では最初にホッブズにいきます。

この人は「リヴァイアサン」で有名な人ですね。
今のアメリカのネオコンの思想て、このリヴァイアサンをベースに
してるとか聞いたことがあります。っていうとあんまりいい印象が
ないですが、ホッブズ自体は平和主義者なんです。

ホッブズ(1588〜1679)が生まれた時代も、戦争の時代だった。
宗教戦争とか内乱で、国は荒れ果てていた。
人はばたばた死んでいくし、拷問・略奪・強姦など、戦争には
あらゆる災厄がストッパーなしに繰り広げられる。
そんなさまを目の当たりにしながら生きてきた彼は、戦争のない
平和な状態を切に願った。
(そしてそれは、宗教には期待できないと思ったことだろう)

彼の思想の基本は、「生きる」ことつまり自己保存。

人間の本性は生命であり、人は自分の生命を守るために自分のもつ
あらゆる力をつかっていい。しかしながら、人間一人だけでは
徒党を組まれればいいように殺されることは目に見えている。

ではどうするか?人々は自分の生命の尊重と平和を実現するために、
契約によって「主催者」を作り出すことが必要だ。こうした
基本構想で描かれたのが、彼の主著「リヴァイアサン」なのだ。
個人の契約による、「主権者」(コモンウェルス、国家)創設の
プランニングである。

確かに、これ以外に道はないように思える。

もう少し、ホッブズの言葉も交えながら見ていく。

社会契約論者はいずれも共通の権力や法のない状態を「自然状態」
として考察することからはじめるが、自然状態では、基本的に
自然権、自然法しか存在しない。

自然権とは何か、ホッブズはこう言う。

「自然の権利(自然権)とは、各人が自分自身の自然すなわち
自分自身の生を維持するために、自分の欲するままに自己の力を
用いるという、各人が持つ自由である」

そして、その状態は、各人が各人に対する戦争状態なのであると
言う。

「全ての人を威圧しておく共通の力を持たずに生活している間は、
人々は戦争と呼ばれる状態にあるのであり、そしてかかる戦争は、
各人の各人に対する戦争なのである」

人間はほっとくと殺し合いばっかりしている、と思っていたようだ。

自然法は、
「自然法とは、理性によって発見される戒律または一般法則であり、
これによって人は、自分の生命を破壊したり、あるいは自分の生命を
維持する手段を奪い去ることを禁じられ、また、生命を維持するのに
最も良いと思うことを避けることを禁じられるのである」

という意味だが、これは人間は自分を殺そうとは思わないし
常に自分にとってよいことをする、という意味だと思う。

しかしこれは、割と極端な悲観主義、性悪説ともいえると思う。

そして、この状態を脱するためにはどうしたらいいか。

「平和のために、…この権利(自然権)を放棄すべきである」

ひとまず、この自然権を全員が放棄すべきであるというのである。
そして、すべての人間が契約によって「主権者」という一つの人格に
結合される。これが<コモンウェルス>である。

これは契約によって生まれた第3の人格ともいわれるもので、
この人格の言葉や行為は自分のものであるから、主権者に背くことは
自分に背くことと同じことだ。自然法にのっとって、何人も
この人格がよいと思うことをするのに反対することはできなくなる。

しかしこの主権者も、各人に自己保存(生命の尊重、平和)に
背く命令を、人々に強いることはできない。

これがホッブズの国家像になる。

実際はこううまいこといかないとは思うけど、原理的には今と
そう変わらないなぁ、とも思う。

うーん、原著読んでみないとなんともいえないですな。ともあれ
こういう考え方でした。

今日はとりあえずここまでにしとこう。

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