≪近代哲学(5)−イギリス経験論・ロックについて<その1>−≫
2004年7月25日27時間テレビを観つついろいろとまとめる。
いつもは孤独な夜だけど、今日はどこも皆起きてると思うと
そこはかとなく安堵感が。
さっき書店にいって、もっと細かい哲学史の本みてみたら、
もっともっと細かい人たちが並んでいた…。さすがにやって
られません。原著読む時間がのうなってまう。
イギリス経験論にいきます。
イギリス経験論で扱うのは、かの有名なロック、とあとバークリー、
ヒュームの3人です。大陸合理論はそれなりに少ないけど、
経験論も3人だけ…まあどっちも、細かい支持者とかを加えると
もっといるのかもしれませんが。
ところでロックってなんで有名なんでしたっけ。えー、世界史で
ルソーと一緒に扱ってたからだったような…。さすがに劣等生は
覚えてません、そのあたり…
その後、ホッブズ、ルソーを扱って、カントにいきます。
じつはイギリス経験論では、こんにちの民主主義の土台となる、
人間はひとりひとり自由な存在である、ということの理論的支柱
へと繋がっていく理論が発展していくのが見られます。
当時、人間には階級があって、教会とか王は神から権限を与えられてて、
支配力は絶対的なものがありました。まあ、戦争とかでどんどん
信用なくしていくのですけど。
その世界観が支配的だったのだから、いきなり「人間は自由な存在だ!」と
いったところで、みんな「ええ?そりゃ神だけだよ。俺らにゃ神に
決められた分ってものがあるんだよ(教会や国王は、その神から
権限を与えられていたから、その支配に正統性をもった)」という
意見が民衆からすら聞こえてきたんでしょう、きっと(自信ない)。
まあ民衆っても、頭のいい人だけかもしれませんが。
だから、その支配的な考え方を脱するためには、人間は自由である
ということを「論証」する必要があったわけです。
しかし、なぜあえてそんな考え方がおこってきたのかといえば…、
やはり、ルネサンスとか宗教戦争とか、自然科学の発達と市場経済の
発展によってキリスト教の支配が揺らいできたからという、以前
少し詳しく挙げたよっつの理由が大きいでしょう。
具体的にみるとわかりますが、ロックがその先鞭をつけたといって
いいかもしれません。
では、ロックにいきます。
さて大陸合理論では、デカルトの物心二元論のうち、「心」を削除
することで、実体の存在の定義を厳格に適用し、無機質な世界を
作り上げました。イギリス経験論では、そのうち「物」のほうを
削除した、と考えるとわかりやすいと思います。まぁ大陸にも
イギリスにも、正確には唯物・唯心どっちともいえない理論も
ままありますが。
まあ基本的には唯心論です。+αとか−αがあったりしますが。
個人的には、デカルトの考え方を推し進めると、主客(主観と客観の)
一致は不可能になるわけだから、その点を外していないイギリス
経験論のほうが、正統派デカルト流哲学という感じもしないでもないです。
で具体的な思想に入ろう…と思ったけど、ちょっと長くなったので
その2へ。
いつもは孤独な夜だけど、今日はどこも皆起きてると思うと
そこはかとなく安堵感が。
さっき書店にいって、もっと細かい哲学史の本みてみたら、
もっともっと細かい人たちが並んでいた…。さすがにやって
られません。原著読む時間がのうなってまう。
イギリス経験論にいきます。
イギリス経験論で扱うのは、かの有名なロック、とあとバークリー、
ヒュームの3人です。大陸合理論はそれなりに少ないけど、
経験論も3人だけ…まあどっちも、細かい支持者とかを加えると
もっといるのかもしれませんが。
ところでロックってなんで有名なんでしたっけ。えー、世界史で
ルソーと一緒に扱ってたからだったような…。さすがに劣等生は
覚えてません、そのあたり…
その後、ホッブズ、ルソーを扱って、カントにいきます。
じつはイギリス経験論では、こんにちの民主主義の土台となる、
人間はひとりひとり自由な存在である、ということの理論的支柱
へと繋がっていく理論が発展していくのが見られます。
当時、人間には階級があって、教会とか王は神から権限を与えられてて、
支配力は絶対的なものがありました。まあ、戦争とかでどんどん
信用なくしていくのですけど。
その世界観が支配的だったのだから、いきなり「人間は自由な存在だ!」と
いったところで、みんな「ええ?そりゃ神だけだよ。俺らにゃ神に
決められた分ってものがあるんだよ(教会や国王は、その神から
権限を与えられていたから、その支配に正統性をもった)」という
意見が民衆からすら聞こえてきたんでしょう、きっと(自信ない)。
まあ民衆っても、頭のいい人だけかもしれませんが。
だから、その支配的な考え方を脱するためには、人間は自由である
ということを「論証」する必要があったわけです。
しかし、なぜあえてそんな考え方がおこってきたのかといえば…、
やはり、ルネサンスとか宗教戦争とか、自然科学の発達と市場経済の
発展によってキリスト教の支配が揺らいできたからという、以前
少し詳しく挙げたよっつの理由が大きいでしょう。
具体的にみるとわかりますが、ロックがその先鞭をつけたといって
いいかもしれません。
では、ロックにいきます。
さて大陸合理論では、デカルトの物心二元論のうち、「心」を削除
することで、実体の存在の定義を厳格に適用し、無機質な世界を
作り上げました。イギリス経験論では、そのうち「物」のほうを
削除した、と考えるとわかりやすいと思います。まぁ大陸にも
イギリスにも、正確には唯物・唯心どっちともいえない理論も
ままありますが。
まあ基本的には唯心論です。+αとか−αがあったりしますが。
個人的には、デカルトの考え方を推し進めると、主客(主観と客観の)
一致は不可能になるわけだから、その点を外していないイギリス
経験論のほうが、正統派デカルト流哲学という感じもしないでもないです。
で具体的な思想に入ろう…と思ったけど、ちょっと長くなったので
その2へ。
コメント