<その3からつづき>

前までで、自己意識の自由が社会(他人)との衝突を繰り返し
ながらも、相互承認することによって調停していくという
原理が明らかになった。

それで、この「自己意識の自由」の“最終目標”はどこに
あるのかというと、これが「絶対本質」である、というので
ある。

「絶対本質」、、言葉のイメージからもわかるけど、これは
人間が本来的に、何か「絶対的なもの」、「ほんとうのもの」
を目指す心性を持っている、ということである。

考えてみれば、昔からそうだ。宗教などをイメージすれば
分かりやすい。「神」に即する色んなものが想定されている。
哲学だって、カントまでは、形而上学的な絶対者にたいする
希求が多くあった。

これをめざす人間の精神の展開のプロセスについて、
ヘーゲルは「信仰」と「啓蒙」を挙げる。

「信仰」は絶対的で超越的な「ほんとう」を、自分を超え出て
彼岸の「聖なるもの」に思い描く、という宗教行為だが、
「啓蒙」は、これの近代的な希求の形態である、という。

「神」や「キリスト」の代わりに、「誠実」「道徳」「社会」
「革命」という目標を立てるのだと。

そして「啓蒙」は幾度も挫折を繰り返しながら「良心」へと
近づいていく。

「良心(=全的に知ること)」とは、絶対的な「ほんとう」への
希求がじつは「精神」の普遍的本質に由来することを、
明確に自覚している精神のあり方のことを言うという。

良心はまた宗教を、絶対本質への希求のあらわれとして理解する。

そしてこの良心と宗教の最高の統合として、絶対知が現れるという。

要するにそれは、人間が、自分のさまざまな欲望や希求の本質を
このうえなく深い形で理解すること、を意味するのだという。

 
このあたりは「はじめての哲学史」の表現が平易で分かりやすい
ので、見ながらまとめるとほとんど写してしまう(いかん…)。

しかし、今の市民社会の常識は、ヘーゲルによって、哲学が
ここまでつきつめられていたわけからこそあるわけですな。

今ヘーゲルはそのあたりに目を止められずに、絶対真理の
追求とかを批判されてるようだけど、ニーチェとかマルクス・
キルケゴールはそのあたり、ちゃんと見抜いて批判してた、という
ことだろうか。

ちなみにヘーゲルの哲学は、実存論的には少し弱みがあるという。
それがどこかはさっぱりだけど、この後の実存主義者は
そこをついてくのでしょう。

さてヘーゲルの主張のまとめとして、これもはじめての哲学史から
引用します(ほかも引用しまくりだけど)。

──────────────────────────

人間は、まずは自己中心的に存在しているが、関係のなかで自分を
実現するほかないから、一定の条件さえあれば必ず他人や社会と
の「善き関係」を欲求するような原理をもっている。すると、個人
が「善き」存在たろうとして他人や社会と取り結ぶ関係の可能な
全体像をだいたいつぎのように描ける。

純粋な理想に燃える青年期の自己意識

→絶対的なものに憧れる自己滅却

→善きものを彼岸に想定する信仰→善とは世の中の困った
人のためになることをすることだという確信

→革命への情熱

→芸術表現や思想的事業にこそ真の普遍性があると信じる
社会性の意識

→そして、絶対的なものへの希求の本性への深い了解としての
「良心」…

 
この道すじは、人間が自分を「善きもの」へ近づけようと
しながら、徐々に自己中心的な思い込みを脱して関係のなかでの
普遍性を獲得していく、そのプロセスの必然性が見事に描かれて
いる。

────────────ここまで────────────
 
そして、ヘーゲルがここまで見事な洞察ができたのは、
はじめにおいている「原理」…「自己意識の自由」と「絶対本質」
が、非常に優れているからだ、としている。

 
また、このヘーゲルの哲学は、社会批判の思想が、どのように
あるべきか、という点においての非常に根底的な原理論たりえて
いる、という点もかなり重要だとしている。

よく、「仮に人間全員が悪人だとしても成り立つ社会が必要だ」
という話を聞くが、これはヘーゲル哲学からはじまった考え方
なのかもね。

社会関係の基本動因は、自己中心性をもった個体どうしの
ルール関係である
…よくよく聞いてみればその通りだ。

ここでヘーゲルが優れているのは、キリスト教みたいに、
社会のルールをどこか超越的なものにおくのではなくて、
人間の諸関係を考察することによって得られた原理を
つかっている、という点だという。これは、ヘーゲルの
近代哲学の完成者と呼ぶにふさわしい、超一級の功績だった、
のだという。

確かに、これが本当ならば凄いことだ。

 
しかし不思議なのは、なんでヘーゲルはこれをもっと簡単な
言葉でかかんのやろか。(?_?)

 
…さて近代哲学はこれで完成を見た、というが、哲学史は
この後もまだまだ続く。

ジルソンによればきっと、「近世」はここで終わって次からは
「現代」なんだろうなぁ。でも、ここははじめての哲学史の
区分に従います。

次は、ニーチェに凄く影響を与えた哲学者、ショーペンハウアー。
その次はキルケゴール、そしてニーチェ。

前2人はビッグネームのヘーゲルの次じゃかすむけど、
しかしニーチェはこれまた、きっとヘーゲル以上に認知度は
高いですな。

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