≪近代哲学(2)−デカルトについて<その1>−≫
2004年7月24日さて次は、近代哲学の父、ルネ・デカルト(1596〜1650)について。
前回のベーコン・ガリレイで説明した部分以外にも、背景を少し。
このころ、哲学界は、いつも通り諸説が対立して収拾がつかない
状態になっていたという。キリスト教のスコラ哲学が傾いていた
ころで、ルネサンスの時代に加えて自然科学が発展した時代だから、
自然とそうなるかも。スコラ学vs古典哲学vsガリレイの自然科学と
いうことで(実際こうだったかは知らないけれど)、いつも以上に
激しく対立してたことは想像できる。
でも、この頃も教会の権威はまだあっただろうから、いずれにせよ
キリスト教から遠く離れた結論にはできなかっただろうと思う。
近代は確かにキリスト教の権威が大きく揺らいだ時代だけど、
それでも異端者扱いされるのは、社会的な抹殺を意味しただろう
ことは想像にかたくない。想像にすぎないけど。
だからなのか、デカルトにしろ、その後のスピノザにしろ、
結局は神の存在が必要になってくる。
さてデカルトはどういう人だったか、というと、実は当時の、
最も優秀な数学者・物理学者のひとりだった。数式をグラフで
あらわす「解析幾何学」はこの人の発明であり、物理学や気象学、
医学でも大きな貢献をしたらしい。ニュートンはデカルトを
かなり読み込んでいたそうだ。
「方法序説」の中で、彼はそのころの主要な学説の論文とか書物
には、あらかた目を通したと言っている。非常に勉強家だった
ようだ。さらに彼は書斎にひとりこもってものを考えた人ではなく
て、諸説対立する学問をいったんおいておいて、ヨーロッパ諸国を
旅して、そこからいろいろなものを学ぼうとしていた人だった。
そこで見聞きしたことから、「われわれに確信を与えている
ものは、確かな認識であるよりもむしろはるかにより多く習慣
であり先例である」、と言っている。
これは肯定的な意味だろうか否定的な意味だろうか。デカルトは
きっと、旅した先々で、人々がいろいろな信念体系で生きている
ことを知ったであろう。学問も、学問と関係ない人々の生活も、
習慣とか先例を信じて成り立っていることには変わりなかった。
しかし、デカルトがそんな学問のうち、そのころ重要視されてきていた
自然科学、またそれに用いられてきた数学の明証さ、確実さだけは
信用していたようだ。それは先にみた習慣的な知識ではなくて、
誰もが確かなスタートラインから考えて、誰もが明証な論証に
よってのみ学説の正当性を確かめ、自由に同意しまた反駁できる、
そういう意味でもっとも信頼のおける学問だったから、のようである。
「方法序説」でも、数学の明証性をもって世界観を構築しなければ
ならない、というような言葉が繰り返し出てくる。
デカルトがつとに望んだのは、この諸説対立する哲学を、なんとか
確実なところから考えなおし、確実な学問にすることだった。
「私は、私の行動において明らかに見、確信をもってこの世の生を
歩むために、真なるものを偽なるものから分かつすべを学びたい
という、極度の熱意をつねに持ち続けた」という彼の言葉にも、
それがよく表れている。
(これは、俺個人としてもよくわかる。特に、最近の歴史認識問題などは、
いちばんこれを感じているところだ。今、日本では一番大きな諸説対立と
いってもいいのではないだろうか。哲学にちょっと回り道しているが、
これを考えるために本を読み始めた。イドラを排して、習慣・先例に
惑わされずに色々なことを知りたいと思う)
つまりはデカルトにとって何より大事だったのは、数学のように、
誰もが納得するほかないような前提から哲学をもう一度編みなおすこと
だったといえる。
その2につづく。
前回のベーコン・ガリレイで説明した部分以外にも、背景を少し。
このころ、哲学界は、いつも通り諸説が対立して収拾がつかない
状態になっていたという。キリスト教のスコラ哲学が傾いていた
ころで、ルネサンスの時代に加えて自然科学が発展した時代だから、
自然とそうなるかも。スコラ学vs古典哲学vsガリレイの自然科学と
いうことで(実際こうだったかは知らないけれど)、いつも以上に
激しく対立してたことは想像できる。
でも、この頃も教会の権威はまだあっただろうから、いずれにせよ
キリスト教から遠く離れた結論にはできなかっただろうと思う。
近代は確かにキリスト教の権威が大きく揺らいだ時代だけど、
それでも異端者扱いされるのは、社会的な抹殺を意味しただろう
ことは想像にかたくない。想像にすぎないけど。
だからなのか、デカルトにしろ、その後のスピノザにしろ、
結局は神の存在が必要になってくる。
さてデカルトはどういう人だったか、というと、実は当時の、
最も優秀な数学者・物理学者のひとりだった。数式をグラフで
あらわす「解析幾何学」はこの人の発明であり、物理学や気象学、
医学でも大きな貢献をしたらしい。ニュートンはデカルトを
かなり読み込んでいたそうだ。
「方法序説」の中で、彼はそのころの主要な学説の論文とか書物
には、あらかた目を通したと言っている。非常に勉強家だった
ようだ。さらに彼は書斎にひとりこもってものを考えた人ではなく
て、諸説対立する学問をいったんおいておいて、ヨーロッパ諸国を
旅して、そこからいろいろなものを学ぼうとしていた人だった。
そこで見聞きしたことから、「われわれに確信を与えている
ものは、確かな認識であるよりもむしろはるかにより多く習慣
であり先例である」、と言っている。
これは肯定的な意味だろうか否定的な意味だろうか。デカルトは
きっと、旅した先々で、人々がいろいろな信念体系で生きている
ことを知ったであろう。学問も、学問と関係ない人々の生活も、
習慣とか先例を信じて成り立っていることには変わりなかった。
しかし、デカルトがそんな学問のうち、そのころ重要視されてきていた
自然科学、またそれに用いられてきた数学の明証さ、確実さだけは
信用していたようだ。それは先にみた習慣的な知識ではなくて、
誰もが確かなスタートラインから考えて、誰もが明証な論証に
よってのみ学説の正当性を確かめ、自由に同意しまた反駁できる、
そういう意味でもっとも信頼のおける学問だったから、のようである。
「方法序説」でも、数学の明証性をもって世界観を構築しなければ
ならない、というような言葉が繰り返し出てくる。
デカルトがつとに望んだのは、この諸説対立する哲学を、なんとか
確実なところから考えなおし、確実な学問にすることだった。
「私は、私の行動において明らかに見、確信をもってこの世の生を
歩むために、真なるものを偽なるものから分かつすべを学びたい
という、極度の熱意をつねに持ち続けた」という彼の言葉にも、
それがよく表れている。
(これは、俺個人としてもよくわかる。特に、最近の歴史認識問題などは、
いちばんこれを感じているところだ。今、日本では一番大きな諸説対立と
いってもいいのではないだろうか。哲学にちょっと回り道しているが、
これを考えるために本を読み始めた。イドラを排して、習慣・先例に
惑わされずに色々なことを知りたいと思う)
つまりはデカルトにとって何より大事だったのは、数学のように、
誰もが納得するほかないような前提から哲学をもう一度編みなおすこと
だったといえる。
その2につづく。
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