それにしても…

2004年8月6日
割とよく聞く考え方がふたつある。

ひとつ。この世は物理法則のみに支配されている機械的な
世界なのであって、「意味」なんてのは人間の脳が生み出した
単なる幻想。

ふたつ。「意味」なんて相対的なんであって、どんな考えも
その反対の考え方があり、普遍的な善とか道徳なんてものは
本来存在しない。

礼儀とか社会の決まりなど、なんの根拠もなく存在している
ものである。

 
俺も中学〜高校の頃まではこんな考え方をしていた。

さてしかし、では道徳の教科書は物理学と大脳生理学の仕組みの
解説で事足りるか、「根拠などない」と言ったところで、今まで
善だと思っていたものがいきなり無価値になるのか、といえば、
答えはNOだと思う。

いかにうまく価値を相対化できるか、を考えるのはけっこう
俺も昔にやったことがある。世の中にそびえる、巨大な圧力に
抗っているような気分になるので、けっこう楽しい。
しかし、これはけっこう虚しさがつきまとう。非生産的な
言葉遊びということが、なんとなく分かっていたからだろうと
思う。

哲学に触れていると、そういう考え方が、人間の本質をつかむ
ためには、ひどく弱い方法だと気づく。とはいえ、俺ひとりが
漠然と考えていても、雲をつかむようでさっぱり、何を基準に
考え進めれば、人間の本質につきあたるのか…それは例えば
数学で言えば、公理、定理を自分で発見しようとする試み
だからだと思う。

もちろん、哲学はとある公理なんてものをおいたりせず、
常に自分で考え直すものであるから…本当は自分で考えてみた
ほうがよい。けれど、「車輪を再発明」するという言葉もある
ように、既に体系づけられたものをよそに自分でもう一度
同じものを作り出す愚をおかさないためにも、そういう問題を
自分で考え抜いた人の本を読むのは有意義だと思う。

と、なんとなく愚説を垂れ流してみますた

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