≪中世哲学(1)−アウグスティヌスについて<その1>−≫
2004年7月22日アウグスティヌスにいきましょう。これって、世界史で
聞いたことがある人もいるかもしれない。聖アウグスティヌス
なんて言われ方もされてたようだ。キリスト教でいえば、
「偉大な教父」であるらしい。
なんというか、哲学よりは、キリスト教にとっての功績が
大きかった人だったようだ。
彼はA.D.354〜A.D.430(以後、紀元後のみの場合A.D.は省きます)
の人で、北アフリカあたりに生まれたらしい。よくは知らないが、
あのころ北アフリカあたりは、ナイルの恵みもあって
けっこう豊かだったんじゃ?いや、ほんとに知らない。
結局、富豪の支援があって、大都市カルタゴに移住する
らしい。
彼は19歳のころ哲学に目覚め、最初はグノーシス主義の
マニ教に夢中になったそうな。その後もアカデメイア派(懐疑派)、
新プラトン主義を転々として、最後には32歳の時、ミラノで
回心(神の道へ心を向けること)し、翌年洗礼を受けた。
哲学に無縁の人ではなかったんだね。それがキリスト教に
傾倒するには、色々と紆余曲折あったんだろうと思う。
ただ、この時代はキリスト教がかなり支配的な思想だった
だろうから、そのせいが大きいだろう。
この後没するまでの40年間、マニ教やほかの哲学を論敵にまわして
批判を繰り広げ、また「告白」や「神の国」などの著書を出す。
アウグスティヌスの具体的な思想に入る前に、少しキリスト教哲学
成立までの歴史を振り返っておきます。
おそらくジルソンによればだけど、中世哲学のはじまりは
アレクサンドリアのフィロン(B.C.20〜A.D.50)という人からはじまる。
といっても定説かな?よく知らない。
この人から、ギリシャ哲学とキリスト教の調停がはじまっていく
のだそうだ。なんでも、この人によって、ギリシャ哲学に
「世界の<創造>の思想」がはじめて持ち込まれたとか…アレッ。
今まで世界のはじめについてはいくつかあったような…?
創造と原理は違うってことかな。創造って能動的な感じがするし。
神が創ったということか。
ここからスピノザによる啓示の否定までがキリスト教哲学の
歴史で、それまでの1400年間が中世哲学にあたるとか…。
彼は「聖典の比喩的解釈」を最初にやった人で…ユダヤ哲学、
イスラム哲学、キリスト教哲学の始祖とも言える、らしい。
その頃のギリシャ人にとっては、哲学の学派のいずれかが世界説明の
ポピュラーなものだったので、同じところに住むからには、
共通の世界認識を得ることが必要だったんだろうね。
なんでも、宗教、神話とかはそういうものらしい。違う神話を持つ
部族同士が同じ国に住むことになったとき、その両方の神話における
最高神などが、じつは同じ神だったのである!と、後付けで
そういうことだったということにしてしまう、らしい。
同じってことにしないと、色々と不都合があるんだろうね。
神話に出てくる神が浮気して子供残したりしてるのも、その辻褄あわせの
せいということもあるとか。
教義(ドグマ)をもたないことを旨としていた面で、宗教とは
ちょっと本質的に違うギリシャ哲学ではあるけど、キリスト教との
折り合いというのはこの頃必要だったのだろうね。
うわ、すごい蛇足。しかし神話もちょっと学びたいけどね。
さてアウグスティヌスの具体的な思想に入っていきましょう。
もう行数がないので、詳しくはその2に譲るとして、
軽く、何をどう考えたのか、何が問題とされるのか、について。
しかし、神への信仰、宗教的教義(ドグマ)を前提とする
キリスト教などに、「つねに一から原理を考え直す」ことを
旨とするギリシャ哲学が語れるのか?と少し思うかもしれない。
この点については、昭和堂のジルソンの見解から少し述べる。
ジルソンによれば、アンセルムス(1033〜1109)の言う
「私は理解するために信じる」という言葉がキモであるという。
アンセルムスって誰?という感じだが、多分キリスト教のエライ人
だろうと思う。この言葉はアウグスティヌスからユスティヌス(B.C.165没)、
さらに旧約聖書の「イザヤ書」に書かれている「もし汝らは
信じなければ理解しないであろう」にまでさかのぼることができる
という。
さてドグマを前提にしてるような言葉だけど、この言葉の意味する
ところは何か、といえば、ジルソンによると、この言葉は、
論証において、「神への信仰を前提とする」という意味ではない、
という。
そうではなくて、神への信仰を、論証の「結論」に置くことを
意味する、のだという。
これがどう違うのか?一緒のことのようにも聞こえる。
しかしよく考えてみると、論証というのは、「いまだ知られていない
原理」を「存在する」と仮定し、それへの道筋をつける、という
作業にほかならない。
なぜなら、もう自明のことなら論証する必要などないし、
まったく知らないものを論証しようとは思わないからである。
「これが正しいのではないか」と考える(信じる)ものをまず
結論において、それを理論的に証明する。これがふつうの論証
というものだ。
そして、中世哲学においては、これに「神の存在」とか「信仰」が
置かれる、というだけのことであるという。
確かに、そうかもしれない。それに、中世哲学での、哲学的な
進展も確かにあるのだから、思い込みを前提にした哲学だ、と
ばっさり切り捨てることはないと思う。とりあえず見てみよう。
聞いたことがある人もいるかもしれない。聖アウグスティヌス
なんて言われ方もされてたようだ。キリスト教でいえば、
「偉大な教父」であるらしい。
なんというか、哲学よりは、キリスト教にとっての功績が
大きかった人だったようだ。
彼はA.D.354〜A.D.430(以後、紀元後のみの場合A.D.は省きます)
の人で、北アフリカあたりに生まれたらしい。よくは知らないが、
あのころ北アフリカあたりは、ナイルの恵みもあって
けっこう豊かだったんじゃ?いや、ほんとに知らない。
結局、富豪の支援があって、大都市カルタゴに移住する
らしい。
彼は19歳のころ哲学に目覚め、最初はグノーシス主義の
マニ教に夢中になったそうな。その後もアカデメイア派(懐疑派)、
新プラトン主義を転々として、最後には32歳の時、ミラノで
回心(神の道へ心を向けること)し、翌年洗礼を受けた。
哲学に無縁の人ではなかったんだね。それがキリスト教に
傾倒するには、色々と紆余曲折あったんだろうと思う。
ただ、この時代はキリスト教がかなり支配的な思想だった
だろうから、そのせいが大きいだろう。
この後没するまでの40年間、マニ教やほかの哲学を論敵にまわして
批判を繰り広げ、また「告白」や「神の国」などの著書を出す。
アウグスティヌスの具体的な思想に入る前に、少しキリスト教哲学
成立までの歴史を振り返っておきます。
おそらくジルソンによればだけど、中世哲学のはじまりは
アレクサンドリアのフィロン(B.C.20〜A.D.50)という人からはじまる。
といっても定説かな?よく知らない。
この人から、ギリシャ哲学とキリスト教の調停がはじまっていく
のだそうだ。なんでも、この人によって、ギリシャ哲学に
「世界の<創造>の思想」がはじめて持ち込まれたとか…アレッ。
今まで世界のはじめについてはいくつかあったような…?
創造と原理は違うってことかな。創造って能動的な感じがするし。
神が創ったということか。
ここからスピノザによる啓示の否定までがキリスト教哲学の
歴史で、それまでの1400年間が中世哲学にあたるとか…。
彼は「聖典の比喩的解釈」を最初にやった人で…ユダヤ哲学、
イスラム哲学、キリスト教哲学の始祖とも言える、らしい。
その頃のギリシャ人にとっては、哲学の学派のいずれかが世界説明の
ポピュラーなものだったので、同じところに住むからには、
共通の世界認識を得ることが必要だったんだろうね。
なんでも、宗教、神話とかはそういうものらしい。違う神話を持つ
部族同士が同じ国に住むことになったとき、その両方の神話における
最高神などが、じつは同じ神だったのである!と、後付けで
そういうことだったということにしてしまう、らしい。
同じってことにしないと、色々と不都合があるんだろうね。
神話に出てくる神が浮気して子供残したりしてるのも、その辻褄あわせの
せいということもあるとか。
教義(ドグマ)をもたないことを旨としていた面で、宗教とは
ちょっと本質的に違うギリシャ哲学ではあるけど、キリスト教との
折り合いというのはこの頃必要だったのだろうね。
うわ、すごい蛇足。しかし神話もちょっと学びたいけどね。
さてアウグスティヌスの具体的な思想に入っていきましょう。
もう行数がないので、詳しくはその2に譲るとして、
軽く、何をどう考えたのか、何が問題とされるのか、について。
しかし、神への信仰、宗教的教義(ドグマ)を前提とする
キリスト教などに、「つねに一から原理を考え直す」ことを
旨とするギリシャ哲学が語れるのか?と少し思うかもしれない。
この点については、昭和堂のジルソンの見解から少し述べる。
ジルソンによれば、アンセルムス(1033〜1109)の言う
「私は理解するために信じる」という言葉がキモであるという。
アンセルムスって誰?という感じだが、多分キリスト教のエライ人
だろうと思う。この言葉はアウグスティヌスからユスティヌス(B.C.165没)、
さらに旧約聖書の「イザヤ書」に書かれている「もし汝らは
信じなければ理解しないであろう」にまでさかのぼることができる
という。
さてドグマを前提にしてるような言葉だけど、この言葉の意味する
ところは何か、といえば、ジルソンによると、この言葉は、
論証において、「神への信仰を前提とする」という意味ではない、
という。
そうではなくて、神への信仰を、論証の「結論」に置くことを
意味する、のだという。
これがどう違うのか?一緒のことのようにも聞こえる。
しかしよく考えてみると、論証というのは、「いまだ知られていない
原理」を「存在する」と仮定し、それへの道筋をつける、という
作業にほかならない。
なぜなら、もう自明のことなら論証する必要などないし、
まったく知らないものを論証しようとは思わないからである。
「これが正しいのではないか」と考える(信じる)ものをまず
結論において、それを理論的に証明する。これがふつうの論証
というものだ。
そして、中世哲学においては、これに「神の存在」とか「信仰」が
置かれる、というだけのことであるという。
確かに、そうかもしれない。それに、中世哲学での、哲学的な
進展も確かにあるのだから、思い込みを前提にした哲学だ、と
ばっさり切り捨てることはないと思う。とりあえず見てみよう。
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