≪ギリシャ哲学(1)−タレスについて−≫
2004年7月7日この日記、メールに残るからよいね。
こうしてタイトルに書いておくと、あとから見返してまとめやすい。
さて、哲学の開祖ということにされてる、タレス。
確かな記録は残ってないそうだけど、B.C.624頃〜B.C.546頃の
人だそうだ。
よく知られているのは<万物は水から成る>という言葉なんだけど、
これが哲学のはじまりとされる。しかしなぜ、こんな宗教の言葉
みたいのが、哲学のはじまりとされるのか?
彼がいたのは、紀元前6世紀ごろの、ギリシャのイオニア地方の
植民市、ミレトスであったそうだ(植民市がどのようなものかは
知らない…(´・ω・`))。ここは発展した商業都市であったらしく、
色々な人の交流があったようだ。
と、ここでもう少し予備知識を書いておこう。
この頃は、世界説明に宗教、つまり神話が使われていたらしい。
キリスト教なら、神が万物を創生したわけだね(よく知らないけど)。
そして、神話以外の世界説明っていうのは無かった。あったかも
しれないけど、タレス以前は確かな記録は残ってない、のかも。
神話はその後もずっと続く(今だって残ってる)強力な世界説明
だけれど、世界中に色々な宗教があって、その価値観が合わない
うえに排他的なものだから、争いが起こりうるってことが、
問題点なのだそうだ。キリスト教とイスラム教の対立なんか
見ると、よく分かる。ってどっちも、元は同じユダヤ教だった
そうなんだけど。ってちょっと脱線しすぎた。
もちろんギリシャにも宗教があったのだけれど、発展した商業都市
だけに、他の国からも色々な人が来たのだろう。自分が信じている
神話以外にも、様々な世界説明がなされていることを知り、
本当のところは、世界はどうなっているのだろう、という視点を
持つ人が表れたとしてもおかしくない。
あの当時、神話を使わずに世界を説明する…この途方もない挑戦を、
ゼロから自分がはじめることを想像すると、まったく手が付けられない
ような感じがする。とりあえずどう考えるだろうか…?
目の前に広がる自然現象、これを、今発展を遂げている物理学なんて
まったく知らない人が、何か根本的な原理(アルケー)で説明
しようとする…なんだか雲をつかむような話だけど、タレスは
とりあえず、万物のおおもとが「水」であると考えた。
生命は水なしには生きていけない、例えば人間は水を飲まないと
のどが渇いて死んでしまうし、樹木などは、水をやると成長したり
するし。そんな風に考えたのかもしれない。
これが哲学のはじまり?水を万物のおおもとなんて考えるのは
宗教みたい。と思うかもしれない。しかし、タレスのこの考えは、
後の批判者によって、原理ごと覆されることになる。
この、原理ごと覆されるということ、つねにもっと根本から
考え直すということ。これが哲学の真骨頂なのだそうである。
宗教では、こうはいかないことはよく分かると思う。
イスラムのコーランなんか、疑問をさしはさめば罰を与えられる
くらいだし。原理を疑うことを、とりあえず許さないのが宗教で、
そうでないのが哲学。色々哲学の意義とかはあるけれど、
とりあえず宗教との違いはそこではっきりしていると思う。
ちなみにタレスを哲学の開祖としたのはアリストテレスで、
後付けではないのか、という声もあるみたい。
でも、こういう理解をするとしっくりくるんだけどな。
まだ詳しいことはわからないけど。
こうしてタイトルに書いておくと、あとから見返してまとめやすい。
さて、哲学の開祖ということにされてる、タレス。
確かな記録は残ってないそうだけど、B.C.624頃〜B.C.546頃の
人だそうだ。
よく知られているのは<万物は水から成る>という言葉なんだけど、
これが哲学のはじまりとされる。しかしなぜ、こんな宗教の言葉
みたいのが、哲学のはじまりとされるのか?
彼がいたのは、紀元前6世紀ごろの、ギリシャのイオニア地方の
植民市、ミレトスであったそうだ(植民市がどのようなものかは
知らない…(´・ω・`))。ここは発展した商業都市であったらしく、
色々な人の交流があったようだ。
と、ここでもう少し予備知識を書いておこう。
この頃は、世界説明に宗教、つまり神話が使われていたらしい。
キリスト教なら、神が万物を創生したわけだね(よく知らないけど)。
そして、神話以外の世界説明っていうのは無かった。あったかも
しれないけど、タレス以前は確かな記録は残ってない、のかも。
神話はその後もずっと続く(今だって残ってる)強力な世界説明
だけれど、世界中に色々な宗教があって、その価値観が合わない
うえに排他的なものだから、争いが起こりうるってことが、
問題点なのだそうだ。キリスト教とイスラム教の対立なんか
見ると、よく分かる。ってどっちも、元は同じユダヤ教だった
そうなんだけど。ってちょっと脱線しすぎた。
もちろんギリシャにも宗教があったのだけれど、発展した商業都市
だけに、他の国からも色々な人が来たのだろう。自分が信じている
神話以外にも、様々な世界説明がなされていることを知り、
本当のところは、世界はどうなっているのだろう、という視点を
持つ人が表れたとしてもおかしくない。
あの当時、神話を使わずに世界を説明する…この途方もない挑戦を、
ゼロから自分がはじめることを想像すると、まったく手が付けられない
ような感じがする。とりあえずどう考えるだろうか…?
目の前に広がる自然現象、これを、今発展を遂げている物理学なんて
まったく知らない人が、何か根本的な原理(アルケー)で説明
しようとする…なんだか雲をつかむような話だけど、タレスは
とりあえず、万物のおおもとが「水」であると考えた。
生命は水なしには生きていけない、例えば人間は水を飲まないと
のどが渇いて死んでしまうし、樹木などは、水をやると成長したり
するし。そんな風に考えたのかもしれない。
これが哲学のはじまり?水を万物のおおもとなんて考えるのは
宗教みたい。と思うかもしれない。しかし、タレスのこの考えは、
後の批判者によって、原理ごと覆されることになる。
この、原理ごと覆されるということ、つねにもっと根本から
考え直すということ。これが哲学の真骨頂なのだそうである。
宗教では、こうはいかないことはよく分かると思う。
イスラムのコーランなんか、疑問をさしはさめば罰を与えられる
くらいだし。原理を疑うことを、とりあえず許さないのが宗教で、
そうでないのが哲学。色々哲学の意義とかはあるけれど、
とりあえず宗教との違いはそこではっきりしていると思う。
ちなみにタレスを哲学の開祖としたのはアリストテレスで、
後付けではないのか、という声もあるみたい。
でも、こういう理解をするとしっくりくるんだけどな。
まだ詳しいことはわからないけど。
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