ところで
2005年4月2日盗撮とか盗聴ってのは、一般人の家にでも多いみたいですね。
俺の家にも、前の彼女のアパートにもあったんだろうか
とテレビの特集を観て思った。
まぁ、盗撮、盗聴その他に気付いているぶんにはまだいいけどね・・
俺の家にも、前の彼女のアパートにもあったんだろうか
とテレビの特集を観て思った。
まぁ、盗撮、盗聴その他に気付いているぶんにはまだいいけどね・・
いろいろあったが
2005年4月2日日記、やめようと思います。
今関係のある人にアレなのは、いろいろと利用できるかな
と思ったんだけど、それも微妙だし。ネット経由の情報は
もうヤメ。
最後に、かなり私的ですが最後のヨタ話を。
昨日、弟のいつも行っている美容院に行って来た。
俺って中学生頃からだんだんオタク化していった人なんだ
けど、同時に、オタク文化にあまり縁がない家族からは
その意味では蔑視を受けていた、俺も割りとそれは分かって
いたけど、それほど危機感もなかったし、その文化が
好きだったので、そのままにしておいた。
そのひずみはやっぱり色々なところで噴出するもので、
オタク文化から距離をとろうかと思索してる今となっては
ひずみから来る悪影響が気になってしょうがない。
今日、弟の通う美容院に行ったのは、その意味で非常に
いい経験だったかもしれない。美容院って美容師さんと
色々会話するもんで、弟は俺のソレに関していろいろ話して
いたらしく(当然、愚痴だったろう)。初対面にもかかわらず、
態度が明らかに変だった。CGデザインの専門学校に行っている
という話をしただけで返答に「マニアック」という単語が
出てくる。
名前も聞いてて知ったのか、なんなのか知らない。予約時に
名前とか、アンケートに住所とか書いたから、多分簡単に
特定できただろう。
被害妄想かもしれないが、ただ、初対面の他人に取る態度とは
とても思えなかったのでそう考えるしか、理論的じゃなかった。
オタクに対する、一般の人の視線というのが、直に触れると
これほど冷たいものなのかというか、なんというか。
相手は男で、美容師っていうくらいだかそれはもう、オシャレで
イケメンだった。ちょちょっと話した後はお互い痛い沈黙が
流れる。
これは凄く思うんだけど、自分の欠点を自覚している、という
ことを、「それを非難してる相手にも分からせる」ということは、
なるたけしないほうがいい。のだけど、俺はどうにもしてしまう。
「分かっていないわけではないよ」と言いたいからだ。
でも、欠点を分かっていてそのままだというのは、他人から見ると
単にオタクしているよりもタチが悪く、みっともないのだ。
オタクだという自負をもって、自分なりの理屈をもって
オタクしてれば、存分に蔑視はするだろうけども、そういう
存在として一般人は認めるだろう。けれど、それを自己嫌悪している
と、存分に蔑視できなくて気持ち悪い。主たる原因はそこだろう
けど。
俺の中で1、2を争う欠点は、自分の欠点を自認しながら
それを怠惰にまかせてどうともしない事だろう。
なら、自分の中のオタク要素を出来るだけ取り除く作業をすべき
だ。何年かかるか知らないが。
こういう時、男の知り合いは「もう無駄」と言いたがる。
俺自身も、「もう無理だろう」と思いたがる。
人って、同じことを何度もしながら、それをなんとも思わないことが
多いものだね。頭のいい人が世の中をある程度敷衍できてしまう理由だ。
ああ、なんか内容が二転三転してしまった。俺は頭のいい部類の
人間じゃないんだな。文章を読み返すといつもそう思う。
今関係のある人にアレなのは、いろいろと利用できるかな
と思ったんだけど、それも微妙だし。ネット経由の情報は
もうヤメ。
最後に、かなり私的ですが最後のヨタ話を。
昨日、弟のいつも行っている美容院に行って来た。
俺って中学生頃からだんだんオタク化していった人なんだ
けど、同時に、オタク文化にあまり縁がない家族からは
その意味では蔑視を受けていた、俺も割りとそれは分かって
いたけど、それほど危機感もなかったし、その文化が
好きだったので、そのままにしておいた。
そのひずみはやっぱり色々なところで噴出するもので、
オタク文化から距離をとろうかと思索してる今となっては
ひずみから来る悪影響が気になってしょうがない。
今日、弟の通う美容院に行ったのは、その意味で非常に
いい経験だったかもしれない。美容院って美容師さんと
色々会話するもんで、弟は俺のソレに関していろいろ話して
いたらしく(当然、愚痴だったろう)。初対面にもかかわらず、
態度が明らかに変だった。CGデザインの専門学校に行っている
という話をしただけで返答に「マニアック」という単語が
出てくる。
名前も聞いてて知ったのか、なんなのか知らない。予約時に
名前とか、アンケートに住所とか書いたから、多分簡単に
特定できただろう。
被害妄想かもしれないが、ただ、初対面の他人に取る態度とは
とても思えなかったのでそう考えるしか、理論的じゃなかった。
オタクに対する、一般の人の視線というのが、直に触れると
これほど冷たいものなのかというか、なんというか。
相手は男で、美容師っていうくらいだかそれはもう、オシャレで
イケメンだった。ちょちょっと話した後はお互い痛い沈黙が
流れる。
これは凄く思うんだけど、自分の欠点を自覚している、という
ことを、「それを非難してる相手にも分からせる」ということは、
なるたけしないほうがいい。のだけど、俺はどうにもしてしまう。
「分かっていないわけではないよ」と言いたいからだ。
でも、欠点を分かっていてそのままだというのは、他人から見ると
単にオタクしているよりもタチが悪く、みっともないのだ。
オタクだという自負をもって、自分なりの理屈をもって
オタクしてれば、存分に蔑視はするだろうけども、そういう
存在として一般人は認めるだろう。けれど、それを自己嫌悪している
と、存分に蔑視できなくて気持ち悪い。主たる原因はそこだろう
けど。
俺の中で1、2を争う欠点は、自分の欠点を自認しながら
それを怠惰にまかせてどうともしない事だろう。
なら、自分の中のオタク要素を出来るだけ取り除く作業をすべき
だ。何年かかるか知らないが。
こういう時、男の知り合いは「もう無駄」と言いたがる。
俺自身も、「もう無理だろう」と思いたがる。
人って、同じことを何度もしながら、それをなんとも思わないことが
多いものだね。頭のいい人が世の中をある程度敷衍できてしまう理由だ。
ああ、なんか内容が二転三転してしまった。俺は頭のいい部類の
人間じゃないんだな。文章を読み返すといつもそう思う。
おー
2005年3月17日>Cafe-LaFaloさん
乙でした!!いつかおかえりになるのをまっておりますm(__)m
そういえば、始めたころのリンクはってくれた人は
次々とやめていきますね・・・
乙でした!!いつかおかえりになるのをまっておりますm(__)m
そういえば、始めたころのリンクはってくれた人は
次々とやめていきますね・・・
なんだか
2005年3月9日前の日記とか読んでみるに、俺はずいぶんものごとを決め付けて
考えてるように見える・・でも、納得できる考え方に触れれば
いつでも変更可能な程度にしか「確信」していないのであって
自分のもってる理屈に絶対の自信などもっていないのです。
事実、竹田現象学に触れた後はずいぶんと考え方に変化が訪れた。
ほかの哲学に触れたら、なんだ竹田はウソツキじゃないか、と
思うかもしれないが、今はまだわからない。
考えてるように見える・・でも、納得できる考え方に触れれば
いつでも変更可能な程度にしか「確信」していないのであって
自分のもってる理屈に絶対の自信などもっていないのです。
事実、竹田現象学に触れた後はずいぶんと考え方に変化が訪れた。
ほかの哲学に触れたら、なんだ竹田はウソツキじゃないか、と
思うかもしれないが、今はまだわからない。
うーん、どうでもいいなぁ。
うんー
2005年3月8日人間、結局自分が大事。欲のために生きてる。陰では醜い
はず。
誰でも、中学生や高校生あたりで「行き着く」人間性に対する
考えで、俺もこの考えを思いついたときは、ひとつの真理を
考え付いたと思って調子に乗ったものだった。
割とこれが、その後も変わらない人が多いように個人的には
思う。
ほかにも、たとえば、結局深いところでは人と人は分かり合え
ないとか、「人間そういうもん」というひとつの諦めみたいな
考えに行き着いて、そのままという人が実に多い。
というのはまぁ、これがまずひとつの真理というか、正しい
考え方であるからであって、何も多くの人が間違っているとか
言いたいわけではない。
確かに人間の行動は、欲にすべて還元できる。何かをするのは
それをしたいからで例外はない。しかしそこで疑問がおこるのが、
それならばなぜ、良い悪い、美しい醜いなどの価値が存在するのか
ということだ。
要するに、あれをするのは良い悪い、こういう行いは美しい醜い
という「道徳規範」のようなものは、人間がただおのれのことを
考えるだけの生き物なら、構築される理由がない、ということだ。
(よく、「人間すべて欲」という考えにもとづいて、善意なんか
すべて偽善だ、と考える人が多い)
それが慣習的なものであるにせよ、人間には、色と欲「以外」という
より「その上」に、善悪や美醜などの価値基準を構築するもの
だ。つまり、行動すべてが欲に還元されるか否かにかかわらず
人間にとって、こういうことが美しい、良い、また悪い、醜い
という考えは歴然とあるのであって、「人間、結局全ては
おのれの欲のためにやってる」という言い方は、それらを
一挙にくくれはするが、区別について何も説明することはないの
だ。
そういう意味で、「人間、結局は・・・」などという、一種あきらめに
似た考え方は、まだ浅い。と思う。
人間は善悪美醜の価値基準をもつし、一種の幻想、ロマンを持って
その中で生きる。人間の行動すべてが欲によるとしても、
その欲がたとえば、倫理的行動、道徳的行動に向けられることも
あるのであって(ボランティアなどはよく偽善的などと言われる
が、別にそんなことはない)、「欲」は別に100%完全な利己的
行動につながるわけではない。
女性が抱く恋愛に対するロマンや、割と前向きな考え方をする人に
対するアイロニカル、ニヒルな態度を見ると、こんなような考え方を
背景に、どうにも違和感をおぼえる。
人間は、理想的な考え方をして何も問題あるわけじゃない。
実にそれは自然なことなのであって、「人間、結局は自分のため
・・」とかいう言い方で相対化されるようなものではない。
と、日頃思ってることをかいてみました。
はず。
誰でも、中学生や高校生あたりで「行き着く」人間性に対する
考えで、俺もこの考えを思いついたときは、ひとつの真理を
考え付いたと思って調子に乗ったものだった。
割とこれが、その後も変わらない人が多いように個人的には
思う。
ほかにも、たとえば、結局深いところでは人と人は分かり合え
ないとか、「人間そういうもん」というひとつの諦めみたいな
考えに行き着いて、そのままという人が実に多い。
というのはまぁ、これがまずひとつの真理というか、正しい
考え方であるからであって、何も多くの人が間違っているとか
言いたいわけではない。
確かに人間の行動は、欲にすべて還元できる。何かをするのは
それをしたいからで例外はない。しかしそこで疑問がおこるのが、
それならばなぜ、良い悪い、美しい醜いなどの価値が存在するのか
ということだ。
要するに、あれをするのは良い悪い、こういう行いは美しい醜い
という「道徳規範」のようなものは、人間がただおのれのことを
考えるだけの生き物なら、構築される理由がない、ということだ。
(よく、「人間すべて欲」という考えにもとづいて、善意なんか
すべて偽善だ、と考える人が多い)
それが慣習的なものであるにせよ、人間には、色と欲「以外」という
より「その上」に、善悪や美醜などの価値基準を構築するもの
だ。つまり、行動すべてが欲に還元されるか否かにかかわらず
人間にとって、こういうことが美しい、良い、また悪い、醜い
という考えは歴然とあるのであって、「人間、結局全ては
おのれの欲のためにやってる」という言い方は、それらを
一挙にくくれはするが、区別について何も説明することはないの
だ。
そういう意味で、「人間、結局は・・・」などという、一種あきらめに
似た考え方は、まだ浅い。と思う。
人間は善悪美醜の価値基準をもつし、一種の幻想、ロマンを持って
その中で生きる。人間の行動すべてが欲によるとしても、
その欲がたとえば、倫理的行動、道徳的行動に向けられることも
あるのであって(ボランティアなどはよく偽善的などと言われる
が、別にそんなことはない)、「欲」は別に100%完全な利己的
行動につながるわけではない。
女性が抱く恋愛に対するロマンや、割と前向きな考え方をする人に
対するアイロニカル、ニヒルな態度を見ると、こんなような考え方を
背景に、どうにも違和感をおぼえる。
人間は、理想的な考え方をして何も問題あるわけじゃない。
実にそれは自然なことなのであって、「人間、結局は自分のため
・・」とかいう言い方で相対化されるようなものではない。
と、日頃思ってることをかいてみました。
またJanne Da Arc
2005年3月7日アルバム「ARCADIA」を聴いてみた。Black Jackがかっこいい。
しかしジャンヌは、エロティックな歌詞も優しい歌詞も強気、
前向きな歌詞もそつなくこなせて凄いなぁ。
叙情的な歌詞は、B’zのがうまいと思うし好きだけど。
B’zの歌詞は少しダサさが見えるところがあって。
そこも聴きなれると逆にクセになるところがあったり。
こんなに良いと思うのに、ネットを見ると否定的な感想も
ちらほら。評価って千差万別が当たり前、驚くことではない
けど、なんかさみしい。
しかしジャンヌは、エロティックな歌詞も優しい歌詞も強気、
前向きな歌詞もそつなくこなせて凄いなぁ。
叙情的な歌詞は、B’zのがうまいと思うし好きだけど。
B’zの歌詞は少しダサさが見えるところがあって。
そこも聴きなれると逆にクセになるところがあったり。
こんなに良いと思うのに、ネットを見ると否定的な感想も
ちらほら。評価って千差万別が当たり前、驚くことではない
けど、なんかさみしい。
明日の準備があるのに、当然のようにやる気が起きない
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なぜ良いと思うのか、なぜしたいと思うか
2005年3月6日そういう思いを言葉にするのって凄く難しい。なぜ良いのか
というのも特に。いわゆる評論家といわれる人たちは、
それをするのが上手い人たちのことを言うのだろうと思う。
しかし、それが上手いかどうかを判定するのもまた自分だし、
その判定にシビアでないと、ある効果が生まれる。それは
何か。
人は感じたものを言葉にすると、その言葉にあらわれる
一般的な意味に、逆に感情を規定されてしまうような生き物だ。
例を挙げると。たとえば、二重まぶたの男性を好きだと思った
とする。実際には、二重まぶた以外の、例えば性格などを
気に入っただけなのだけど、その女の子の中では「自分は
特に二重まぶたの男性が好きなのだ」という思いが言語化される。
すると不思議なことに、ほんらい好意を抱く要因ではなかった
「二重まぶた」が、急に好意を抱く条件に入ってくる。
例えばフェティシズムというのは、こうやって生まれるものだと
理解している。
自分が好意を抱いたり悪意を持ったりするときに、なぜその
好意や悪意が生まれたのかをよく反省しない人が多い。
簡単に分かる相手の特徴に目をつけ、「〜だから好き」「〜だから
嫌い」と勝手に自分で理由付けをしてしまう。すると、
今度から、その要因が好き嫌いの決定要因になってしまう。
言語化した動機や理由によって、逆に動機や理由が規定される。
さてまるで悪いことのように書いてしまったが、これは悪いこと
だろうか?それも、単純に悪いこととは言えない。誰もが自分の
動機や理由を深く反省する人間でもそれはそれでおもしろくない
し。勝手な幻想や理屈を考え付くのが人間で、だから個性があって
世の中はおもしろい。困ることもおおいにあるけど。
というのも特に。いわゆる評論家といわれる人たちは、
それをするのが上手い人たちのことを言うのだろうと思う。
しかし、それが上手いかどうかを判定するのもまた自分だし、
その判定にシビアでないと、ある効果が生まれる。それは
何か。
人は感じたものを言葉にすると、その言葉にあらわれる
一般的な意味に、逆に感情を規定されてしまうような生き物だ。
例を挙げると。たとえば、二重まぶたの男性を好きだと思った
とする。実際には、二重まぶた以外の、例えば性格などを
気に入っただけなのだけど、その女の子の中では「自分は
特に二重まぶたの男性が好きなのだ」という思いが言語化される。
すると不思議なことに、ほんらい好意を抱く要因ではなかった
「二重まぶた」が、急に好意を抱く条件に入ってくる。
例えばフェティシズムというのは、こうやって生まれるものだと
理解している。
自分が好意を抱いたり悪意を持ったりするときに、なぜその
好意や悪意が生まれたのかをよく反省しない人が多い。
簡単に分かる相手の特徴に目をつけ、「〜だから好き」「〜だから
嫌い」と勝手に自分で理由付けをしてしまう。すると、
今度から、その要因が好き嫌いの決定要因になってしまう。
言語化した動機や理由によって、逆に動機や理由が規定される。
さてまるで悪いことのように書いてしまったが、これは悪いこと
だろうか?それも、単純に悪いこととは言えない。誰もが自分の
動機や理由を深く反省する人間でもそれはそれでおもしろくない
し。勝手な幻想や理屈を考え付くのが人間で、だから個性があって
世の中はおもしろい。困ることもおおいにあるけど。
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トヨタ
2005年3月6日どうもいまいちパッとしないデザインが続くトヨタだけど
最近すげーと思ったのが新クラウン・マジェスタ。なぜかあまり
CMなどでもあまり前面に出てないが、グイッとランプを
引き伸ばして、ちょっと流線型にしただけの感がある無印
新クラウンよりずっと高級感漂うデザインになっている。
デザインという面では、俺の中ではトップをひた走っている
日産の、フーガ・ティアナもいいと思ったけど、このマジェスタは
それらと比べてもなかなか良い。なぜ良いと思うのかうまく
言えないが、ランプの形が無印よりずっといい。
価格無視して純粋にデザインだけを問うなら、もちろん
ロールスやマイバッハの圧倒的なデザイン力は物凄いが
日本車のセダンのなかではいま一番良いと思う、マジェスタ。
最近すげーと思ったのが新クラウン・マジェスタ。なぜかあまり
CMなどでもあまり前面に出てないが、グイッとランプを
引き伸ばして、ちょっと流線型にしただけの感がある無印
新クラウンよりずっと高級感漂うデザインになっている。
デザインという面では、俺の中ではトップをひた走っている
日産の、フーガ・ティアナもいいと思ったけど、このマジェスタは
それらと比べてもなかなか良い。なぜ良いと思うのかうまく
言えないが、ランプの形が無印よりずっといい。
価格無視して純粋にデザインだけを問うなら、もちろん
ロールスやマイバッハの圧倒的なデザイン力は物凄いが
日本車のセダンのなかではいま一番良いと思う、マジェスタ。
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うーん
2005年2月24日どういう情報が、誰から誰に流れてるのかがよく分かる
ので困る(;’Д`)いっそのこと、物凄い馬鹿に生まれたら
良かったとこういう時はいつも思うけど、詮無きことだねぇ
ので困る(;’Д`)いっそのこと、物凄い馬鹿に生まれたら
良かったとこういう時はいつも思うけど、詮無きことだねぇ
うう
2005年2月17日「う」一文字だと怒られました。
タイトルは2文字以上じゃないとダメなのか・・
畜生カゼひいた。のどが痛いのどが。
ところで下の引用タグが気になる。
ふつうのblockquote??
タイトルは2文字以上じゃないとダメなのか・・
畜生カゼひいた。のどが痛いのどが。
ところで下の引用タグが気になる。
ふつうのblockquote??
あいうえお
ぐぐ・・
2005年2月14日TVタックルを観ていて思う。日本て、情けないなぁ。
アメリカの顔うかがわないと、北朝鮮に対して何も出来ない。
もちろんそれは、軍事をアメリカ任せにしておいて、
憲法9条、他国への侵攻能力を持たない自衛隊しか持たないことで、
リスクを負わない代わりに自主性を持たないでいることの、
代償なのであって、さて、核や軍隊を持てばいいのかというと
そこも、とても気軽にイエスとは言えない問題だ。
しかし、核装備、軍隊を持つことを絶対の禁じ手にすると、
アメリカの言うなりになることを避けられない。
現状で日本単独の防衛が不可能である以上(中国や北朝鮮の
核ミサイルが向けられている以上)、アメリカと組む以上の
選択肢が見つからない。
さてしかし、有事に本当にアメリカが助けてくれるだろうか?
有事に比べると小さい出来事だが、拉致問題ではアメリカは
さほど助けてくれなかった。
ではでは、日本が軍隊を持てば済む問題なのか?戦前のこともあり
とてもとても国際社会のコンセンサスを得られる状況ではない。
核装備など、NPTを持ち出すまでもなく、中国やアメリカが
許さない。
このジレンマを抜け出す奇跡のような手があるか、ないか。
細かく勉強していくうちに、ここではこうすべき、ああすべき
という簡単な意見は持つかもしれない。まだ今は、よく知らない
のでなんともいえない問題だけど。
今は、20代前半だから、こういう問題に拘泥することはどうも
合わない気がする。けど、40、50になって無関心でいるわけにも
いかないから、今からちょくちょく勉強しようと思う。
アメリカの顔うかがわないと、北朝鮮に対して何も出来ない。
もちろんそれは、軍事をアメリカ任せにしておいて、
憲法9条、他国への侵攻能力を持たない自衛隊しか持たないことで、
リスクを負わない代わりに自主性を持たないでいることの、
代償なのであって、さて、核や軍隊を持てばいいのかというと
そこも、とても気軽にイエスとは言えない問題だ。
しかし、核装備、軍隊を持つことを絶対の禁じ手にすると、
アメリカの言うなりになることを避けられない。
現状で日本単独の防衛が不可能である以上(中国や北朝鮮の
核ミサイルが向けられている以上)、アメリカと組む以上の
選択肢が見つからない。
さてしかし、有事に本当にアメリカが助けてくれるだろうか?
有事に比べると小さい出来事だが、拉致問題ではアメリカは
さほど助けてくれなかった。
ではでは、日本が軍隊を持てば済む問題なのか?戦前のこともあり
とてもとても国際社会のコンセンサスを得られる状況ではない。
核装備など、NPTを持ち出すまでもなく、中国やアメリカが
許さない。
このジレンマを抜け出す奇跡のような手があるか、ないか。
細かく勉強していくうちに、ここではこうすべき、ああすべき
という簡単な意見は持つかもしれない。まだ今は、よく知らない
のでなんともいえない問題だけど。
今は、20代前半だから、こういう問題に拘泥することはどうも
合わない気がする。けど、40、50になって無関心でいるわけにも
いかないから、今からちょくちょく勉強しようと思う。
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ヒー
2005年2月14日ハノンの1がやっと108で弾けるようになったぞ。
ブルグもツェルニーも、1が終わらず先に進めない。
でも今日ようやっと弾けてきた。
簡略版のノクターンもなかなか弾けない。くっそー
指に覚えさせれば弾けるもんだとは思うんだけどな。
はやく本気ノクターンを弾きたい。地道にやるぞ
筋トレの成果が少しだけでてきたぞ。腕の筋肉が
けっこうついてきたぞ。少しおなかもひっこんだ気が
する。ズボンが少しきつくないし。でも妹のつくった
チョコ、残したらいかんと思って大量に食べてしまった。
今日は30分くらいロードワークをするぞ。
それにしてもお金がないぞ。あと100円しかなかったので
親から給料\5000前借りした。でもアリミノのワックス買った
りいろいろしてたらもう半分になった。服が欲しいよ、
くっそー。
ブルグもツェルニーも、1が終わらず先に進めない。
でも今日ようやっと弾けてきた。
簡略版のノクターンもなかなか弾けない。くっそー
指に覚えさせれば弾けるもんだとは思うんだけどな。
はやく本気ノクターンを弾きたい。地道にやるぞ
筋トレの成果が少しだけでてきたぞ。腕の筋肉が
けっこうついてきたぞ。少しおなかもひっこんだ気が
する。ズボンが少しきつくないし。でも妹のつくった
チョコ、残したらいかんと思って大量に食べてしまった。
今日は30分くらいロードワークをするぞ。
それにしてもお金がないぞ。あと100円しかなかったので
親から給料\5000前借りした。でもアリミノのワックス買った
りいろいろしてたらもう半分になった。服が欲しいよ、
くっそー。
人と人との難しいところ
2005年2月7日竹田現象学の考え方は、日常と関係ないただの純粋思想ではなくて
日常生活での自分の考え方について、深く影響を及ぼしている。
少なくとも俺にとっては、そのようなものだ。
人の考え方が一種の「信憑構造」、物語形式を取ること。
そこから、今までの経験をかんがみて、なるほどこういう
経緯なら今の考え方に落ち着くだろうな、と深く了解できる
こと。
そしてそれはまた、他人に関してもそうであること。
このことは、本当に信念対立を解く重要なカギになる考え方
だと思う。
信念対立なんて言うと難しい。そうでなくて、友達や知り合い、
恋人同士、親とのケンカとか、そういうものでも。
「あいつはああだからおかしい」「こうだから嫌い」
そうではなくて、
「なぜあいつはああなのか?」「なぜ俺は嫌いだと思うのか?」
こういうところを内省してみると、その相手の人間性の奥には
実に、自分のまるで知らない背景があるのだろうな、と思える。
そしてそれは、正しいことだろうと思う。「確信」できる。
最近、自分から見てあまりいけてない人を見たとしても、
「親はどういう育て方をしたんだろうか?」「どういう日常を
送ってるんだろう?」など、背景が気になる。だからといって
特に知りたいとは思わないが、そういう、割と老いた考え方が
できるようになった。
今ダメだとしても、その背景がある。今良いとしても、やはり
その背景があって、そうなっている。そう考えてくると、
単にその個人を責め立てる気にもなれない。
もちろん、明らかに責任を問うべき状況では、問うべきだ。
やるべきことをやらなかったり、何度も注意されてることを
したりした場合とか、明らかに道徳に反したことをした場合
とか。
でも、本人の意思とは関係なく、習慣などで形成されてきた
人格などを責め立てることは、本人の責任にあまることだと
思う。環境、それが与える経験によって人はいろいろな「信憑
構造」を持つのであって、一部は変更可能な「確信」である
場合もあるが、認め合うしか道がない場合もある。
そして、元々他人に多くを期待しない性格も影響して、
他人に激昂するなんてことが少なくなった(元々あまりないが)。
精神的に老いた、悪く言えば、感受性が弱まってるのかも
しれないが、ともかく今はそういう状態になっている。
そこで、常識的な一般人の若い人を想像するに、やっぱり
あいつはここがダメとか、ムカつく、キモイ、ちょっと見た
だけの人相手でも、思ったらそういうことを言うのが普通で、
俺は一方でその「普通」にもあこがれるので(もちろんこの
「普通」は暗部ばかりではないし)、やっぱりやっぱり
「哲学してる時の自分」と「日常生活の自分」の2つの顔を
分けて持つべきかなあ、と思っている。
どっちが本音でどっちがタテマエとかはなくて、うまく
両方の、本音であり、タテマエである意見を使い分けたい。
キレイゴトはよく非難される。けど、俺はキレイゴトは
手放しで否定されるようなものだと思わない。人は自己中な
ところもあれば、キレイゴトがなくちゃやっていけない部分も
ある。その部分をよく見極めて、うまく使えばいい。
見極めたうえで、キレイゴトを言っていられる時間は、それは
それで気持ちいいから。
日常生活での自分の考え方について、深く影響を及ぼしている。
少なくとも俺にとっては、そのようなものだ。
人の考え方が一種の「信憑構造」、物語形式を取ること。
そこから、今までの経験をかんがみて、なるほどこういう
経緯なら今の考え方に落ち着くだろうな、と深く了解できる
こと。
そしてそれはまた、他人に関してもそうであること。
このことは、本当に信念対立を解く重要なカギになる考え方
だと思う。
信念対立なんて言うと難しい。そうでなくて、友達や知り合い、
恋人同士、親とのケンカとか、そういうものでも。
「あいつはああだからおかしい」「こうだから嫌い」
そうではなくて、
「なぜあいつはああなのか?」「なぜ俺は嫌いだと思うのか?」
こういうところを内省してみると、その相手の人間性の奥には
実に、自分のまるで知らない背景があるのだろうな、と思える。
そしてそれは、正しいことだろうと思う。「確信」できる。
最近、自分から見てあまりいけてない人を見たとしても、
「親はどういう育て方をしたんだろうか?」「どういう日常を
送ってるんだろう?」など、背景が気になる。だからといって
特に知りたいとは思わないが、そういう、割と老いた考え方が
できるようになった。
今ダメだとしても、その背景がある。今良いとしても、やはり
その背景があって、そうなっている。そう考えてくると、
単にその個人を責め立てる気にもなれない。
もちろん、明らかに責任を問うべき状況では、問うべきだ。
やるべきことをやらなかったり、何度も注意されてることを
したりした場合とか、明らかに道徳に反したことをした場合
とか。
でも、本人の意思とは関係なく、習慣などで形成されてきた
人格などを責め立てることは、本人の責任にあまることだと
思う。環境、それが与える経験によって人はいろいろな「信憑
構造」を持つのであって、一部は変更可能な「確信」である
場合もあるが、認め合うしか道がない場合もある。
そして、元々他人に多くを期待しない性格も影響して、
他人に激昂するなんてことが少なくなった(元々あまりないが)。
精神的に老いた、悪く言えば、感受性が弱まってるのかも
しれないが、ともかく今はそういう状態になっている。
そこで、常識的な一般人の若い人を想像するに、やっぱり
あいつはここがダメとか、ムカつく、キモイ、ちょっと見た
だけの人相手でも、思ったらそういうことを言うのが普通で、
俺は一方でその「普通」にもあこがれるので(もちろんこの
「普通」は暗部ばかりではないし)、やっぱりやっぱり
「哲学してる時の自分」と「日常生活の自分」の2つの顔を
分けて持つべきかなあ、と思っている。
どっちが本音でどっちがタテマエとかはなくて、うまく
両方の、本音であり、タテマエである意見を使い分けたい。
キレイゴトはよく非難される。けど、俺はキレイゴトは
手放しで否定されるようなものだと思わない。人は自己中な
ところもあれば、キレイゴトがなくちゃやっていけない部分も
ある。その部分をよく見極めて、うまく使えばいい。
見極めたうえで、キレイゴトを言っていられる時間は、それは
それで気持ちいいから。
( ’Д`)<はぁー、腰が痛い・・・
2005年2月7日結局岩波の「国家」と「パイドロス」を購入。しかしお金が
ない。文庫の値段なんて服と比べれば知れたものだけど、
それでもピアノの楽譜とかもたくさん買ったので服買うお金が
残ってない。
また課題が多く出て本を読む時間がなくなってきた。ふー。
読めるときはがーっと読めるんだけど・・
ない。文庫の値段なんて服と比べれば知れたものだけど、
それでもピアノの楽譜とかもたくさん買ったので服買うお金が
残ってない。
また課題が多く出て本を読む時間がなくなってきた。ふー。
読めるときはがーっと読めるんだけど・・
うーん2・・
2005年1月29日ニコマコス倫理学からというのは、いかにも中途半端な
気がしてきた。やはりソクラテスの弁明から、議論を追って
いこうかしらん。「国家」読まないとアリストテレスの批判が
うまく飲み込めないかもしれないし。
しかしどこの書店に行っても、「法律」が置いてない。
「パイドロス」も読んでみたいが置いてない。あと国家高いです。
分厚いから読み終わるの時間かかりそうだし。ウワー、不満
ばっか出てくる。でも根気よく読む。
せっかく始めたんだから、続けないと損だしね。プー
気がしてきた。やはりソクラテスの弁明から、議論を追って
いこうかしらん。「国家」読まないとアリストテレスの批判が
うまく飲み込めないかもしれないし。
しかしどこの書店に行っても、「法律」が置いてない。
「パイドロス」も読んでみたいが置いてない。あと国家高いです。
分厚いから読み終わるの時間かかりそうだし。ウワー、不満
ばっか出てくる。でも根気よく読む。
せっかく始めたんだから、続けないと損だしね。プー