≪ギリシャ哲学(8)−プラトンについて−<その4>≫
2004年7月16日<その3からつづき>
やっと続きが。
3までで、否定的見解のほうを述べてきました。
それはそれで哲学界のひとつの見方ではあるし、どちらが
正しいのかは、自分でいちから考えてみて判断するところである
と思う。古典のものだし、どちらでもよいといえばそうなのかも
しれない。
しかしとりあえず、俺が肯定的見解に納得いった理由を
自分で考えながら、その見解についてまとめたいと思う。
(ほとんど持論になりそうだ)
さて、哲学の開始からプラトンまで…タレス〜ヘラクレイトス、
パルメニデス〜ソフィスト達、ソクラテスのほかの弟子達、において、
いったい何が語られていたのか、肯定論に入る前に、軽く
敷衍しておきたい。単純に、イデア論を、論理の整合性から
はかるのでなく、哲学の流れの中で理解するためであります。
最初タレスは、「万物の原理は水なんじゃないか」と言った。
「確かに宗教の神話(ミュートス)ではああ言っているが、
目の前に広がる事象のおおもとについてそれとは別に考えてみると、
どうも水っぽくない?だって、木とか水やらないと枯れるし
人間だって死ぬし」
そしたら、いやそりゃヘンなんじゃ?って感じでアナクシマンドロス
が異論をのべる。
「水だって言うけど、火とか土じゃいけない理由はなんなの?
説明できないでしょ。そういう性質にしばられたもので、
何かひとつ世界を説明しちゃうと、その原理と正反対の性質を
もつもの(水なら、火とか)は全部消えちゃってるんじゃない?
だって原理と反対の性質持ってるんだし。そういったものじゃない
ほうが納得いくよ。だから「無限定なるもの(ト・アペイロン)」
だと思うよ」
そしたらアナクシメネスが…
「いや、無限定なるものったって、何にも限定されないんじゃ
人間にも知覚できそうにないし、そんなもの確かめようがないから、
もしそうだとしても永久に判明しないんじゃないの。何も言ってない
のと同じじゃない?それより、万物のおおもとは空気だと思うよ。
空気があつまると固体になったり液体になったりするんだよ。
人間だって、息しないと死んでしまうし。温度の差は空気の勢いで
説明いくよ。だって、口から息吐くとき、ゆっくり吐くと暖かくて、
するどく吐くと冷たいし(これは本当に言ってたらしい。実際
やってみると、その通りなのがおもしろい)」
そのころ、別の場所でピタゴラスが…
「誰が計算しても同じ結果になる数というのは不思議だ。
音楽も、数の比率に支配されている。誰にでも理解できるし、
数であらわせないものがないなんてことは、これは世の中すべてに
通じる原理なのではないか」
などと言っていた。
しばらくして、「万物の原理は空気」とか聞いたヘラクレイトスが
「しかし空気だけから出来てるとしても、世の中が変化し続けてる
この運動の原因が何も説明されてないんじゃ?」と思った。
そこで、それ自体がたえず揺れ動く、火がその運動のもとだと
考えた。そして、その火の運動を伝え動いて流動しているのが
この世界なんじゃないかと思った。
そして、すべてのものは流動していて変化し続けるのだから、
この世に確かなものなど何ひとつないと思った。
次の瞬間には全てが変化しているのだ。
さて、そのころ別の場所でもパルメニデスがこんなことを
言っていた。
「感覚的なもの(水、空気、火)を元にして考えても、いくらでも
反対の説をあげることができる。誰にでも納得いくような論理を考える
ことが必要だ。まず、感覚的なものはすべて信用しないことに
しよう。論理だけで考えよう。すると、「ないものがある」などと
いう言い方とか、論理的に矛盾してるものは存在してないと考えるべきだ。
感覚をすべて信用しないものとすれば、感覚がとらえる、変化とか
数とかが廃棄されるから、この世は変化も数もない一(オン)のみが
ある世界になる。これが本当の世界だ」
また、弟子ゼノンが、その説を支持し、数という抽象概念の
生み出す矛盾を指摘した。
さて、軽くまとめます。これらの説で言われているのは、
・ものが何からできてるのか(水、ト・アペイロン、空気)
・ものは何によって動かされてるのか(火)
・不確かな感覚でとらえるものは本当に存在といっていいのか
(つねに世界は生成消滅していると感じるのは確か、
感覚はすべて間違いで、この世に生成消滅などない)
・論理的思考が確かなのはなぜか(数が原理だから、とした)
ここで、「何からできてるのか」という考え方に、具体的な
水とか空気とかもってくることは、すでにパルメニデスによって
否定されてることに注目。彼は、そういう言い方だとなんとでも言える
ことに気づき、また、感覚はときに人間を欺くのであって、
あくまで論理的に考える必要があるとした。
たいして、ヘラクレイトスは、ものが生成消滅していることは
感覚によって明らかだとした。
またピタゴラスは、数の普遍性に着目した。
たしかに感覚は確かではないが、生成消滅を目の当たりにするのも
確か。これを一で不動だとするのは無理がある。どう見たって
目の前の事物は変化してるからだ。
かといって感覚に頼ることもできない。どうしよう?
しかし数などに見られるように、抽象概念を用いた論理的思考は
誰にでも共通なので、ここに鍵があるのではないだろうか?
この鍵を使って、なるべく広範な理解が得られるような、もっと
納得いく原理が作れないだろうか?
つまり、なるべく感覚に頼らずに、生成消滅をなんとか説明づける必要が
出てきた、ということだと思う。
ここで出てくるのが、エンペドクレス、アナクサゴラス、
デモクリトスである。
ああ、プラトンの話ですらない。けど、もう少し、何が問題に
なってきたのか敷衍したい。
その5につづく。
やっと続きが。
3までで、否定的見解のほうを述べてきました。
それはそれで哲学界のひとつの見方ではあるし、どちらが
正しいのかは、自分でいちから考えてみて判断するところである
と思う。古典のものだし、どちらでもよいといえばそうなのかも
しれない。
しかしとりあえず、俺が肯定的見解に納得いった理由を
自分で考えながら、その見解についてまとめたいと思う。
(ほとんど持論になりそうだ)
さて、哲学の開始からプラトンまで…タレス〜ヘラクレイトス、
パルメニデス〜ソフィスト達、ソクラテスのほかの弟子達、において、
いったい何が語られていたのか、肯定論に入る前に、軽く
敷衍しておきたい。単純に、イデア論を、論理の整合性から
はかるのでなく、哲学の流れの中で理解するためであります。
最初タレスは、「万物の原理は水なんじゃないか」と言った。
「確かに宗教の神話(ミュートス)ではああ言っているが、
目の前に広がる事象のおおもとについてそれとは別に考えてみると、
どうも水っぽくない?だって、木とか水やらないと枯れるし
人間だって死ぬし」
そしたら、いやそりゃヘンなんじゃ?って感じでアナクシマンドロス
が異論をのべる。
「水だって言うけど、火とか土じゃいけない理由はなんなの?
説明できないでしょ。そういう性質にしばられたもので、
何かひとつ世界を説明しちゃうと、その原理と正反対の性質を
もつもの(水なら、火とか)は全部消えちゃってるんじゃない?
だって原理と反対の性質持ってるんだし。そういったものじゃない
ほうが納得いくよ。だから「無限定なるもの(ト・アペイロン)」
だと思うよ」
そしたらアナクシメネスが…
「いや、無限定なるものったって、何にも限定されないんじゃ
人間にも知覚できそうにないし、そんなもの確かめようがないから、
もしそうだとしても永久に判明しないんじゃないの。何も言ってない
のと同じじゃない?それより、万物のおおもとは空気だと思うよ。
空気があつまると固体になったり液体になったりするんだよ。
人間だって、息しないと死んでしまうし。温度の差は空気の勢いで
説明いくよ。だって、口から息吐くとき、ゆっくり吐くと暖かくて、
するどく吐くと冷たいし(これは本当に言ってたらしい。実際
やってみると、その通りなのがおもしろい)」
そのころ、別の場所でピタゴラスが…
「誰が計算しても同じ結果になる数というのは不思議だ。
音楽も、数の比率に支配されている。誰にでも理解できるし、
数であらわせないものがないなんてことは、これは世の中すべてに
通じる原理なのではないか」
などと言っていた。
しばらくして、「万物の原理は空気」とか聞いたヘラクレイトスが
「しかし空気だけから出来てるとしても、世の中が変化し続けてる
この運動の原因が何も説明されてないんじゃ?」と思った。
そこで、それ自体がたえず揺れ動く、火がその運動のもとだと
考えた。そして、その火の運動を伝え動いて流動しているのが
この世界なんじゃないかと思った。
そして、すべてのものは流動していて変化し続けるのだから、
この世に確かなものなど何ひとつないと思った。
次の瞬間には全てが変化しているのだ。
さて、そのころ別の場所でもパルメニデスがこんなことを
言っていた。
「感覚的なもの(水、空気、火)を元にして考えても、いくらでも
反対の説をあげることができる。誰にでも納得いくような論理を考える
ことが必要だ。まず、感覚的なものはすべて信用しないことに
しよう。論理だけで考えよう。すると、「ないものがある」などと
いう言い方とか、論理的に矛盾してるものは存在してないと考えるべきだ。
感覚をすべて信用しないものとすれば、感覚がとらえる、変化とか
数とかが廃棄されるから、この世は変化も数もない一(オン)のみが
ある世界になる。これが本当の世界だ」
また、弟子ゼノンが、その説を支持し、数という抽象概念の
生み出す矛盾を指摘した。
さて、軽くまとめます。これらの説で言われているのは、
・ものが何からできてるのか(水、ト・アペイロン、空気)
・ものは何によって動かされてるのか(火)
・不確かな感覚でとらえるものは本当に存在といっていいのか
(つねに世界は生成消滅していると感じるのは確か、
感覚はすべて間違いで、この世に生成消滅などない)
・論理的思考が確かなのはなぜか(数が原理だから、とした)
ここで、「何からできてるのか」という考え方に、具体的な
水とか空気とかもってくることは、すでにパルメニデスによって
否定されてることに注目。彼は、そういう言い方だとなんとでも言える
ことに気づき、また、感覚はときに人間を欺くのであって、
あくまで論理的に考える必要があるとした。
たいして、ヘラクレイトスは、ものが生成消滅していることは
感覚によって明らかだとした。
またピタゴラスは、数の普遍性に着目した。
たしかに感覚は確かではないが、生成消滅を目の当たりにするのも
確か。これを一で不動だとするのは無理がある。どう見たって
目の前の事物は変化してるからだ。
かといって感覚に頼ることもできない。どうしよう?
しかし数などに見られるように、抽象概念を用いた論理的思考は
誰にでも共通なので、ここに鍵があるのではないだろうか?
この鍵を使って、なるべく広範な理解が得られるような、もっと
納得いく原理が作れないだろうか?
つまり、なるべく感覚に頼らずに、生成消滅をなんとか説明づける必要が
出てきた、ということだと思う。
ここで出てくるのが、エンペドクレス、アナクサゴラス、
デモクリトスである。
ああ、プラトンの話ですらない。けど、もう少し、何が問題に
なってきたのか敷衍したい。
その5につづく。
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