≪ギリシャ哲学(12)−懐疑派について<その2>−≫
2004年7月21日<その1からつづき>
ちなみに、この懐疑派のような態度は、哲学史において何回も
出てくる。まぁ、それは順に見ていけば明らかになりますな。
さて次は中期の懐疑派、中アカデメイア。
アカデメイアっていうとプラトンの作った、非常に長く続いた
大学のことだけど、つまりここの教授とか学徒が懐疑派にはしった
ということだろうか。
アルケシラオス(B.C.315〜B.C.241)がアカデメイアの人だった
ようだ。あと代表的な中アカデメイアの人はカルネアデス
(B.C.214〜B.C.129)など。
この人たちも同じく、ストア派の「把握的表象」(存在するものは
事物のみ)に関して、実在する事物以上に確信をもたらす、
ウソの事物(蜃気楼とかも、そうか)の存在を示すことによって、
イデアとか形相を否定したストア派よりも、もっと何も信用しない
という態度をとった。
まあ、このあたりは古と同じ。違うのはここからで…
懐疑派には、ひとつ欠点がある。というのは、すべてのことについて
判断停止などしてしまうと、生きてく上で必要な選択が何も
出来なくなってしまうからである。
そこでアルケシラオスは、行為の選択をするうえでは、蓋然性
(がいぜんせい。事象が実現されるか否か、またはその知識の
確実性の度合。確からしさ。数学的に定式化されたものを確率
と呼ぶ。プロバビリティー)による判断で事足りるとした。
そう、人間が得られるものは「確からしさ」のみなのである…
これって割と真理を衝いている。けど、このころはそんなにそれが
意識されてたわけでもなさそうにも思う。
懐疑ばっかしてても生きてけないだろ、という要請からきた折衷案
というだけっぽい。
つぎ、新懐疑派にいきます。
アカデメイアは、新アカデメイアといわれる時代になると、
だんだんストア派の説も取り入れてきたようで、折衷案が
目立ってくるそうな。
しかし紀元後にもう一度、ピュロンの考え方を再興した人たち
がいて、アイネシデモス(B.C.1世紀前半ごろ)、アグリッパ
(A.D.1世紀ごろ)、セクストゥス・エムペイリコス(A.D.160頃
〜210頃)などが有名らしい。
考え方は、ピュロンとそう変わらない。もう少し精緻にした
感じはあるが。
いちおう、アグリッパの方式をあげておくと。
彼は判断中止にいたる方式として、つぎの5つを挙げた。
1.異論が存すること
2.論証が無限背進に陥ること(イデア説にたいするアリストテレス
の批判などはこれだろうか)
3.相対性(かならず相反するものが存在する、ということだろうか)
4.論証は仮定を必要とすること(何か確かなものがあると
仮定しなければ成り立たない説は、その仮定が確かなものである
という思い込みがなければ成立しない、ということ)
5.循環論に陥ること(結局、論拠をつきつめていくと、正しいから
正しいのである、というところから出発することになる。これは
トートロジー(同語反復)であって、何も言ってないのと同じ)
他の人も、いろいろ言っているが、結局は何も確かなことなど
考えられない、という結論にいたる。
…個人的には、蓋然性は信用できるとする折衷案のほうがまだ
いい。純粋な懐疑論は、抽象概念の性質を用いた言葉遊びなので
あって、こういうのが無意味な哲学であると個人的には思う。
しかし、色々な学派がおのれの説の正しさを主張し、どちらが
正しいのか分からなくなっている民のことを考えて、この説を
主張したのかもしれない。学派をもうひとつ増やしただけという
気もしないでもないが。
あとは、新プラトン主義を主にあつかって、ギリシャ哲学の
系譜は終わりです。
ちなみに、この懐疑派のような態度は、哲学史において何回も
出てくる。まぁ、それは順に見ていけば明らかになりますな。
さて次は中期の懐疑派、中アカデメイア。
アカデメイアっていうとプラトンの作った、非常に長く続いた
大学のことだけど、つまりここの教授とか学徒が懐疑派にはしった
ということだろうか。
アルケシラオス(B.C.315〜B.C.241)がアカデメイアの人だった
ようだ。あと代表的な中アカデメイアの人はカルネアデス
(B.C.214〜B.C.129)など。
この人たちも同じく、ストア派の「把握的表象」(存在するものは
事物のみ)に関して、実在する事物以上に確信をもたらす、
ウソの事物(蜃気楼とかも、そうか)の存在を示すことによって、
イデアとか形相を否定したストア派よりも、もっと何も信用しない
という態度をとった。
まあ、このあたりは古と同じ。違うのはここからで…
懐疑派には、ひとつ欠点がある。というのは、すべてのことについて
判断停止などしてしまうと、生きてく上で必要な選択が何も
出来なくなってしまうからである。
そこでアルケシラオスは、行為の選択をするうえでは、蓋然性
(がいぜんせい。事象が実現されるか否か、またはその知識の
確実性の度合。確からしさ。数学的に定式化されたものを確率
と呼ぶ。プロバビリティー)による判断で事足りるとした。
そう、人間が得られるものは「確からしさ」のみなのである…
これって割と真理を衝いている。けど、このころはそんなにそれが
意識されてたわけでもなさそうにも思う。
懐疑ばっかしてても生きてけないだろ、という要請からきた折衷案
というだけっぽい。
つぎ、新懐疑派にいきます。
アカデメイアは、新アカデメイアといわれる時代になると、
だんだんストア派の説も取り入れてきたようで、折衷案が
目立ってくるそうな。
しかし紀元後にもう一度、ピュロンの考え方を再興した人たち
がいて、アイネシデモス(B.C.1世紀前半ごろ)、アグリッパ
(A.D.1世紀ごろ)、セクストゥス・エムペイリコス(A.D.160頃
〜210頃)などが有名らしい。
考え方は、ピュロンとそう変わらない。もう少し精緻にした
感じはあるが。
いちおう、アグリッパの方式をあげておくと。
彼は判断中止にいたる方式として、つぎの5つを挙げた。
1.異論が存すること
2.論証が無限背進に陥ること(イデア説にたいするアリストテレス
の批判などはこれだろうか)
3.相対性(かならず相反するものが存在する、ということだろうか)
4.論証は仮定を必要とすること(何か確かなものがあると
仮定しなければ成り立たない説は、その仮定が確かなものである
という思い込みがなければ成立しない、ということ)
5.循環論に陥ること(結局、論拠をつきつめていくと、正しいから
正しいのである、というところから出発することになる。これは
トートロジー(同語反復)であって、何も言ってないのと同じ)
他の人も、いろいろ言っているが、結局は何も確かなことなど
考えられない、という結論にいたる。
…個人的には、蓋然性は信用できるとする折衷案のほうがまだ
いい。純粋な懐疑論は、抽象概念の性質を用いた言葉遊びなので
あって、こういうのが無意味な哲学であると個人的には思う。
しかし、色々な学派がおのれの説の正しさを主張し、どちらが
正しいのか分からなくなっている民のことを考えて、この説を
主張したのかもしれない。学派をもうひとつ増やしただけという
気もしないでもないが。
あとは、新プラトン主義を主にあつかって、ギリシャ哲学の
系譜は終わりです。
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