<その4からつづき>

・後期

つぎは後期です。

フッサールは現象学的還元と本質直観をつきつめていく内で、
ノエシス-ノエマの志向的体験、その個々の志向的体験にも、
志向的に内含(含意と同じ意味。論理学でpならば必ずqである
という場合、pはqを含意するという)されているさまざまな
潜在的「地平」が次第に明らかになっていったという。

その「地平」がどのようなものかはこの本からは具体的に
読み取ることはできない。しかし、志向的体験にも、さらに
先立つ何かが想像されたのかな、となんとなく思う…

ノエシス-ノエマの構造を静的に分析する「静態的現象学」
ではなく、そうした志向的体験の発生的構成をさかのぼって問う
「発生的現象学」の段階へ移行していった。

また、遡っていくなかで、ガリレイ以後の近代科学による
自然の数学化、理念化、客観化が、もと人間の生活空間に
根ざしていたはずの諸学問から遠ざけてしまったという
ことが判明した。

<人類の歴史において、近代科学を含む諸主観によって
世界が数学的に理念化・客観化され、これが次第に受動的
に習慣化され沈殿して、理念の衣として先所与的な意識の
地平を形成するようになり、こうして先学問的に生きられて
いたはずの生活世界が隠蔽されてしまった>

ちょっと難しい言葉だけど、なんとなくニュアンスは伝わる
と思う。これを、後期、それも晩年最後の著作「ヨーロッパ
諸学の危機と超越論的現象学」(よく略して「危機」と
書かれる)で示していた、という。

これらを取り除き、志向的体験のさらに原初へ、諸学問の
成立時期へさかのぼることによって、もう一度、全ての
学問の基礎としての哲学を編みなおし、その他、諸学の
あり方を問い直す。

こうしてみれば、実に現象学とは壮大な構想だ。
「論理学研究」発行後、すぐに学派が形成され、今もって
哲学の大きな潮流となっている理由がよくわかる。

この後では、はじめての哲学史から、このようなフッサール
現象学がどのような意義をもっているのかをまとめます。

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