≪ギリシャ哲学(9)−アリストテレスについて−<その1>≫
2004年7月17日次、アリストテレス(B.C.384〜B.C.322)に入ります。
アリストテレスは、かつて存在した最も大きな碩学(せきがく。
碩は大きいの意、学問が広く深いこと、またその人)だった
という…というのも、彼の研究領域は論理学、自然学、形而上学、
倫理学、生物学、天文学、気象学、心理学、政治学、修辞学
(修辞に関する法則を研究する学問。読者の感動に訴えて説得の
効果をあげるために言葉や文章の表現方法を研究するもの。
美辞学。レトリック)、美学、哲学史などなど多岐にわたり、
今日存在する学問は、ほとんど彼によって創始されたか、
先鞭をつけられたかするものだそうだ。
またそれだけに、彼が学問におよぼした影響も深刻で、デカルトが
登場するまでの約2000年間、彼の学問が人類を支配しつづけた
という。
確かに、「方法序説」にもアリストテレスへの言及は出てきて…、
学派による争いが絶えないことをデカルトが憂いていたような。
ここから分かることのひとつ、というか、まぁ哲学ってもともと
そうみたいなんだけど、この頃の哲学って、「万物の原理」つまり
今では物理学が担っている世界説明と、「人間の認識の原理」
とか「論理学」などを、一手に総括するような学問だったよう
なんですね。
つまりは、一人の人間がまとめて考えられるほどに、それぞれの
学問の研究の蓄積とかが膨大でなかったということなのかな?
まぁとりあえず、今までの哲学の総括の問題、、つまり、
パルメニデスの「変化するものはなく、一(オン)のみが存在する」
を受け継いでなんとか世界説明をしようとした人たちを背景に
このアリストテレスも色々考えた、ということを前提にして
見ていきましょう。
プラトンのところでも少し紹介したけど、アリストテレスは
プラトンの創始した、人類史上最も長く続いた大学「アカデメイア」の
最も優秀な学生の一人であり、学頭候補でもあった。しかし結局
プラトンの甥にあたる人が学頭を継いだので、それをきっかけに
かどうかは知らないが、アカデメイアを去ったようだ。
その後マケドニアの宮廷に教育係として呼ばれたりしてたよう
だけど、結局またアテナイに戻ってきて、リュケイオンという
アカデメイアを凌ぐ教育研究機関を設立した。
(リュケイオンて、なんか響きかがかっこいいなぁ)
彼はここで多くの研究者をあつめて、彼らの研究を統合することで
様々な領域にまたがる、壮大な研究を遂行したという。
彼の学派は、学園の歩廊(ペリパトス)を逍遥(気ままにぶらぶら
歩くこと、そぞろ歩き)しながら教えたことから、ペリパトス学派
と呼ばれる。
アリストテレスの残した研究は膨大で、著作も多いらしくて、
昭和堂の本にも、現代の哲学に通じる事柄しか扱えていない。
(はじめての哲学史にいたっては、そのことにすら触れていない)
彼は哲学というよりむしろ、他の学問への貢献が大きかったのかも
しれない。
(少し彼の著書を図書館で見たことがあるけど、虫や動物の生態に
ついて、古典らしいあいまいさはあるけど、細かく扱ってあった。
おそらく、多少現代の常識を知ってる自分には読むのは辛い…)
というわけで、彼のプラトン批判、ならびに、世界説明の原理に
ついてのみ扱います。というか、ほかは知らないし。
・プラトン批判
プラトン批判とはつまりイデア説批判なわけだけど、それが
少しピント外れなのはプラトンのところでも述べた。
彼はイデア説を、物理学、自然科学のような、万物の原理を
解明するもののみとして捉えていたようだ。まあ、プラトンの
原著を読めば、俺もそう感じるかもしれないが。とにかく
彼は、イデア説では、世界の運動や変化の原理がちっとも説明
できない、とか、「非存在」とか「非人間」という否定的なもの
にもイデアが存在しなければならなくなる、とか、主語がなくとも
述語のイデアが存在するのはおかしい、とか、二十三箇条にも
及ぶ批判をしたようだ。
たしかにイデア説には、今にも通じる本質的な部分はあるが、
万物の原理の説明としては弱いのは確か。万物の原理の解明の学、
自然科学の方法としては、アリストテレスの取った方法のほうが
よりベターであるとは言えるかもしれない。
というわけで
・世界、万物の原理について
万物の原理については、やはりそれまでの哲学史の集積を
無視するわけにはいかないし、タレス〜パルメニデス、ヘラクレイトス
まで、またそれ以降の書物も、穴があくほどアリストテレスも
読んだことだろう。
これらの問題に関しては、アナクサゴラスやデモクリトスが
それなりの回答を出している。またプラトンも、かなり方向性が
違うが、それなりの回答をしている。このあたりが、アリストテレス
のいた時代の、哲学の最先端であっただろう。
彼はイデア説批判から入ったけども、結局は、エンペドクレスや
とかデモクリトスのような、無機質な世界説明はとらず、
イデア説の難点を克服したかのような説を取る。
イデア説では、この物質とはかけ離れたどこかにある、ある絶対的な
ものを想定するがゆえに、誰にも確かめられないし、また実際の
物質とどう関係しているか分からないし、運動や変化についての
説明も何もされていないと思った。
そこで、そういった「どこかにある絶対的なもの」で物質の性質を
説明するのでなくて、現に感じられるものは、現にそこにあるもの、
もしくは内在しているものとして、説明することにしたのである。
その考え方が、「ウーシア」という彼の説にあらわれている。
具体的にどう説明したかは、その2に譲るとして、この
ウーシアについて解説しておきます。
ウーシアというのは、昭和堂の本ではそのまま「実体」として
訳されているが、はじめての哲学史ではそれは適切でない、と
している。ちなみに実体、というのは、哲学においていくつか
意味があるが、変化するなかにおいてもいつも同一のもの、
みたいな感じ。イメージとしては、物体が変化しても、それ自体は
変化しない、原子とか分子みたいなものだろうか。
(たとえば、水が水蒸気になっても、水分子は変化していない)
デカルトの言う実体は、それが存在するのに、他の何にも依存しない
もの、としている。たとえば「熱」のようなものは、感じる人間が
いないと存在しないから、実体ではない。
アリストテレスの言うウーシアは、命題(哲学にはよく出てくる
言葉だけど、意味はわりと漠然としている。判断を言語であらわした
もの、とか、真偽を判定できる有意味な文、などという意味らしい)
において、つねに主語になるものを言う、という。
これだけではちょっとよくわからないので、平易に俺なりに
考えて書こうと思う。これを用いて、どうやってパルメニデス
とプラトンの説を調停するのか、がキーポイントだと思う。
アリストテレスは、かつて存在した最も大きな碩学(せきがく。
碩は大きいの意、学問が広く深いこと、またその人)だった
という…というのも、彼の研究領域は論理学、自然学、形而上学、
倫理学、生物学、天文学、気象学、心理学、政治学、修辞学
(修辞に関する法則を研究する学問。読者の感動に訴えて説得の
効果をあげるために言葉や文章の表現方法を研究するもの。
美辞学。レトリック)、美学、哲学史などなど多岐にわたり、
今日存在する学問は、ほとんど彼によって創始されたか、
先鞭をつけられたかするものだそうだ。
またそれだけに、彼が学問におよぼした影響も深刻で、デカルトが
登場するまでの約2000年間、彼の学問が人類を支配しつづけた
という。
確かに、「方法序説」にもアリストテレスへの言及は出てきて…、
学派による争いが絶えないことをデカルトが憂いていたような。
ここから分かることのひとつ、というか、まぁ哲学ってもともと
そうみたいなんだけど、この頃の哲学って、「万物の原理」つまり
今では物理学が担っている世界説明と、「人間の認識の原理」
とか「論理学」などを、一手に総括するような学問だったよう
なんですね。
つまりは、一人の人間がまとめて考えられるほどに、それぞれの
学問の研究の蓄積とかが膨大でなかったということなのかな?
まぁとりあえず、今までの哲学の総括の問題、、つまり、
パルメニデスの「変化するものはなく、一(オン)のみが存在する」
を受け継いでなんとか世界説明をしようとした人たちを背景に
このアリストテレスも色々考えた、ということを前提にして
見ていきましょう。
プラトンのところでも少し紹介したけど、アリストテレスは
プラトンの創始した、人類史上最も長く続いた大学「アカデメイア」の
最も優秀な学生の一人であり、学頭候補でもあった。しかし結局
プラトンの甥にあたる人が学頭を継いだので、それをきっかけに
かどうかは知らないが、アカデメイアを去ったようだ。
その後マケドニアの宮廷に教育係として呼ばれたりしてたよう
だけど、結局またアテナイに戻ってきて、リュケイオンという
アカデメイアを凌ぐ教育研究機関を設立した。
(リュケイオンて、なんか響きかがかっこいいなぁ)
彼はここで多くの研究者をあつめて、彼らの研究を統合することで
様々な領域にまたがる、壮大な研究を遂行したという。
彼の学派は、学園の歩廊(ペリパトス)を逍遥(気ままにぶらぶら
歩くこと、そぞろ歩き)しながら教えたことから、ペリパトス学派
と呼ばれる。
アリストテレスの残した研究は膨大で、著作も多いらしくて、
昭和堂の本にも、現代の哲学に通じる事柄しか扱えていない。
(はじめての哲学史にいたっては、そのことにすら触れていない)
彼は哲学というよりむしろ、他の学問への貢献が大きかったのかも
しれない。
(少し彼の著書を図書館で見たことがあるけど、虫や動物の生態に
ついて、古典らしいあいまいさはあるけど、細かく扱ってあった。
おそらく、多少現代の常識を知ってる自分には読むのは辛い…)
というわけで、彼のプラトン批判、ならびに、世界説明の原理に
ついてのみ扱います。というか、ほかは知らないし。
・プラトン批判
プラトン批判とはつまりイデア説批判なわけだけど、それが
少しピント外れなのはプラトンのところでも述べた。
彼はイデア説を、物理学、自然科学のような、万物の原理を
解明するもののみとして捉えていたようだ。まあ、プラトンの
原著を読めば、俺もそう感じるかもしれないが。とにかく
彼は、イデア説では、世界の運動や変化の原理がちっとも説明
できない、とか、「非存在」とか「非人間」という否定的なもの
にもイデアが存在しなければならなくなる、とか、主語がなくとも
述語のイデアが存在するのはおかしい、とか、二十三箇条にも
及ぶ批判をしたようだ。
たしかにイデア説には、今にも通じる本質的な部分はあるが、
万物の原理の説明としては弱いのは確か。万物の原理の解明の学、
自然科学の方法としては、アリストテレスの取った方法のほうが
よりベターであるとは言えるかもしれない。
というわけで
・世界、万物の原理について
万物の原理については、やはりそれまでの哲学史の集積を
無視するわけにはいかないし、タレス〜パルメニデス、ヘラクレイトス
まで、またそれ以降の書物も、穴があくほどアリストテレスも
読んだことだろう。
これらの問題に関しては、アナクサゴラスやデモクリトスが
それなりの回答を出している。またプラトンも、かなり方向性が
違うが、それなりの回答をしている。このあたりが、アリストテレス
のいた時代の、哲学の最先端であっただろう。
彼はイデア説批判から入ったけども、結局は、エンペドクレスや
とかデモクリトスのような、無機質な世界説明はとらず、
イデア説の難点を克服したかのような説を取る。
イデア説では、この物質とはかけ離れたどこかにある、ある絶対的な
ものを想定するがゆえに、誰にも確かめられないし、また実際の
物質とどう関係しているか分からないし、運動や変化についての
説明も何もされていないと思った。
そこで、そういった「どこかにある絶対的なもの」で物質の性質を
説明するのでなくて、現に感じられるものは、現にそこにあるもの、
もしくは内在しているものとして、説明することにしたのである。
その考え方が、「ウーシア」という彼の説にあらわれている。
具体的にどう説明したかは、その2に譲るとして、この
ウーシアについて解説しておきます。
ウーシアというのは、昭和堂の本ではそのまま「実体」として
訳されているが、はじめての哲学史ではそれは適切でない、と
している。ちなみに実体、というのは、哲学においていくつか
意味があるが、変化するなかにおいてもいつも同一のもの、
みたいな感じ。イメージとしては、物体が変化しても、それ自体は
変化しない、原子とか分子みたいなものだろうか。
(たとえば、水が水蒸気になっても、水分子は変化していない)
デカルトの言う実体は、それが存在するのに、他の何にも依存しない
もの、としている。たとえば「熱」のようなものは、感じる人間が
いないと存在しないから、実体ではない。
アリストテレスの言うウーシアは、命題(哲学にはよく出てくる
言葉だけど、意味はわりと漠然としている。判断を言語であらわした
もの、とか、真偽を判定できる有意味な文、などという意味らしい)
において、つねに主語になるものを言う、という。
これだけではちょっとよくわからないので、平易に俺なりに
考えて書こうと思う。これを用いて、どうやってパルメニデス
とプラトンの説を調停するのか、がキーポイントだと思う。
コメント