≪近代哲学(11)−ルソーについて−≫
2004年7月27日ルソー(1712〜1778)は社会契約説そのまんま、「社会契約論」と
いう本を書いてます。ホッブズとかロックについては微妙でも、
ルソーは世界史で習ったので、しっかり名前(だけ)は覚えてますね。
ルソーの生きた18世紀のヨーロッパは戦乱の時代でもあったけど、また
すっごい権力が腐敗してた時代でもあった。全人口の2パーセントに
すぎない聖職者とか貴族が、国中の富をほしいままにしてたと。
戦乱の時代だったから戦費もかさんだし、宮廷は無駄に浪費してたから
しわ寄せが農民、市民にいくわけで、貧困にあえいでいたとか。
その悲惨を見かねて、またルソーも社会契約説をとなえる。
とはいえこういう状態って昔からあったんだろうけど、やっぱり
キリスト教の権威の崩壊っていう原因も大きいのでしょうな。
ルソーいわく
「人間は自由なものとして生まれた。しかもいたるところで鎖に
つながれている。自分が他人の主人であると思っているようなもの
も、じつはその人々以上に奴隷なのだ」
さてルソーも、ほかの2人と同じく「自然状態」を想定する。
しかしその状態はロックよりも楽観的で、自然状態において人は
「平和にもっとも適し、人類にもっともふさわしい」のである。
原初の人間は、「自己保存」の感情と「憐れみ」の情のままに
生きている。
ちょっと楽観的すぎる気もするが、つづけてみていこう。
しかし人間が「社会状態」に入るとき、彼らは自尊心や虚栄心が
芽生え、利己心がめざめて所有権のために残忍な闘争が引き起こされる、
と。そして自然状態が維持できないほどにこの障害が大きくなった
とき、「人類は生存の仕方を変えなければ」ならない。
それは自由と権利に基づく社会である。
またロックと違うのは、その権利が神から授かったものではない、
としたこと。あくまで「それは約束にもとづくものだ」とした。
しかし道徳の授業みたいで眠いですな…大事な話なんだろうけど
ルソーにとって解決すべき根本問題は、人類皆の生命と財産を
共同の力で守ることのできるような人間の結合形式を見つけ出す
ことである。
「それによって各人が、すべての人々と結びつきながら、しかも
自分自身にしか服従せず、以前と同じように自由であること」
これを解決するプランこそが、社会契約説なのだ。
社会契約では、各人はすべての権利を共同体に対して全面的に
譲渡する。譲渡は全ての人にとって等しい条件で行われるので
特定の人に何らかの権利は残らないし、共通の上位者も存在
しない。
すべての人々が「主催者」となる。つまり、完全な平等が実現される。
こうして、各人が取り決めたルールによる社会が出来上がるが、
この社会は各人にとっての利益を追求するだけのものではなくて、
社会全体の利益を追求するものだとルソーは考えた。
この社会全体の利益を考える意志が「一般意志」と呼ばれるものだ。
ルソーによれば、「一般意志は、つねに正しく、つねに公の
利益をめざす」という。この一般意志というのは、ルソーの
社会契約論の中心概念であり、また、近代市民社会の根幹をなす
概念でもあるという。これは大事そうだ。
内容は複雑のようだが、「はじめての哲学史」では次の4つに
要点をまとめてくれている。
1.一般意志とは人々の契約によってつくられた<政治体>の
意志である。
2.一般意志だけが国家のもろもろの力を指導できる。そもそも
国家は公共の幸福を実現するためにつくられたものだから、
「公の利益をめざす」共同体の意志つまり一般意志だけが国家を
リードできるのである。
3.一般意志は個々人の利害のなかにある共通なものを保護する。
「社会はもっぱらこの共通の利害に基づいて、治められなければ
ならないのである」
4.一般意志の表明は、法律となる。ここでの一般意志は、
法律の法律(法の根拠)である。
ルソーは、法が提案されるとき
「人民に問われていることは、それが人民の意志、すなわち、
一般意志に一致しているかいなか、ということである」
と述べている。
各人が自分の利益を先にするという本性を持っているにしても、
それを社会で一番効率よく発揮するには、一般意志をもって
これを調停するのが一番であるとルソーは考えた。
これは今もって有効な考え方であるといえると思う。
あらゆる社会制度に対するさまざまな批判は、これを根拠に
なされなければならない。
フー疲れた。次はカントにいきます。
いう本を書いてます。ホッブズとかロックについては微妙でも、
ルソーは世界史で習ったので、しっかり名前(だけ)は覚えてますね。
ルソーの生きた18世紀のヨーロッパは戦乱の時代でもあったけど、また
すっごい権力が腐敗してた時代でもあった。全人口の2パーセントに
すぎない聖職者とか貴族が、国中の富をほしいままにしてたと。
戦乱の時代だったから戦費もかさんだし、宮廷は無駄に浪費してたから
しわ寄せが農民、市民にいくわけで、貧困にあえいでいたとか。
その悲惨を見かねて、またルソーも社会契約説をとなえる。
とはいえこういう状態って昔からあったんだろうけど、やっぱり
キリスト教の権威の崩壊っていう原因も大きいのでしょうな。
ルソーいわく
「人間は自由なものとして生まれた。しかもいたるところで鎖に
つながれている。自分が他人の主人であると思っているようなもの
も、じつはその人々以上に奴隷なのだ」
さてルソーも、ほかの2人と同じく「自然状態」を想定する。
しかしその状態はロックよりも楽観的で、自然状態において人は
「平和にもっとも適し、人類にもっともふさわしい」のである。
原初の人間は、「自己保存」の感情と「憐れみ」の情のままに
生きている。
ちょっと楽観的すぎる気もするが、つづけてみていこう。
しかし人間が「社会状態」に入るとき、彼らは自尊心や虚栄心が
芽生え、利己心がめざめて所有権のために残忍な闘争が引き起こされる、
と。そして自然状態が維持できないほどにこの障害が大きくなった
とき、「人類は生存の仕方を変えなければ」ならない。
それは自由と権利に基づく社会である。
またロックと違うのは、その権利が神から授かったものではない、
としたこと。あくまで「それは約束にもとづくものだ」とした。
しかし道徳の授業みたいで眠いですな…大事な話なんだろうけど
ルソーにとって解決すべき根本問題は、人類皆の生命と財産を
共同の力で守ることのできるような人間の結合形式を見つけ出す
ことである。
「それによって各人が、すべての人々と結びつきながら、しかも
自分自身にしか服従せず、以前と同じように自由であること」
これを解決するプランこそが、社会契約説なのだ。
社会契約では、各人はすべての権利を共同体に対して全面的に
譲渡する。譲渡は全ての人にとって等しい条件で行われるので
特定の人に何らかの権利は残らないし、共通の上位者も存在
しない。
すべての人々が「主催者」となる。つまり、完全な平等が実現される。
こうして、各人が取り決めたルールによる社会が出来上がるが、
この社会は各人にとっての利益を追求するだけのものではなくて、
社会全体の利益を追求するものだとルソーは考えた。
この社会全体の利益を考える意志が「一般意志」と呼ばれるものだ。
ルソーによれば、「一般意志は、つねに正しく、つねに公の
利益をめざす」という。この一般意志というのは、ルソーの
社会契約論の中心概念であり、また、近代市民社会の根幹をなす
概念でもあるという。これは大事そうだ。
内容は複雑のようだが、「はじめての哲学史」では次の4つに
要点をまとめてくれている。
1.一般意志とは人々の契約によってつくられた<政治体>の
意志である。
2.一般意志だけが国家のもろもろの力を指導できる。そもそも
国家は公共の幸福を実現するためにつくられたものだから、
「公の利益をめざす」共同体の意志つまり一般意志だけが国家を
リードできるのである。
3.一般意志は個々人の利害のなかにある共通なものを保護する。
「社会はもっぱらこの共通の利害に基づいて、治められなければ
ならないのである」
4.一般意志の表明は、法律となる。ここでの一般意志は、
法律の法律(法の根拠)である。
ルソーは、法が提案されるとき
「人民に問われていることは、それが人民の意志、すなわち、
一般意志に一致しているかいなか、ということである」
と述べている。
各人が自分の利益を先にするという本性を持っているにしても、
それを社会で一番効率よく発揮するには、一般意志をもって
これを調停するのが一番であるとルソーは考えた。
これは今もって有効な考え方であるといえると思う。
あらゆる社会制度に対するさまざまな批判は、これを根拠に
なされなければならない。
フー疲れた。次はカントにいきます。
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