う。どちらが妥当かは分からない
けど。
長くなったので、その6につづく。
・超人について
超人とは何か、これは「力への意志」もそうかもしれないけど、
これはもっと解釈が分かれている考え方だと思う。「永遠回帰」も
そうみたいだけど。
昭和堂のほうでは超人は大して扱われていない。何しろ、ニーチェの
本を見ると、遺伝的な優性思想的を示すような文章すらあって、
かのナチス・ドイツと重なって、あまりいい印象をもたれていない
ようだ。また、「人間は、動物と超人との間にかけ渡された1本の
綱である」という言葉から見られるように、遺伝的な進化を前提と
した思想と受け取られることもあるという。もし本当にそうなら、
ちょっと哲学として肯定的に扱うのは難しい。
ともかく、解釈が難しいようだが、ここは「はじめての哲学史」に
依拠しよう。いずれ直接読んで確かめたい。
キリスト教にかわる「真理」として受け取られるのを恐れたために、
あまりはっきりとした「超人」像を描いてはいない、という事情も
あるようだが、それにしてもあいまいにしては解釈が乱立してしまって
意味がないような気もする。まぁとりあえず見ていこう。
ニーチェはキリスト教を批判したが、キリスト教の問題点は
何かといえば、それは、弱者の生を守る「自己保存」のための
思想としては優れていたが、生きる力を生み出す欲望や力への意志を
圧殺するところだ。
ニーチェの言葉を借りれば、
「キリスト教は保存には役立つが生長には役立たない。それは
無難で誠実な善人を創り出すが、苦悩を引きうけつつ生の新たな
可能性を可能性を探求しようとする強い人間をむしろ抑圧する」
ニーチェの思想は、このキリスト教に変わる新たな思想、価値を
見出すところにある。これが、「超人」だというのだ。
ニーチェは、「人間は平等」とするキリスト教、または
民主主義とか社会主義に対する批判者でもあった。そうやって
人間を平等に扱うことは、本来より強いものへと向かう力をもつ
「力への意志」を抑圧することになると思ったからだろう。
いまさら超人を頂点に据えた階級社会は作りようもないので、
彼の民主主義批判には無理があるにはある。だが、ニーチェの
考える「超人」は、他の人々に、「こんな人間のあり方だって
ある」という希望を持たせるためのもの、だという。
ルサンチマンに陥ることなく、苦難を引き受け、さらに
「力への意志」に従い自分を高めていくことができる、
自分の生の苦難を、自分の生において引き受けることが
できる、そうした「超人」像がニーチェの描く、ニヒリズムを
超える思想だった。
自分の苦から目を逸らさず受け止める必要がある、というのは
今では歌謡曲でだって聴ける話ではあるが、それは今だから
なのかもしれない。この頃は、弱者救済の論理はキリスト教に
すべて回収されてしまう時代だったのだろう。
そう思うと、ニヒリズム含め、このときすでにニーチェは、
今に通じる論理を見出していたと言えるかもしれない。
つづいてニヒリズムに対抗するために打ち出した思想が
「永遠回帰」である。
・永遠回帰
これは結構、俺の感覚にも物凄くフィットする思想。
ニヒリズムを超えるための「永遠回帰」(「永劫回帰」のほうが
語感的には好きなんだけど)、この思想は確かに凄い。
俺なりに噛み砕けば、「否が応でも、現実から目を逸らさせない
ための考え方」だ。
「超人」もそういう意味では倫理的にも重要な考え方だと
思うけど、こちらがかなり強力。
ニーチェが生きていた頃、今ではもう常識となっている
「エネルギー保存の法則」が発見されている。ニーチェが
生まれた年の3年後の1847年。ドイツの物理学者、マイヤーと
ヘルムホルツが発見した
それがどうかしたの?と思う、そう哲学に関係ないような
感じもするが、実はこれが永遠回帰のアイデアの元になっている。
まぁ、はっきり言って「超人」と「永遠回帰」は割と
お好みで、という感じの思想で、同意する人もいれば
しない人もいると思う。「力への意志」よりは普遍的では
ない。
でも、もしこの「永遠回帰」を本当かもしれない、と思う
ならば、現実から目を逸らすわけにいかなくなる。少なくとも
俺はそう思った。
昭和堂では、究極的な目的がもしあるならば、現実において
次の一瞬一瞬は、その目的に向かう新しい瞬間だけれども、
目的のない世界においては、その一瞬一瞬が前の状態を保存
しているだけなのであって、無意味・無目的である、
そしてまた、一瞬前と現在がエネルギー保存の法則によって
等価であるならば、今は過去においてもすでに現存していた、
また未来においてもそうだと言えるのではないか。
このニヒリズムを超えるためには、その一瞬一瞬を肯定すべき
なのである、というような結論になるが、「はじめての哲学史」
から俺が得た結論はちょっと違う。どちらが妥当かは分からない
けど。
長くなったので、その6につづく。
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