プラトンは、彼の思想の解釈によって評価が二分される。
二分だから、肯定か否定かっていうことだけど、またその
肯定と否定の中身にも温度差があるみたい。なぜ評価が
そう分かれるのかは後で、といってもまぁ、あまり
色々な人のプラトン評を見たことはないので…

とりあえずは、最初は否定的見解から紹介します。

さて、前はソクラテスの話だったけど、ソクラテスの話は
ほとんどプラトンの著書の中でされていることは述べました。
基本的にソクラテスの考えとプラトンの考えは連続して
発展しているので、区切りのつけどころは難しい。どちらかと
いうと、ソクラテス-プラトンでほぼ一人分の主張としたほうが
分かりやすいかも。

ソクラテスにはプラトン以外にも思想の継承者はたくさんいた
のだけど、正当な継承者と呼べるのはやはりプラトン(Platon,
B.C.427〜347)、この人だった。

プラトンは貴族の名門うまれ。20歳のころ、アテナイでソクラテスと
出会い、彼の知への探究心、知への情熱に傾倒していったという。

元々は政治家を目指していたけれど、その頃(アテナイがスパルタに
破れ、スパルタによる専制政治が行われた頃)の専制横暴な独裁政治を
見て政治に不信感を持つにいたり、またそれが打倒された後の
民主派の政権下でソクラテスが殺されるにいたって、完全に政治に
失望し、その道を断念することになる。

このことは、彼の哲学にも非常に大きな影響をおよぼしている。
(民主も独裁もダメだと思ったのかも)

名門の出だし、ソクラテスの弟子、さらに元々の聡明さゆえで
あろうけども、色々な著作を出し議論を繰り広げるうちに、
しだいにプラトンの名声がギリシャ中に響くようになる。
やがて人類史上最も長く続いた大学「アカデメイア」
を設立し、後の哲学ほか、学問に様々な影響をあたえた。
ちなみにアリストテレスはここの最も優秀な学生の一人であった
らしい。

で、そんなプラトンは、ソクラテス以後の哲学をどう発展させた
か?

ソクラテスは、真、善、美、徳、国家とは何か、などなど、
そういった抽象概念の本質、様々な人に共通する普遍的本質を
対話によって探り当てようとした人であった。
そして具体的な事例などを次々挙げるだけでは、それに
足りないということも分かってきた。

ソクラテスのところでも少し書いたけど、そこでプラトンが
考え出したのは、想起説、いわゆる「イデア説」だった。

プラトンでは、この「イデア説」のほかにも『国家』などで
示されるように、国家制度に関する彼なりの考察などもあって
まあ、まだ把握しきれてはいないけれど、大体そのふたつ、
イデアと国家体制に関する彼の考察がポイントとなるようだ。

プラトンの著作には前期、中期、後期があるが、前期・中期
ではイデア説が最もよく表れ、後期では主にそのイデア説に対する
自らの手による批判、と、国家体制に対する構想が語られる
ようだ…といっても、原著読んでいないので詳しくは…

まあ、とりあえずイデア説の説明にうつります。
(しかし一日一人って無理だなあ。多少は調べてまとめてからでないと)

ソクラテスは善そのもの、などの「それそのもの」で存在する
何かを想定し、人は対話によってそれに近づいていけると確信して
いた。

ここで少し、パルメニデスとヘラクレイトスの考えに立ち戻る。
プラトンはヘラクレイトスの「万物流転」の考えに親しんだことが
あるらしいけど、人間が目の前に描く世界には、少なからず
人間による臆見(ドクサ)、つまり、全てが仮象とは言わないが、
人間の見方によって変化してしまうところがある、とは思っていた
ようだ。

しかし、全てが仮象であり、様々な区別が全て人間のドクサだとすると、
ソクラテスが存在すると思っていた、確実な、人間に善や美の感覚を
与える知識(エピステーメー)が存在しないことになってしまう。
何か確実なものが、人間に確実な知識を与えるものがどこかにあるはず
である(と、師匠に傾倒してたプラトンは思いたかったのだろうな〜、
という感じで否定的見解は進む。個人的に、というか肯定的意見からは、
このような見方はしない)。

そこでパルメニデスにならって、永遠不変の個物が何か存在する
はずである、万物が流転する中にもそれがあるから、人間は
ものを正しく認識する知識を得ることが出来るのである、とした。

また、そのようなドクサに支配されている現実の世界に、その「それそのもの」
が見出せることは考えにくい。だから、人間が通常認識することが
可能な現象界ではなく、人間が感じる「それそのもの」の世界がどこかにあって、
それを基準にして人間は物事を判断していると考えた。

なぜなら、人間は生まれ落ちたときからこの現実の世界にあるものしか見ていない
のだから、「それそのもの」を知る機会があったならば、それは天上などの
現実世界以外の世界においてしかありえないと思ったからだ。

ヘラクレイトスとパルメニデスの主張の、あいのこというか、統合というか
そんな側面もあるようだ。

たとえば、ソクラテス、パルメニデス、ヘラクレイトスはともに人間である。
しかしもし、ソクラテスやパルメニデスなどが、それ自体としてしか
存在しない個物であるとしたら、ソクラテスを人間と仮定したら、パルメニデスは
それとは違うわけだから、同じ人間というカテゴリにはおさまらない
ことになってしまう。しかし実際はそうではなく、ソクラテスもパルメニデスも
ヘラクレイトスも、人間だと認識している。こうした、ひとつのカテゴリが
成立するのは、ひとえに、人間に「人間のイデア」というものが存在し、
それと目の前の個物を照らし合わせて知ることができているからである、
とプラトンは説明する。

もうひとつ例え話をすれば、紙に直線を引くが、どんな人間が線を
引いても、それは絶対に完璧な直線ではありえないことは分かると思う。
しかしながら不思議なことに、人間はそれを直線だと認識できる。なぜ
だろうか?
それは、いつか天上にいる時に目にした「直線のイデア」と照らし
合わせているから、可能なのである。

とまあ、このような説明がイデア説である。

これだけ聞くとまさに宗教、神話的説明。プラトン教でも作ったのか
という感じだ。

イデア説はさらに発展する。

イデアには、上位のイデアと、その下位のイデアがある。これは仕組みを
考えると自然に出てくるが、三角形のイデアの上には、それと四角形とか
六角形のイデアをまとめた「図形のイデア」があると考えるのが自然だから
である。どんどん上位のイデアが、下位のイデアを包括していくわけだ。

そうすると、最後にどこにいきつくか?プラトンによれば、イデア全体を
包括する最上位のイデアは「善のイデア」である。そこから「徳のイデア」とか
「美のイデア」「真のイデア」などが分割されていくことになる。

そして、先に説明したように、これらは見て取れるような現実世界に
存在するのではなくて、「それそのもの」の世界、「イデア界」に存在する
とされる。

やっぱり長くなった。その2にいきます。

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