つぎはスピノザにいきます。

スピノザとこの次にくるライプニッツは、ともに「大陸合理論」の
哲学者として知られる。大陸合理論の特徴としては、デカルトの
物心二元論(精神と物体があるのだ、という説)を、唯物論
(物しかない)というところにもっていったところ。

デカルトは大陸の人であったし、イギリス経験論につながる考え方も
していたけど、大陸合理論のさきがけという見方がされるようだ。
なので、スピノザはデカルト体系の完成者といわれる。

では、具体的にみていきましょう。

スピノザ(1632〜1677)はアムステルダム生まれのオランダの人。
学識の高さからなのか、1673年にハイデルベルク大学に招聘された。
すごいですな。けど、にもかかわらず、精神の平静を乱されたく
ないって理由で断って、一生レンズ磨きで生計を立てて暮らした
とか。すごい。精神的な人だ。

さて、デカルトはこの世に実体は三つあるとした。神、精神、物体
である(といっても、物体は細かいものが無数にあるのだけど)。
人間は精神と物体の融合体であり、それ以外はどの生物も物体に
すぎない。

しかしスピノザによれば、実体とは、「それ自身においてあり」、
それ自身において把握されるもの、その概念が他の概念を必要と
しないで構成されるもの、である。これはデカルトの考え方を
踏襲しているが、彼はこの定義を厳密に世界にあてはめた。

実体は何にも依存せず存在するもの、彼は、この考え方から、
神に依存している精神やら物体などは存在せず、この世にあるのは
ただひとつ「神」のみである、という考え方を打ち出した。

厳密に実体概念を考えるならば、有限である精神や物体は実体とは
いえないからである、のだという。

神は唯一の実体であり、もしこの他に実体があったとしても、
それは神と同じくそれ自身に無限の属性を有するのであるから、
神と同一になってしまうと考えた。よってこの世に存在するのは
神ただひとつのみ。

神は時間にとらわれず、無限、無制約、絶対的な自由、すべての
原因、それがそれ自身であることの原因である。

また、存在する万物が自然であり、神は存在することを本性とする。
とするなら、それ以上を含む存在など考えられない「神」こそが
万物である自然なのである、という、自然すべて神であるという
汎神論になる。

なんか、ストア派とかギリシャ哲学にもあったような考え方ですな。
まぁ世界観に関しては、そう進歩はないです。デカルトの世界論も
アトムみたいなもんだし。この神のみ、ってのも一(オン)を
連想させる。

しかし重要なところ、ちょっと違うところは、物心二元論は不合理として、
人間の心まで唯物論の一元論と捉えたところ(といっても、すべては
神なのだから、唯物論というより唯神論って感じだろか?)この世に
存在するのは神のみ、そして心と身体は、その時々のあらわれ方の
違いにすぎないのだという。こういう、心と身体が同時にある
という考え方を、心身並行論ともいうらしい。何々論って色々
ありますね。

デカルトにおいては、神以外のふたつの実体の根本的な「属性」と
された精神の「思惟」と物体の「延長」も、これは神のその時々の
あらわれ方にすぎない。

霊魂にいたっては、これは様態にすぎないのであって、不滅などでは
ない。そ、そんな〜という感じだけど、キリスト教の教義にも
反しそうだ。

確かスピノザは人格神を認めないし(神はただ存在なのであるから?)、
だから啓示も否定してたと思ったけど、ほんとにこの頃キリスト教は
足場がぐらついてたようですな。

ちなみにこのスピノザの考えでいくと、神のみが自由原因であり
存在なのであるから、自由意志などは存在しない。全ては必然的
であり、自由意志などは、不自由であることへの無知である
とした。感情すら必然である。彼はデカルトの挙げた6つの根本感情、
「驚き、愛、憎、欲望、喜び、悲しみ」を「欲望・喜び・悲しみ」
の3つに還元した。前の3つは自由意志によるもので能動的だから
だろうか。デカルトがもっとも先にあげた「驚き」を外したのは、
彼が必然を意識していたことのあらわれだと言える。
全ては必然なのであり、驚くことなど何もない。

この「必然」というのは、スピノザの哲学のひとつのテーマである。
彼の主著「エチカ」も、それらしく幾何学論の体裁をもっていて、
定義、公理、定理、証明という形をとっているようだ。これは
なかなか難しそう…。

しかしこれでは、何か悪事を行っても、それは必然だったのだから
誰にも責任がないことになる(決定論には、つねにこの問題が
つきまとっている)。だが必然と言ってしまったからには
どうあがいても必然。哲学史をみてもこのことに対する解決は
そう出来ていないようにも思う。

だがスピノザは、全てが、自分の感情すら必然であると認識する
ことによって、それによって我々はまずます神を知るところになり
神に対する愛が生じ、人間を成長させて、善へ導くとした。

う〜ん、ちょっと希望的観測に過ぎるという気もするけど、
先に善とかがあるのではなくて、自分の欲望の源泉がそれを
生じさせるのだ、という視点は、スピノザが先駆者なのである
そうだ。

しかし心を排して一元論であるとするなら、この結論も避けられない
気がする。

次いで、もう一人の大陸合理論・ライプニッツをみていきます。

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