≪ギリシャ哲学(3)−ピタゴラスについて−≫
2004年7月8日あんまり適切な順番で書いてないかもしれない。このあたりは
原著読んでないし…まあ、いいか。どの道、知識不足にかわりは
ないし。
ピタゴラスの話に入る前に…
あれから少し考えたけれど、物理学と哲学の決定的な違いという
ものが、ひとつあるような気がする。
それは、「人間はなぜ生きるのか?」−という問いに、物理学は
まるで答えられないということである。
もちろん、哲学だって明確には答えられない。けど、物理学は
全然畑が違う。そんなことは、視野に入れもしないのが物理学
はじめ、自然科学だ。
少なくとも、哲学は、そういった答えの見つからなさそうな
ことについて、宗教みたいに不可侵な原理を設定せず考え詰める
ことができる、唯一の学問と言えると思う。あらゆる「なぜ?」に
答えようとする学問が哲学で、それは今もって無効にはなっていない
考え方なのではないだろうかと妄想。
本題に入ろう。
ミレトスのミレトス学派…イオニア自然学と呼ばれる、
タレスたちのほかにも、その頃イタリアで違う系譜の哲学が
生まれていた。西洋哲学の原初というか、はじまりは、ミレトスの
ミレトス学派、イタリアのエレア学派のこのふたつくらいらしい。
ピタゴラスはエレア学派に分類されるわけじゃないようだけど、
遠祖ではあったのかな。
ピタゴラスが活躍したのはB.C.570頃〜?とされている。
ト・アペイロンとか言ってた、アナクシマンドロスの次くらいか。
この人は宗教活動も盛んだったようだけど、まぁこの時代の
人は、哲学やるにしても、前提として宗教的価値観はもっていた
ようだ。それはキリスト教全盛の、中世哲学にしても同じだし
今もって、キリスト教が国教の国の哲学者はそうかもしれない。
んでこの人が何を原理としたかというと、「数」である。これも
割と有名かな。数の計算は、人種や思想信条に関係なく、誰が
計算しても同じ答えになる。そういう数の不思議さ、普遍性が、
この世を貫く原理なのではないかと彼は考えたそうである。
割とこれも面白い考え方。ただまだ、ミレトス学派にしろ
ピタゴラスにしろ、抽象性が強いという感は否めない。
原理のひとつではあるだろうけど、数だけで全ては説明できない
し。
まだこのころは哲学の黎明期で…ソクラテス、プラトン、
アリストテレスあたりになってくると、結構面白いんだけどな。
原著読んでないし…まあ、いいか。どの道、知識不足にかわりは
ないし。
ピタゴラスの話に入る前に…
あれから少し考えたけれど、物理学と哲学の決定的な違いという
ものが、ひとつあるような気がする。
それは、「人間はなぜ生きるのか?」−という問いに、物理学は
まるで答えられないということである。
もちろん、哲学だって明確には答えられない。けど、物理学は
全然畑が違う。そんなことは、視野に入れもしないのが物理学
はじめ、自然科学だ。
少なくとも、哲学は、そういった答えの見つからなさそうな
ことについて、宗教みたいに不可侵な原理を設定せず考え詰める
ことができる、唯一の学問と言えると思う。あらゆる「なぜ?」に
答えようとする学問が哲学で、それは今もって無効にはなっていない
考え方なのではないだろうかと妄想。
本題に入ろう。
ミレトスのミレトス学派…イオニア自然学と呼ばれる、
タレスたちのほかにも、その頃イタリアで違う系譜の哲学が
生まれていた。西洋哲学の原初というか、はじまりは、ミレトスの
ミレトス学派、イタリアのエレア学派のこのふたつくらいらしい。
ピタゴラスはエレア学派に分類されるわけじゃないようだけど、
遠祖ではあったのかな。
ピタゴラスが活躍したのはB.C.570頃〜?とされている。
ト・アペイロンとか言ってた、アナクシマンドロスの次くらいか。
この人は宗教活動も盛んだったようだけど、まぁこの時代の
人は、哲学やるにしても、前提として宗教的価値観はもっていた
ようだ。それはキリスト教全盛の、中世哲学にしても同じだし
今もって、キリスト教が国教の国の哲学者はそうかもしれない。
んでこの人が何を原理としたかというと、「数」である。これも
割と有名かな。数の計算は、人種や思想信条に関係なく、誰が
計算しても同じ答えになる。そういう数の不思議さ、普遍性が、
この世を貫く原理なのではないかと彼は考えたそうである。
割とこれも面白い考え方。ただまだ、ミレトス学派にしろ
ピタゴラスにしろ、抽象性が強いという感は否めない。
原理のひとつではあるだろうけど、数だけで全ては説明できない
し。
まだこのころは哲学の黎明期で…ソクラテス、プラトン、
アリストテレスあたりになってくると、結構面白いんだけどな。
コメント