≪現代哲学(3)−生の哲学・ジンメルについて−≫
2004年8月6日ゲオルグ・ジンメル(1858〜1918)、なんだかジルソンと
間違えて呼んでしまうんですよね、この名前は…
彼はディルタイから大きな影響を受けている。
「はじめての哲学史」の短い扱いよりの紹介だけなので、
あんまり詳しい紹介はできません。
彼の思想のキモは、人間の「生」と、社会や歴史によって
作られてきた人間の「生の客観化されたあり方」には、
悲劇的ともいえる「ズレ」があるという洞察にある。
後者をジンメルは「生の形式」と呼び、その時代に生きる
人間一般がもつ「生」と、歴史や社会によってつくられて
きた「生の形式」との乖離が激しい時、新しい「生の形式」
が生まれなければならない、のであるそうだ。
これは単なる社会制度とも違いそうなニュアンス。
社会全体の不文律とか慣習なども関係するだろうか。
ジンメルは、個々人がこういった「生の形式」にあわせる
のではなくて、人間がおのれの実存を活かせる社会に
せねばならない、と考えた。
しかしこれだけだと、そのへんの飲み屋でも聞けそうな
一般論であります。詳しくは原著ですな。たぶん読まんけど…
間違えて呼んでしまうんですよね、この名前は…
彼はディルタイから大きな影響を受けている。
「はじめての哲学史」の短い扱いよりの紹介だけなので、
あんまり詳しい紹介はできません。
彼の思想のキモは、人間の「生」と、社会や歴史によって
作られてきた人間の「生の客観化されたあり方」には、
悲劇的ともいえる「ズレ」があるという洞察にある。
後者をジンメルは「生の形式」と呼び、その時代に生きる
人間一般がもつ「生」と、歴史や社会によってつくられて
きた「生の形式」との乖離が激しい時、新しい「生の形式」
が生まれなければならない、のであるそうだ。
これは単なる社会制度とも違いそうなニュアンス。
社会全体の不文律とか慣習なども関係するだろうか。
ジンメルは、個々人がこういった「生の形式」にあわせる
のではなくて、人間がおのれの実存を活かせる社会に
せねばならない、と考えた。
しかしこれだけだと、そのへんの飲み屋でも聞けそうな
一般論であります。詳しくは原著ですな。たぶん読まんけど…
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