≪ギリシャ哲学(8)−プラトンについて−<その2>≫
2004年7月13日<その1からのつづき>
と、すると、自動的に、というか、現象界、現実世界は、すべてが万物の
生成消滅の原理にてらされて、何者も存在していないということになる。
確かに存在するものはイデアのみで、それに照らされるから、本来何も
存在しないはずの現実世界に、色々な区別が見出せるのである、と
プラトンは説明する。つまりは、例えば目の前に机があるとしても、
これはイデアのように永遠不変の机ではありえない。とすると、「これは
机である」という言い方はできない。「机である」と言い切れる物が、
机であったりなかったりすることはできないからだ。目の前のこの机は
いずれ壊れるから、これは机であったりなかったりするものである。ゆえに
これは机として存在してはいない。
そのような、生成消滅するようなあいまいなものを、存在とは呼べないからだ。
こんな感じで、この世には非存在が満ちているという結論になる。
これがまた、今からすると、イデア説の不合理さの一端を示す要因の
ひとつになっているようだが。
ちょっと専門用語というか、哲学やってると知ってる用語をおぼえると
なんか頭よくなった気もするので、そういうのを書きつつまとめよう。
プラトンは、この世に存在するのは英知界(ノエータ)と可視的世界
(ホラタ)に分けられるとした。イデア界と、現実世界だね。
ノエータはさらに、弁証法の世界と仮定を原理とする数学の世界に
分けられなければならない(ピタゴラスも入ってきてるのだろうか)。
数学の世界というのは、非常に簡素な定理から、厳密で合理的な
結論が導き出せるので、特別視されたようだ。これによって得られる
知のことを悟性知(分別知、ディアノイア)という。
弁証法の世界というのはソクラテスが求めたもので、「それそのもの」
の世界、イデア界で、この世界においてのみ、知(ソフィア)、
知識(エピステーメー)が求められる(エピステーメーって、ロゴスと
同じでいくつか意味がありそうなんだけど)。
可視世界に関しては、現象の世界と、芸術や仮象の影の世界に分けられ、
前者にあるのは臆見(ドクサ)と信念(ピスティス)であり、後者には
想像(エイカシア)があるにすぎないとされる。
さて、プラトンの比喩、たとえ話に「洞窟の比喩」という有名なものが
ある。可視的世界、現実世界にいる人間は、暗い洞窟の中で、壁に向かって
縛られて座らされている囚人のようなもので、洞窟の外からさしてくる
イデアの光によって、その影を見ているにすぎない存在であるという。
われわれはその影を見て、それが実在する存在だと思っているが、
それは影にすぎなく、存在するのはそれを照らしているイデアだと
いうわけだ。
そして哲学者は、この鎖をといて洞窟の外に出られるもののことを言う
という。はじめは目が慣れていなくて、強烈な光に、まともに目も
開けられないが、しだいに慣れてきて、周囲を見分けることができる
ようになる。
そうすると、彼は自分の立場をしっかり認識することができ、
ほんとうに自己を知ることができる。そうしたら、哲学者たるもの、
洞窟の中に戻り、他の人々に真実を伝えようとするであろう。だが
洞窟の中の人々は、彼の話に耳をかそうとはしない。
彼の目は洞窟の暗さに、逆に洞窟の中を見分けることができなく
なっており、立ち振る舞いが無様にならざるを得ないからである。
これが、この世で哲学者がうとまれるゆえんであるという。
このくらいで、イデア説の説明はできたかと思うけれど、
はっきり言って、俺個人としては、もっと平易な言葉に直せないと
ダメなんじゃないかなって思う。比喩もいいけど、これでは
そのあたりに転がっている宗教のたとえ話とそう変わらない
印象だって与える。考えたことは、哲学の原初から追えば
非常にロジカルな部分が多いとは思うのに。
とはいえ、ここで俺の見解を述べると肯定意見とかぶってしまうので
それは後に譲って、次に、否定的見解からの、国家論と、プラトン自身
にもよる、イデア説に対する批判を紹介します。
プラトンの国家論。これに先立って、独裁政治による圧制への失望、
また民主制、衆愚政治によるソクラテスの死、両方を考え合わせた
プラトンがどのような国家観を持ったか、ということを考えてみる
必要がある。
彼の考え方は、基本的に、「哲学王」が国家の統治者、しかも独裁者に
なればよいという考えのようだ。
またプラトンは、国家を人間との類比において、その機能というか、
役割分担になぞらえて考えた。人間は頭によって代表される理性部分と、
胸によって代表される気概部分、下腹部によって代表される欲望部分の
三つからできており、国家も統治階級と軍人階級と商・工・農民階級の
みっつにわけられるそうだ。
統治階級の徳は知恵ないしは思慮、軍人階級は勇気、商・工・農は
節制が徳であり、それぞれがその徳を十分に発揮する社会が正義である
とした。この知恵、勇気、節制、正義はプラトンの四基徳という。
また、そこから、個人の自由は大幅に制限されねばならないとした。
プラトンの国家観は、今からするとナチスに似ていると酷評する人も
いたそうで、確かにそういう面も否定はできない。それぞれの階級が
その分を越えることは悪とされたし、国家管理による集団見合いが
推奨され、子供は幼い頃から能力によって分別されたり、不具に
生まれついた子供は抹殺すべし、などという考え方をしていた。
が、それは今の視点から見ればの話であって、当時(紀元前400年頃である
…)このような国家観が、それほど突拍子もないものだったとは思えない。
ナチスを例にとっても、近代に入ってから成立しているのだし。
また、民主政治がダメなら、哲学王が独裁するしかないと考えるのも
また自然だとは思う。ただ、現実に耐える思想ではないと思うけれど。
次に、イデア説批判にいきます。
このイデア説批判、プラトン自身によって行われているというのが
少し不思議な気がするくらい、そうかもしれないと思える感じの
批判で、もし竹田さんの本を読んでなかったら、俺もその通りだ、
イデア説破綻してるじゃん、と思ったに違いない。
昭和堂の哲学史では、この後期の著作において自説に批判を
加えるまでに時間があったから、反省する機会があったんだろう、
と推測しているが、事実は定かではない。本当に反省していた
とするなら、プラトンほどの人をして、概念の実体化の罠に
引っかかってしまったのかなあ、なんて思う。
ところで、本当に長くなってしまった。批判の内容はその3で。
と、すると、自動的に、というか、現象界、現実世界は、すべてが万物の
生成消滅の原理にてらされて、何者も存在していないということになる。
確かに存在するものはイデアのみで、それに照らされるから、本来何も
存在しないはずの現実世界に、色々な区別が見出せるのである、と
プラトンは説明する。つまりは、例えば目の前に机があるとしても、
これはイデアのように永遠不変の机ではありえない。とすると、「これは
机である」という言い方はできない。「机である」と言い切れる物が、
机であったりなかったりすることはできないからだ。目の前のこの机は
いずれ壊れるから、これは机であったりなかったりするものである。ゆえに
これは机として存在してはいない。
そのような、生成消滅するようなあいまいなものを、存在とは呼べないからだ。
こんな感じで、この世には非存在が満ちているという結論になる。
これがまた、今からすると、イデア説の不合理さの一端を示す要因の
ひとつになっているようだが。
ちょっと専門用語というか、哲学やってると知ってる用語をおぼえると
なんか頭よくなった気もするので、そういうのを書きつつまとめよう。
プラトンは、この世に存在するのは英知界(ノエータ)と可視的世界
(ホラタ)に分けられるとした。イデア界と、現実世界だね。
ノエータはさらに、弁証法の世界と仮定を原理とする数学の世界に
分けられなければならない(ピタゴラスも入ってきてるのだろうか)。
数学の世界というのは、非常に簡素な定理から、厳密で合理的な
結論が導き出せるので、特別視されたようだ。これによって得られる
知のことを悟性知(分別知、ディアノイア)という。
弁証法の世界というのはソクラテスが求めたもので、「それそのもの」
の世界、イデア界で、この世界においてのみ、知(ソフィア)、
知識(エピステーメー)が求められる(エピステーメーって、ロゴスと
同じでいくつか意味がありそうなんだけど)。
可視世界に関しては、現象の世界と、芸術や仮象の影の世界に分けられ、
前者にあるのは臆見(ドクサ)と信念(ピスティス)であり、後者には
想像(エイカシア)があるにすぎないとされる。
さて、プラトンの比喩、たとえ話に「洞窟の比喩」という有名なものが
ある。可視的世界、現実世界にいる人間は、暗い洞窟の中で、壁に向かって
縛られて座らされている囚人のようなもので、洞窟の外からさしてくる
イデアの光によって、その影を見ているにすぎない存在であるという。
われわれはその影を見て、それが実在する存在だと思っているが、
それは影にすぎなく、存在するのはそれを照らしているイデアだと
いうわけだ。
そして哲学者は、この鎖をといて洞窟の外に出られるもののことを言う
という。はじめは目が慣れていなくて、強烈な光に、まともに目も
開けられないが、しだいに慣れてきて、周囲を見分けることができる
ようになる。
そうすると、彼は自分の立場をしっかり認識することができ、
ほんとうに自己を知ることができる。そうしたら、哲学者たるもの、
洞窟の中に戻り、他の人々に真実を伝えようとするであろう。だが
洞窟の中の人々は、彼の話に耳をかそうとはしない。
彼の目は洞窟の暗さに、逆に洞窟の中を見分けることができなく
なっており、立ち振る舞いが無様にならざるを得ないからである。
これが、この世で哲学者がうとまれるゆえんであるという。
このくらいで、イデア説の説明はできたかと思うけれど、
はっきり言って、俺個人としては、もっと平易な言葉に直せないと
ダメなんじゃないかなって思う。比喩もいいけど、これでは
そのあたりに転がっている宗教のたとえ話とそう変わらない
印象だって与える。考えたことは、哲学の原初から追えば
非常にロジカルな部分が多いとは思うのに。
とはいえ、ここで俺の見解を述べると肯定意見とかぶってしまうので
それは後に譲って、次に、否定的見解からの、国家論と、プラトン自身
にもよる、イデア説に対する批判を紹介します。
プラトンの国家論。これに先立って、独裁政治による圧制への失望、
また民主制、衆愚政治によるソクラテスの死、両方を考え合わせた
プラトンがどのような国家観を持ったか、ということを考えてみる
必要がある。
彼の考え方は、基本的に、「哲学王」が国家の統治者、しかも独裁者に
なればよいという考えのようだ。
またプラトンは、国家を人間との類比において、その機能というか、
役割分担になぞらえて考えた。人間は頭によって代表される理性部分と、
胸によって代表される気概部分、下腹部によって代表される欲望部分の
三つからできており、国家も統治階級と軍人階級と商・工・農民階級の
みっつにわけられるそうだ。
統治階級の徳は知恵ないしは思慮、軍人階級は勇気、商・工・農は
節制が徳であり、それぞれがその徳を十分に発揮する社会が正義である
とした。この知恵、勇気、節制、正義はプラトンの四基徳という。
また、そこから、個人の自由は大幅に制限されねばならないとした。
プラトンの国家観は、今からするとナチスに似ていると酷評する人も
いたそうで、確かにそういう面も否定はできない。それぞれの階級が
その分を越えることは悪とされたし、国家管理による集団見合いが
推奨され、子供は幼い頃から能力によって分別されたり、不具に
生まれついた子供は抹殺すべし、などという考え方をしていた。
が、それは今の視点から見ればの話であって、当時(紀元前400年頃である
…)このような国家観が、それほど突拍子もないものだったとは思えない。
ナチスを例にとっても、近代に入ってから成立しているのだし。
また、民主政治がダメなら、哲学王が独裁するしかないと考えるのも
また自然だとは思う。ただ、現実に耐える思想ではないと思うけれど。
次に、イデア説批判にいきます。
このイデア説批判、プラトン自身によって行われているというのが
少し不思議な気がするくらい、そうかもしれないと思える感じの
批判で、もし竹田さんの本を読んでなかったら、俺もその通りだ、
イデア説破綻してるじゃん、と思ったに違いない。
昭和堂の哲学史では、この後期の著作において自説に批判を
加えるまでに時間があったから、反省する機会があったんだろう、
と推測しているが、事実は定かではない。本当に反省していた
とするなら、プラトンほどの人をして、概念の実体化の罠に
引っかかってしまったのかなあ、なんて思う。
ところで、本当に長くなってしまった。批判の内容はその3で。
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