<その10からつづき>

滅茶苦茶長かったけれども、これでフッサールは終わりです。

少しまとめをして、次のハイデガーにいきます。

さて、デカルトの残した主客問題が、かなり解かれて
きていることは分かると思う。結局、ヒュームの言っていた
「知覚の束」にノエシス-ノエマとか志向性が加わった、
と考えると、素人(俺)には分かりやすい。
この世に存在するのは主観のみであって、客観(ノエマ)に
しろ、その中の出来事である。実際に客観的実在が存在する
かどうかは、分からない(判断を停止する、エポケーする、
カッコに入れておく)。

最後に、フッサールの思想の残した課題について少し。

最初…たしかその3あたりで、「役立つ/役立たない」、
「食べられる/食べられない」等の区別が<志向性>による
とは書いたけれども、実はこの部分にまでフッサールは言及
していない。

フッサールがつきつめたのはあくまで「真」の部分のみで
あって、<志向性>に、ニーチェの考えた<力への意志>と
同じ本質を見るのは、「はじめての哲学史」というより
たぶん竹田さん独自の視点だ。

知覚の確かさ、「確信成立の根拠」の理論としてはかなり
つきつめられていたフッサール現象学だが、そうした
欲望とか、生きんとする意志、<力への意志>という視点が
抜けている。

目の前の事物を受け取って「確信」をつくる仕組みはなんとなく
明らかになったが、人間がおのずから「真理」とかを想定する、
神話、神などを作り出し「確信」の対象とする、「確信」を
いわば作り出す構造については、フッサールの説明だけでは
力不足なのである。

この点を推し進めたのが、このフッサールの直弟子とも言える
ハイデガーである。

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