≪現代哲学(5)−現象学・フッサールについて<その2>−≫
2004年8月9日<その1からつづき>
それでは、昭和堂の本でフッサールの思想の歩みをみてみて、
その後「はじめての哲学史」の解釈をみます。
昭和堂の本では、フッサールは前・中・後期に分かれると
しているので、予備知識となるフッサールの経歴の後
それを順に追っていきます。
フッサールは当時のオーストリア領、現在のチェコで生まれた
とか。あれ、ドイツじゃなかった。でも活躍したのはドイツ。
最初は数学を研究していて数学の論文で博士号も取得している
けど、ブレンターノって人の講義を聞いて哲学を専攻しようと決意。
教授資格論文も提出して、大学の私講師(?)になった。
最初はブレンターノ流の心理学主義(一、多、数などの基本的
概念を、心理学的起源である心理的作用を解明することによって
算術の心理学的基礎付けを行おうとしたもの?)を研究していた
が、後に出てくるフレーゲなどに批判され、自らもその矛盾を
自覚して、一転して心理学主義を批判するようになり、そこから
しだいに「現象学」という独自の学問を打ち出していく。
その時の著作が「論理学研究」。「イデーン」という著作も有名
だけど、はじめて「現象学」が出たのはこれで…その後、
フッサールは終生この研究にたずさわって、膨大な著作を残した。
その著作はフッサール全集(フッサリアーナ)として、今でも
翻訳・刊行がつづいているとか。ほんとに物凄い量らしいです。
「論理学研究」の刊行直後から「現象学派」が出来てきたり、
ハイデガー、サルトル、メルロ=ポンティにも多大な影響を
与えていたりと、ともかく現代哲学のビッグネーム。
きりがいいのでここで切ります。前・中・後と順番にいきます。
それでは、昭和堂の本でフッサールの思想の歩みをみてみて、
その後「はじめての哲学史」の解釈をみます。
昭和堂の本では、フッサールは前・中・後期に分かれると
しているので、予備知識となるフッサールの経歴の後
それを順に追っていきます。
フッサールは当時のオーストリア領、現在のチェコで生まれた
とか。あれ、ドイツじゃなかった。でも活躍したのはドイツ。
最初は数学を研究していて数学の論文で博士号も取得している
けど、ブレンターノって人の講義を聞いて哲学を専攻しようと決意。
教授資格論文も提出して、大学の私講師(?)になった。
最初はブレンターノ流の心理学主義(一、多、数などの基本的
概念を、心理学的起源である心理的作用を解明することによって
算術の心理学的基礎付けを行おうとしたもの?)を研究していた
が、後に出てくるフレーゲなどに批判され、自らもその矛盾を
自覚して、一転して心理学主義を批判するようになり、そこから
しだいに「現象学」という独自の学問を打ち出していく。
その時の著作が「論理学研究」。「イデーン」という著作も有名
だけど、はじめて「現象学」が出たのはこれで…その後、
フッサールは終生この研究にたずさわって、膨大な著作を残した。
その著作はフッサール全集(フッサリアーナ)として、今でも
翻訳・刊行がつづいているとか。ほんとに物凄い量らしいです。
「論理学研究」の刊行直後から「現象学派」が出来てきたり、
ハイデガー、サルトル、メルロ=ポンティにも多大な影響を
与えていたりと、ともかく現代哲学のビッグネーム。
きりがいいのでここで切ります。前・中・後と順番にいきます。
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